この話は、リタイヤー直前の最後の職場で話したことで「書き下ろし」ではありません。勿論ネタ切れでもありません。最近、事務所が移転したので、少々懐かしくなって改めて話したくなりました。11ヶ月しか在職しなかったのですが、私の最後の職場は9階建てのオフィスビルの最上階にありました。勿論エスカレータは有りませんし、階段を上り下りするのもこの年令では大変です。ですから、当然もっぱらエレベータで上下移動することになります。定期券(勿論ICOCAでした。)を買ってJRとバスを乗り継ぐ通勤方法も久し振りです。若い頃の約3年間の東京勤務のときはビルの8階でしたので、それ以来の30年ぶりと言う久し振りの経験です。
エレベータでの儀礼というか、乗り方というか、プロトコルというのか、色々と短い期間でしたが、経験を積みました。勿論大袈裟に言えばの話です。今日・明日はその様なエレベータ風景をかなり誇張して少しお話しようと思います。
エレベータの籠に自分一人と言うときは、別にどうと言うことは有りません。籠に乗って、当然、自分の行く階を押して「閉」のボタンを押します。この「閉」のボタンを押す習慣は日本人のせっかちな性質との説もあります。実際、ヨーロッパのホテルには「閉」のボタンが有りませんでした。階の数え方も日本の1階が必ずしもヨーロッパでは1階でないので、どの階へ行くのにも指折り数えなければなりませんが、ここは日本ですのでそれは要らぬ心配です。今日は一人の場合が主です。しかし、一人の場合であっても若干の注意を必要とします。
少し遅れて駆け込みの人が居るかもしれません。そのために、とりあえず「開」のボタンを押して、荷物ではないのですが、積み残しがないか、駆け込みの人が居ないかどうかを必ず確認しなければなりません。これは、自分が駆け込みのときにこのようにして頂いたことがあり、嬉しかった経験に基づいています。エレベータの前に来た途端にドアーが閉まってしまう。そう言うことが往々に有ります。外からその閉まったエレベータの「上下」ボタンを押して、上がって行こうとするエレベータを無理矢理止めて乗り込むことは気が弱い私には出来る訳がありませんしプロトコルに反します。
籠から降りるときです。エレベータが停止したからと言っても必ずしも自分の行きたい階で止まったとは限りません。途中の階でエレベータを呼んでいる人がいるときもあるからです。必ず、止まった階が自分の行きたい階かどうかを視線を斜め上にして注意深くエレベータの階数表示の確認をしなければなりません。始めの内は、止まれば当然自分が行きたい階だと勝手に思い込んでしまい、慌てて籠から降りることが何回かありました。降りると、全く違う事務所風景が目に入ります。一瞬「訳ワカメ」。そのときには、「自分はやっぱり『自己中』の人だ」と思って反省します。同様にして、エレベータに乗るときにも注意が必要です。エレベータを待っていて、その階にエレベータが止まっても、慌てて乗り込んではいけません。先ず、自分の行きたい方(そのエレベータが上がるのか、下がるのかですが)を確認しなければなりません。
更に、エレベータが止まっても、籠から降りる人が居るかもしれません。反射的に「開けば乗る」は禁物です。降りる人が居るのに慌てて乗り込むとその人とガツンコします。このような狭いところでは人と人が接触する事態は必ず避ける必要があります。先ず当然ですが、降りる人が優先します。それを見極めてから、徐に乗り込む必要があります。
さて、昨日の続きで今回は混雑する時の乗り方です。
数人がエレベータに乗ることがあります。朝の通勤時です。ラッシュは電車だけではありません。エレベータも同じです。同じビルに勤務されているのですが、お互いに全く知らない職場の方とかです。そのときには、男性たるものは、できるだけ素早くボタンを押したりする操作パネルの前に立つことが肝要です。そして一言「何階へお行きですか?」「7階をお願します。」「5階です。」そして私は5階と7階のボタンを押します。万が一のことがありますので、階の低い方から押さなければなりません。
後から乗ったときには、決して自分の手を伸ばして、行きたい階のボタンを押してはいけません。例え、遠慮の気持ちがあってでもです。必ず、操作パネルの近くに人がいます。「恐れ入りますが、9階をお願します。」と言えば、その方は9階のボタンを押してくれます。操作パネルの前の人は当然のことと弁えています。その内、同じフロアーの方ですが、私の方を見て、ニコッと「9階ですね。」と言って、ボタンを押してくれることになります。遠くから手を伸ばして自分でボタンを押すことは、時として、その人の胸の当りにニョキッと手が行き誤解の元になります。そして、降りるときには、操作パネルの前の人は、「開」のボタンを全員が降りるまで押し続けていますので、当然最後になります。一言「お先に」とか「ありがとう」と軽く会釈をして籠から出ます。
時々困るというか気まずい時があります。それは籠の中に二人だけ、しかもその一人が女性の場合です。実は、そのビルは7階と9階に生命保険の事業所があります。女性営業部員の方々が頻繁に出入りします。私はその様な場面を期待してエレベータに乗るのでは決してないのですが、割合多くあります。営業の人ですので、殆どの人は愛想良く、服装も色々です。共通項は「大きい」バッグでしょうか。そう言う時には、全く知らない方であっても「今日は暑いですね」とか差し障りが無い話を一言二言します。これで気まずさは無くなります。時には、エレベータの中だけでの会話の継続もあります。「どんなお仕事ですか?」「難しそうな会社のお名前ですね?」と言うようなときには、その都度継続した話になります。丁度その頃私は「介護保険」の調査に従事しておりました。民間の介護保険は国のそれとどのような補完関係があるのか少し知りたかったので、事情を話すと、パンフレットと「間違えて説明するといけませんので」と上司の方と一緒に来て、説明をしてくれます。
その内に「お食事でもどうですか?」と誘える関係は期待しても全くムリムリです。「お互いに」と言いたい所ですが、少なくとも私は「合コン」の世代からは、はるか遠くになっていますから。
一回のエレベータはほんの短い間ですが、エレベータの狭い籠の中は、或るときは一人さびしく、或るときは二人、数人、時には袖が触れ合うギュウギュウ詰め。一瞬の時間であっても、狭いながらも多様な関係が有ります。しかもエレベータはバスとか電車と違う何か独特の雰囲気があります。それは多分、仕事は全く異なっても、同じビルの中で働いている「帰属」意識が自然と現れるためのように思えます。そこが、電車とかバスとかと異なる所です。そして最初に触れた「外交プロトコル」「社会生活でのコミュニュケーション」がどうしても必要な人間社会を感じ取ります。人種が混在していて、過去に人種差別で大きな社会問題を起こした歴史を持つ米国社会ではごく短時間の旅行でもそのことを実感します。
エレベータでの儀礼というか、乗り方というか、プロトコルというのか、色々と短い期間でしたが、経験を積みました。勿論大袈裟に言えばの話です。今日・明日はその様なエレベータ風景をかなり誇張して少しお話しようと思います。
エレベータの籠に自分一人と言うときは、別にどうと言うことは有りません。籠に乗って、当然、自分の行く階を押して「閉」のボタンを押します。この「閉」のボタンを押す習慣は日本人のせっかちな性質との説もあります。実際、ヨーロッパのホテルには「閉」のボタンが有りませんでした。階の数え方も日本の1階が必ずしもヨーロッパでは1階でないので、どの階へ行くのにも指折り数えなければなりませんが、ここは日本ですのでそれは要らぬ心配です。今日は一人の場合が主です。しかし、一人の場合であっても若干の注意を必要とします。
少し遅れて駆け込みの人が居るかもしれません。そのために、とりあえず「開」のボタンを押して、荷物ではないのですが、積み残しがないか、駆け込みの人が居ないかどうかを必ず確認しなければなりません。これは、自分が駆け込みのときにこのようにして頂いたことがあり、嬉しかった経験に基づいています。エレベータの前に来た途端にドアーが閉まってしまう。そう言うことが往々に有ります。外からその閉まったエレベータの「上下」ボタンを押して、上がって行こうとするエレベータを無理矢理止めて乗り込むことは気が弱い私には出来る訳がありませんしプロトコルに反します。
籠から降りるときです。エレベータが停止したからと言っても必ずしも自分の行きたい階で止まったとは限りません。途中の階でエレベータを呼んでいる人がいるときもあるからです。必ず、止まった階が自分の行きたい階かどうかを視線を斜め上にして注意深くエレベータの階数表示の確認をしなければなりません。始めの内は、止まれば当然自分が行きたい階だと勝手に思い込んでしまい、慌てて籠から降りることが何回かありました。降りると、全く違う事務所風景が目に入ります。一瞬「訳ワカメ」。そのときには、「自分はやっぱり『自己中』の人だ」と思って反省します。同様にして、エレベータに乗るときにも注意が必要です。エレベータを待っていて、その階にエレベータが止まっても、慌てて乗り込んではいけません。先ず、自分の行きたい方(そのエレベータが上がるのか、下がるのかですが)を確認しなければなりません。
更に、エレベータが止まっても、籠から降りる人が居るかもしれません。反射的に「開けば乗る」は禁物です。降りる人が居るのに慌てて乗り込むとその人とガツンコします。このような狭いところでは人と人が接触する事態は必ず避ける必要があります。先ず当然ですが、降りる人が優先します。それを見極めてから、徐に乗り込む必要があります。
さて、昨日の続きで今回は混雑する時の乗り方です。
数人がエレベータに乗ることがあります。朝の通勤時です。ラッシュは電車だけではありません。エレベータも同じです。同じビルに勤務されているのですが、お互いに全く知らない職場の方とかです。そのときには、男性たるものは、できるだけ素早くボタンを押したりする操作パネルの前に立つことが肝要です。そして一言「何階へお行きですか?」「7階をお願します。」「5階です。」そして私は5階と7階のボタンを押します。万が一のことがありますので、階の低い方から押さなければなりません。
後から乗ったときには、決して自分の手を伸ばして、行きたい階のボタンを押してはいけません。例え、遠慮の気持ちがあってでもです。必ず、操作パネルの近くに人がいます。「恐れ入りますが、9階をお願します。」と言えば、その方は9階のボタンを押してくれます。操作パネルの前の人は当然のことと弁えています。その内、同じフロアーの方ですが、私の方を見て、ニコッと「9階ですね。」と言って、ボタンを押してくれることになります。遠くから手を伸ばして自分でボタンを押すことは、時として、その人の胸の当りにニョキッと手が行き誤解の元になります。そして、降りるときには、操作パネルの前の人は、「開」のボタンを全員が降りるまで押し続けていますので、当然最後になります。一言「お先に」とか「ありがとう」と軽く会釈をして籠から出ます。
時々困るというか気まずい時があります。それは籠の中に二人だけ、しかもその一人が女性の場合です。実は、そのビルは7階と9階に生命保険の事業所があります。女性営業部員の方々が頻繁に出入りします。私はその様な場面を期待してエレベータに乗るのでは決してないのですが、割合多くあります。営業の人ですので、殆どの人は愛想良く、服装も色々です。共通項は「大きい」バッグでしょうか。そう言う時には、全く知らない方であっても「今日は暑いですね」とか差し障りが無い話を一言二言します。これで気まずさは無くなります。時には、エレベータの中だけでの会話の継続もあります。「どんなお仕事ですか?」「難しそうな会社のお名前ですね?」と言うようなときには、その都度継続した話になります。丁度その頃私は「介護保険」の調査に従事しておりました。民間の介護保険は国のそれとどのような補完関係があるのか少し知りたかったので、事情を話すと、パンフレットと「間違えて説明するといけませんので」と上司の方と一緒に来て、説明をしてくれます。
その内に「お食事でもどうですか?」と誘える関係は期待しても全くムリムリです。「お互いに」と言いたい所ですが、少なくとも私は「合コン」の世代からは、はるか遠くになっていますから。
一回のエレベータはほんの短い間ですが、エレベータの狭い籠の中は、或るときは一人さびしく、或るときは二人、数人、時には袖が触れ合うギュウギュウ詰め。一瞬の時間であっても、狭いながらも多様な関係が有ります。しかもエレベータはバスとか電車と違う何か独特の雰囲気があります。それは多分、仕事は全く異なっても、同じビルの中で働いている「帰属」意識が自然と現れるためのように思えます。そこが、電車とかバスとかと異なる所です。そして最初に触れた「外交プロトコル」「社会生活でのコミュニュケーション」がどうしても必要な人間社会を感じ取ります。人種が混在していて、過去に人種差別で大きな社会問題を起こした歴史を持つ米国社会ではごく短時間の旅行でもそのことを実感します。