昔の金融機関
次の記事「最近のATM機」の前置きである。若い時に希望して、或る漁協で「複式簿記実習」を受けたことがある。相当徹底した実習で、窓口に座り、全ての記帳・利上げ・決算整理も一通り実地に研修した。漁協の簿記は結構複雑で、購買事業は「商業簿記」、信用事業は「銀行簿記」、加工をしておれば「工業簿記」、それに得体の分からない「指導事業」も有る。 その時に決算は台帳から自動的に作成されるのではなくて、或る目的・意図を誘導して作成される摩訶不思議な世界であることも知った。 簿記の練習には持ってこいであった。一日の帳尻が合わない時は、それこそ遅くまで原因究明に努めた。それでも究明できない時はやむを得ず「過不足勘定」を利用して後日に究明をした。便利な勘定科目に感心した。
随分昔の話で、当時、通帳も台帳も手書きであった。勿論、ATM機もない時代だ。金融機関は護送船団の時代で、ほんの小さな漁協でも、信用事業は稼ぎ頭であった。入出金があると通帳と台帳、それに、仕訳伝票に手書きをしていた。台帳ファイルが何冊も並んでいた。面倒・単純な仕事ではあった。
それよりも、普通預金の年二回の「利上げ」は実に面倒であった。入出金がある都度、その預金者台帳に入出金で残高が変わる都度、その残高とその日数を掛けた「積数」を算盤で計算する。その利上げ期間の積数合計に日歩の利率を掛けて「利上げ」となる。途中で利率変更があるとその分手間が増える。確か、日数早見表を手元に置いていた様に思う。 金融機関が計算間違いをしてはそれこそ信用台無しになる。人を変えて、何回か検算をする。まるでお祭り騒ぎであった。
その積数計算をする時の残高は、預金では「毎日の最低残高」で、「貸出金」の場合は「毎日の最高残高」で積数計算をすることに気付いた。「金融機関は儲かるシステム」だと感心した。
最近のATM機
地方銀行のATM機も最近かなり様変わりしていた。いつもはATM店舗で用が足りて、銀行へ行くことはない。本当に便利な時代である。昔は、若い窓口嬢と無駄口を叩くのが楽しみであったが・・・。
実は銀行へ行ったのは総合口座通帳が満杯になっていそうなので、通帳の更新のためであった。余り残高がないにもかかわらず、通帳を更新するのは店員に何となくバツが悪い。しかし仕方がない。銀行支店に設置されているATM機では、未だ使用できない様であったが、既に指紋検出道具が設置されていた。その内に暗証番号と指紋で本人確認をするのだろう。
昔ATM機が出て来た頃は、見開き1頁ほどの入出金を「記帳」しないでほっておくと「ご記帳下さい」との表示が出て来た。だから結構マメに記帳していた。しかし最近はその様な表示は全く出てこない。ふと気付くと一年ほど未記帳である。通帳・台帳管理から電算機管理に完全に移行していて通帳は単なる「顧客のため」のプリントアウトの意味しかないのであろう。
窓口へ行くと、「通帳の更新でしたら、ATM機で出来ます。」「その方が早いです。」隣のATM機でお年寄りと言っても若干「さいら」よりも若そうであったが、
銀行のATM指導係から説明を受けながら操作していた。ATM機へ行くと確かにそれらしきボタンがある。指示通り通帳を挿入するが、「その通帳は更新できません。」と出て来る。「??」念のために、「記帳」を選んで、今使っている通帳を最後の頁まで全て記帳した。しかる後にもう一度「更新」をした。成る程、今回は上手く行った。
新しい通帳が出て来て、なおしばらく待つと古い通帳に<ご使用済み>と印字されて、出て来た。昔の[void]と穴あけされた使用済み通帳が懐かしい。
そう言えば、通帳に押されていた「使用印鑑」も何年か前に安全のためとかで取り払っている。印鑑に代わり、暗証番号が、そして間もなく、指紋に取って代わる。驚いた。銀行の合理化も此処まで来たのかと驚いた。多分、現在の金融機関の方達は前の記事の様な利上げの実務経験はないであろう。
それと、確かに普通預金口座は電算機でするにしてもコストがかかる。管理料を取られたとしても文句は言えない。そして、あのATM機の中には通信設備や現金だけでなく「未使用通帳」も蓄えられているのに気付くと、これも驚きであった。さらに、こういう進歩に老齢化した「さいら」が何処までついて行けるのか本当に心配になった。後数年すれば、隣のATMの老人の様に、指導員に説明を受けなければならないのが目に見えている。
次の記事「最近のATM機」の前置きである。若い時に希望して、或る漁協で「複式簿記実習」を受けたことがある。相当徹底した実習で、窓口に座り、全ての記帳・利上げ・決算整理も一通り実地に研修した。漁協の簿記は結構複雑で、購買事業は「商業簿記」、信用事業は「銀行簿記」、加工をしておれば「工業簿記」、それに得体の分からない「指導事業」も有る。 その時に決算は台帳から自動的に作成されるのではなくて、或る目的・意図を誘導して作成される摩訶不思議な世界であることも知った。 簿記の練習には持ってこいであった。一日の帳尻が合わない時は、それこそ遅くまで原因究明に努めた。それでも究明できない時はやむを得ず「過不足勘定」を利用して後日に究明をした。便利な勘定科目に感心した。
随分昔の話で、当時、通帳も台帳も手書きであった。勿論、ATM機もない時代だ。金融機関は護送船団の時代で、ほんの小さな漁協でも、信用事業は稼ぎ頭であった。入出金があると通帳と台帳、それに、仕訳伝票に手書きをしていた。台帳ファイルが何冊も並んでいた。面倒・単純な仕事ではあった。
それよりも、普通預金の年二回の「利上げ」は実に面倒であった。入出金がある都度、その預金者台帳に入出金で残高が変わる都度、その残高とその日数を掛けた「積数」を算盤で計算する。その利上げ期間の積数合計に日歩の利率を掛けて「利上げ」となる。途中で利率変更があるとその分手間が増える。確か、日数早見表を手元に置いていた様に思う。 金融機関が計算間違いをしてはそれこそ信用台無しになる。人を変えて、何回か検算をする。まるでお祭り騒ぎであった。
その積数計算をする時の残高は、預金では「毎日の最低残高」で、「貸出金」の場合は「毎日の最高残高」で積数計算をすることに気付いた。「金融機関は儲かるシステム」だと感心した。
最近のATM機
地方銀行のATM機も最近かなり様変わりしていた。いつもはATM店舗で用が足りて、銀行へ行くことはない。本当に便利な時代である。昔は、若い窓口嬢と無駄口を叩くのが楽しみであったが・・・。
実は銀行へ行ったのは総合口座通帳が満杯になっていそうなので、通帳の更新のためであった。余り残高がないにもかかわらず、通帳を更新するのは店員に何となくバツが悪い。しかし仕方がない。銀行支店に設置されているATM機では、未だ使用できない様であったが、既に指紋検出道具が設置されていた。その内に暗証番号と指紋で本人確認をするのだろう。
昔ATM機が出て来た頃は、見開き1頁ほどの入出金を「記帳」しないでほっておくと「ご記帳下さい」との表示が出て来た。だから結構マメに記帳していた。しかし最近はその様な表示は全く出てこない。ふと気付くと一年ほど未記帳である。通帳・台帳管理から電算機管理に完全に移行していて通帳は単なる「顧客のため」のプリントアウトの意味しかないのであろう。
窓口へ行くと、「通帳の更新でしたら、ATM機で出来ます。」「その方が早いです。」隣のATM機でお年寄りと言っても若干「さいら」よりも若そうであったが、
銀行のATM指導係から説明を受けながら操作していた。ATM機へ行くと確かにそれらしきボタンがある。指示通り通帳を挿入するが、「その通帳は更新できません。」と出て来る。「??」念のために、「記帳」を選んで、今使っている通帳を最後の頁まで全て記帳した。しかる後にもう一度「更新」をした。成る程、今回は上手く行った。
新しい通帳が出て来て、なおしばらく待つと古い通帳に<ご使用済み>と印字されて、出て来た。昔の[void]と穴あけされた使用済み通帳が懐かしい。
そう言えば、通帳に押されていた「使用印鑑」も何年か前に安全のためとかで取り払っている。印鑑に代わり、暗証番号が、そして間もなく、指紋に取って代わる。驚いた。銀行の合理化も此処まで来たのかと驚いた。多分、現在の金融機関の方達は前の記事の様な利上げの実務経験はないであろう。
それと、確かに普通預金口座は電算機でするにしてもコストがかかる。管理料を取られたとしても文句は言えない。そして、あのATM機の中には通信設備や現金だけでなく「未使用通帳」も蓄えられているのに気付くと、これも驚きであった。さらに、こういう進歩に老齢化した「さいら」が何処までついて行けるのか本当に心配になった。後数年すれば、隣のATMの老人の様に、指導員に説明を受けなければならないのが目に見えている。