2008年元旦(2008年1月1日)
元旦も欠かさず「さいら」の日課、朝の散歩である。

写真の神社は近くの氏神様である。初詣で賑わう有名な神社ではない。参拝者も少なく、迎春のセットもささやかなものである。それでも若いカップルがお神籤を引いている。「幸多かれ」と祈らずにはおられない。
その神社を出る時に何気なく見た鳥居とそのしめ縄。 これも初春を迎えている様である。

ところが、そのしめ縄であるが、どことなく光沢がある。よく見ると天然の藁でなくて合成樹脂で加工されたものである。せめて、新春のしめ縄くらいは何とか天然藁と言うことにならないのかと思った。
しかし少し考えると、天然藁のしめ縄は矢張り贅沢なのであろう。このような小さな神社ではその経費を考えると毎年新調する訳には行かないのであろう。天然藁のしめ縄は今や参拝者が多い神社の特別なものであるかも知れない。
新年早々斜に構えた「さいら」。ブログもこの調子が続くのかも知れない。
このしめ縄を見て、富める者にも、貧しい者にも、自然の恵みある豊かな社会であって欲しいと思う。
ゲーム(2008年1月3日)
昨日、二日娘夫婦が来た。家族共々元気そうなのが何よりである。その日のために、我妻が密にでもないが、年末から一生懸命にマスターしたゲームがある。ゲームと言えば、何でもかんでも「DS」が孫の世界。時には異質の単純なゲームも必要ではないか?との妻なりの考えである。
実はこのゲーム「手作りなんとか市」で昨年手に入れたゲーム。退職した同僚が作ったものである。こういうロスタイムの過ごし方もあるのかと感心した。ても「さいら」には真似が出来ない。
ルールは簡単であるが、なかなか難しい。孫も簡単には「上がり」というわけにはいかない。それで、のめり込むのかと思ったが、そうでもなかった。
妻がスイスイと行くのに孫はそうは行かない。結局のところ、孫の得意な、必ず妻に勝てるゲームに変更
在りし日の年の初めの話題(1)(2008年1月7日)
東京勤務の時である。「水島重油流出事故」が12月にあって、被害が多々出た。その被害額の集計や突発的な対応のために、国の機関としては珍しく、正月も何人か出勤した。普通は予算事務も年末に終わり、正月の三が日は自宅でゆっくりである。しかし、被害のあった現地では皆さん、正月返上で仕事をしていたのであろう。電話は頻繁に掛かってくる。それを集計して、上司に報告する。各府県からの被害報告は刻々と増えてくる。丁度その頃は「海苔収穫」時であった。一番困ったのは、昼食である。いつもなら、昼食に困ることはないが、正月は構内の生協・その食堂も勿論していない。外へ出てもどこもかしこも閉店である。と言う訳で、その日は昼食抜きであった。
在りし日の年の初めの話題(2)(2008年1月8日)
独身の頃、その宿日直は毎度のことであった。寮が庁内の敷地に併設されていたし、本庁ほどの仕事もない。テレビを見るか、少し真面目に読書の貴重な時間であった。独身者3人で年末に帰省して正月を交代で宿直がてら過ごしたことがある。女性独身職員に前もって、その旨伝えた。当然のことながら、正月料理の差し入れがあった。 その時に初めて、「お節」の代わりに「寿司」を食べる習慣があるのを知った。よく言うが「寿司」は「祭」で「お節」は「正月」と思っていたのだが、大袈裟に言えば、カルチャーショックであった。確か、それが「サンマ寿司」の食べ始めであった。
その3人でそれぞれの故郷の「お雑煮」を作って過ごす段取りであった。「さいら」は年末に実家から「白みそ雑煮一式」を持ち帰り、ささやかに正月をした。残念ながら、「白みそ雑煮」は余り人気がなかった。学生時代長崎で過ごした同僚の「長崎風雑煮」が一番人気があった。
それは多分、その同僚の料理が上手であったためであろうと、今も決して料理は作らない「さいら」は思っている。
初春のお祝詞を申し上げます
本年も変わらぬご訪問を賜りますようお願い申し上げます。今週の更新は不規則になります。
元旦も欠かさず「さいら」の日課、朝の散歩である。

写真の神社は近くの氏神様である。初詣で賑わう有名な神社ではない。参拝者も少なく、迎春のセットもささやかなものである。それでも若いカップルがお神籤を引いている。「幸多かれ」と祈らずにはおられない。
その神社を出る時に何気なく見た鳥居とそのしめ縄。 これも初春を迎えている様である。

ところが、そのしめ縄であるが、どことなく光沢がある。よく見ると天然の藁でなくて合成樹脂で加工されたものである。せめて、新春のしめ縄くらいは何とか天然藁と言うことにならないのかと思った。
しかし少し考えると、天然藁のしめ縄は矢張り贅沢なのであろう。このような小さな神社ではその経費を考えると毎年新調する訳には行かないのであろう。天然藁のしめ縄は今や参拝者が多い神社の特別なものであるかも知れない。
新年早々斜に構えた「さいら」。ブログもこの調子が続くのかも知れない。
このしめ縄を見て、富める者にも、貧しい者にも、自然の恵みある豊かな社会であって欲しいと思う。
ゲーム(2008年1月3日)
昨日、二日娘夫婦が来た。家族共々元気そうなのが何よりである。その日のために、我妻が密にでもないが、年末から一生懸命にマスターしたゲームがある。ゲームと言えば、何でもかんでも「DS」が孫の世界。時には異質の単純なゲームも必要ではないか?との妻なりの考えである。

実はこのゲーム「手作りなんとか市」で昨年手に入れたゲーム。退職した同僚が作ったものである。こういうロスタイムの過ごし方もあるのかと感心した。ても「さいら」には真似が出来ない。
ルールは簡単であるが、なかなか難しい。孫も簡単には「上がり」というわけにはいかない。それで、のめり込むのかと思ったが、そうでもなかった。
妻がスイスイと行くのに孫はそうは行かない。結局のところ、孫の得意な、必ず妻に勝てるゲームに変更
在りし日の年の初めの話題(1)(2008年1月7日)
東京勤務の時である。「水島重油流出事故」が12月にあって、被害が多々出た。その被害額の集計や突発的な対応のために、国の機関としては珍しく、正月も何人か出勤した。普通は予算事務も年末に終わり、正月の三が日は自宅でゆっくりである。しかし、被害のあった現地では皆さん、正月返上で仕事をしていたのであろう。電話は頻繁に掛かってくる。それを集計して、上司に報告する。各府県からの被害報告は刻々と増えてくる。丁度その頃は「海苔収穫」時であった。一番困ったのは、昼食である。いつもなら、昼食に困ることはないが、正月は構内の生協・その食堂も勿論していない。外へ出てもどこもかしこも閉店である。と言う訳で、その日は昼食抜きであった。
在りし日の年の初めの話題(2)(2008年1月8日)
独身の頃、その宿日直は毎度のことであった。寮が庁内の敷地に併設されていたし、本庁ほどの仕事もない。テレビを見るか、少し真面目に読書の貴重な時間であった。独身者3人で年末に帰省して正月を交代で宿直がてら過ごしたことがある。女性独身職員に前もって、その旨伝えた。当然のことながら、正月料理の差し入れがあった。 その時に初めて、「お節」の代わりに「寿司」を食べる習慣があるのを知った。よく言うが「寿司」は「祭」で「お節」は「正月」と思っていたのだが、大袈裟に言えば、カルチャーショックであった。確か、それが「サンマ寿司」の食べ始めであった。
その3人でそれぞれの故郷の「お雑煮」を作って過ごす段取りであった。「さいら」は年末に実家から「白みそ雑煮一式」を持ち帰り、ささやかに正月をした。残念ながら、「白みそ雑煮」は余り人気がなかった。学生時代長崎で過ごした同僚の「長崎風雑煮」が一番人気があった。
それは多分、その同僚の料理が上手であったためであろうと、今も決して料理は作らない「さいら」は思っている。