海苔の話題あれこれ(1)
久々に藻類の話である。藻類の過去記事は記事数は少ないのですが臨時的にカテゴリ「藻類」に取り纏めました。そちらも宜しければお願いします。日本人にとってノリは最もポピュラーな藻類であろう。別に生命を維持するために必要な食品ではないが、寿司の材料になるだけでなく焼き海苔・味付け海苔・きざみ海苔は単品としても食卓の一品である。
焼き海苔は、焼く時の香りは何とも言えない。どちらかというと焼いて、手で適当な大きさに切って、食べるのが海苔の食べ方としては「さいら」の一番の好みだ。「さいら」もその時は柄になく、日本人だと思ってしまう。 韓国海苔は実は原料は「イワノリ」だそうだ。薄いわりには、ごま油が程良く利いた風味は日本には無いもので最初驚いた。食文化の微妙な違いを感じる。「海苔の佃煮」の海苔はラベルを見るとよく分かるが、所謂海苔(すさび海苔)とは全く違うアオサが原料である。これは別に海苔でなくても、醤油味をペースト状にすることで、日本人好みの食卓を飾る。ご飯のジャムのようなものだ。
昔海苔を保存した缶はお茶の缶と同様にその密閉がキッチリとしているのに感心したものだ。どちらも湿気が保存に悪いことと毎日買う物でないのと贈答用のため見栄えが必要なためであろう。一番の理由は「乾燥剤」がなかったことによる。
藻類(10):食用(6):海苔(2)
海苔の下らない話題を二つ。安旅館の朝食に付いてくる味付け海苔は「せめて海苔ぐらいはもう少し良いノリを使わないのか?」と不思議に思う。海苔を「ブラックペーパー」というらしいが、とても「ブラック」のイメージはない。黒緑で透かせば向こうがハッキリ見える。その薄さから、味付け海苔の価格は「面積」と「枚数」でなくて重さで決めた方が良いと思ってしまう。中には保存状態が悪いのか、保存期間をとっくに過ぎたのか、一枚一枚剥がれずに、「酢昆布」のような厚さなっている。安旅館にしか泊まれない自分の身分を棚に上げて、朝から不愉快になる。大概の場合は、封を切るが、食べない。海苔の消費に役立てようの配慮である。
コンビニで買う「おにぎり」の海苔は実に巧くできている。海苔と飯を分離している。しかし、「さいら」はこれが苦手である。幾つか方法がある様で、完全に上手く巻けた試しがない。
巻きずしは最もポピュラーな海苔の食べ方である。最近では「手巻き寿司」もよく目にとまる。普通の巻きずしも決して「機械巻き」ではないだろう。何故「手巻き」というのかと考えると「まきす」という道具を使わないから「手巻き」というのだろう。確かに「巻きずし」は一見「まきす」なしでも巻けそうであるが、やってみるとそうは上手く行かない。精々海苔を切腹させるのが落ちである。我が家での「今日は手巻き寿司」は「手抜き巻き」で、仕方なく自分で巻かざるを得ない。誰かが巻いてくれて、「はい。アーン。」と言って食べさせてくれる。何てことはあり得ない。想像するだけで、誰かに叱られそうである。何か二つの記事を無理矢理くっつけた様な記事で申し訳ないです。
藻類(11):食用藻類(7):海苔(3)
寿司屋の海苔。藻類シリーズは他にも記事にしなければならないことがあるがこの後、もう一つ記事を投稿して終わりにしようと思う。
知らぬ土地で、予備知識も持たないで寿司屋に行くのはそもそも相当しんどい。寿司屋の親父と会話が可能かどうか心配である。中にはとんでも無い「阪神ファン」が居る。それよりも何よりも「時価」という恐ろしげな「値段表」がまかり通る。
「まず、卵焼きと海苔巻きを頼め。」「それが通というものだ。」これは教官殿の教え。実に肝心なことではなくて下らないことでは色んなことを教える学校であった。まかり間違っても、通気取りで、「しゃり抜き」とか「ガレージ」とか言ってはならない。卵焼きはその寿司屋の技量を(最近の卵焼きは「お取り寄せ」もある)、海苔はその寿司屋の原材料の拘りと焼き方の技量だ。そして、「千葉だね。有明でないね。」なんて海苔の蘊蓄を一言言えば効果は覿面で、「暴利」は避けられる。勇気があるなら、卵焼きと海苔巻きだけ食べて、勘定して店を出るのが良い。その勘定と味で、その寿司屋のレベルが分かる。安いと思えば、或いは懐勘定と合うと思えば、
少し時間をおいてその店へ行けばよい。亭主は喜んでホンマモンの通として迎えてくれる。さらに、数日滞在するときはその店の馴染みになると、亭主自慢のネタも格安で握ってくれる。こうして、一応「通ぶる」ことによって後々まで牽制効果がある。
とは言え、寿司屋の「時価」のその土地の相場は大体知っておく必要はある。
藻類(12):食用類(8):海苔(4)
藻類最後の記事なので少し真面目に。和歌山県に就職した昭和43年当時、和歌山の海苔はもう衰退しつつあった。あっちこっちに海苔ひびの残骸が見られた。以前は「和歌海苔」として有名な産地であったのであるが。そして、その内に遂に大阪府にもその生産量で負ける事態となった。何処が和歌山県は水産県なのか?これは本当のところ大ショックであった。ただ、大阪府の海苔生産普及には我が同級生の並々ならぬ努力があったことは確かだ。「さいら」はその狭間に揺れて悩んでしまう。
海苔を特に取り上げるのは、学生時代に或る教官の教えがあるからである。海苔は世界中でも何処でも食するというものではない。世界中の学者が研究しているものではない。我が国では海苔養殖が盛んになって、その安定的な生産が大きな課題であった。海苔の研究者は多分質・量共にダントツの世界一であったと想像している。
しかし、その生活史(どうも最近は生活環と言うらしいが)は不明であった。生活史が不明では基本的な所で安定的生産のための手筈を考えることは出来ない。その生活史、特に夏に何処へ行ったのか皆目分からなかった。我が国の研究者は一生懸命研究したのであるが。しかし、冬になると不思議なことに何となく海苔が出来た。当時の我が国の海苔研究者は一生懸命に夏季の生活史解明に努力したのであるが、分からなかった。
ところが、確か戦中のことであったと思うが、イギリス(だったと思う)の女性研究者(この「女性」は間違いがない。「さいら」はその点では記憶力がよい。)がその生活史を解明した。夏は貝殻の中で糸状になって育っていたのである。そう言われてみると確かに貝殻に黒い糸状の筋が顕微鏡・肉眼で見える。
その講義を終えた教官は我々に戒めた。「幾ら実学であっても、枝葉末節だけでなく、時には基本に戻って、視野を広げて、研究することが一番重要である。」実学と言うことにに染まりきらないように我ら学生を戒めた。「さいら」は以降研究なんて困難な仕事に従事することはなかったが、どんなことであっても、困難に突き当たった時にはこの教官の言葉を思い出す。
久々に藻類の話である。藻類の過去記事は記事数は少ないのですが臨時的にカテゴリ「藻類」に取り纏めました。そちらも宜しければお願いします。日本人にとってノリは最もポピュラーな藻類であろう。別に生命を維持するために必要な食品ではないが、寿司の材料になるだけでなく焼き海苔・味付け海苔・きざみ海苔は単品としても食卓の一品である。
焼き海苔は、焼く時の香りは何とも言えない。どちらかというと焼いて、手で適当な大きさに切って、食べるのが海苔の食べ方としては「さいら」の一番の好みだ。「さいら」もその時は柄になく、日本人だと思ってしまう。 韓国海苔は実は原料は「イワノリ」だそうだ。薄いわりには、ごま油が程良く利いた風味は日本には無いもので最初驚いた。食文化の微妙な違いを感じる。「海苔の佃煮」の海苔はラベルを見るとよく分かるが、所謂海苔(すさび海苔)とは全く違うアオサが原料である。これは別に海苔でなくても、醤油味をペースト状にすることで、日本人好みの食卓を飾る。ご飯のジャムのようなものだ。
昔海苔を保存した缶はお茶の缶と同様にその密閉がキッチリとしているのに感心したものだ。どちらも湿気が保存に悪いことと毎日買う物でないのと贈答用のため見栄えが必要なためであろう。一番の理由は「乾燥剤」がなかったことによる。
藻類(10):食用(6):海苔(2)
海苔の下らない話題を二つ。安旅館の朝食に付いてくる味付け海苔は「せめて海苔ぐらいはもう少し良いノリを使わないのか?」と不思議に思う。海苔を「ブラックペーパー」というらしいが、とても「ブラック」のイメージはない。黒緑で透かせば向こうがハッキリ見える。その薄さから、味付け海苔の価格は「面積」と「枚数」でなくて重さで決めた方が良いと思ってしまう。中には保存状態が悪いのか、保存期間をとっくに過ぎたのか、一枚一枚剥がれずに、「酢昆布」のような厚さなっている。安旅館にしか泊まれない自分の身分を棚に上げて、朝から不愉快になる。大概の場合は、封を切るが、食べない。海苔の消費に役立てようの配慮である。
コンビニで買う「おにぎり」の海苔は実に巧くできている。海苔と飯を分離している。しかし、「さいら」はこれが苦手である。幾つか方法がある様で、完全に上手く巻けた試しがない。
巻きずしは最もポピュラーな海苔の食べ方である。最近では「手巻き寿司」もよく目にとまる。普通の巻きずしも決して「機械巻き」ではないだろう。何故「手巻き」というのかと考えると「まきす」という道具を使わないから「手巻き」というのだろう。確かに「巻きずし」は一見「まきす」なしでも巻けそうであるが、やってみるとそうは上手く行かない。精々海苔を切腹させるのが落ちである。我が家での「今日は手巻き寿司」は「手抜き巻き」で、仕方なく自分で巻かざるを得ない。誰かが巻いてくれて、「はい。アーン。」と言って食べさせてくれる。何てことはあり得ない。想像するだけで、誰かに叱られそうである。何か二つの記事を無理矢理くっつけた様な記事で申し訳ないです。
藻類(11):食用藻類(7):海苔(3)
寿司屋の海苔。藻類シリーズは他にも記事にしなければならないことがあるがこの後、もう一つ記事を投稿して終わりにしようと思う。
知らぬ土地で、予備知識も持たないで寿司屋に行くのはそもそも相当しんどい。寿司屋の親父と会話が可能かどうか心配である。中にはとんでも無い「阪神ファン」が居る。それよりも何よりも「時価」という恐ろしげな「値段表」がまかり通る。
「まず、卵焼きと海苔巻きを頼め。」「それが通というものだ。」これは教官殿の教え。実に肝心なことではなくて下らないことでは色んなことを教える学校であった。まかり間違っても、通気取りで、「しゃり抜き」とか「ガレージ」とか言ってはならない。卵焼きはその寿司屋の技量を(最近の卵焼きは「お取り寄せ」もある)、海苔はその寿司屋の原材料の拘りと焼き方の技量だ。そして、「千葉だね。有明でないね。」なんて海苔の蘊蓄を一言言えば効果は覿面で、「暴利」は避けられる。勇気があるなら、卵焼きと海苔巻きだけ食べて、勘定して店を出るのが良い。その勘定と味で、その寿司屋のレベルが分かる。安いと思えば、或いは懐勘定と合うと思えば、
少し時間をおいてその店へ行けばよい。亭主は喜んでホンマモンの通として迎えてくれる。さらに、数日滞在するときはその店の馴染みになると、亭主自慢のネタも格安で握ってくれる。こうして、一応「通ぶる」ことによって後々まで牽制効果がある。
とは言え、寿司屋の「時価」のその土地の相場は大体知っておく必要はある。
藻類(12):食用類(8):海苔(4)
藻類最後の記事なので少し真面目に。和歌山県に就職した昭和43年当時、和歌山の海苔はもう衰退しつつあった。あっちこっちに海苔ひびの残骸が見られた。以前は「和歌海苔」として有名な産地であったのであるが。そして、その内に遂に大阪府にもその生産量で負ける事態となった。何処が和歌山県は水産県なのか?これは本当のところ大ショックであった。ただ、大阪府の海苔生産普及には我が同級生の並々ならぬ努力があったことは確かだ。「さいら」はその狭間に揺れて悩んでしまう。
海苔を特に取り上げるのは、学生時代に或る教官の教えがあるからである。海苔は世界中でも何処でも食するというものではない。世界中の学者が研究しているものではない。我が国では海苔養殖が盛んになって、その安定的な生産が大きな課題であった。海苔の研究者は多分質・量共にダントツの世界一であったと想像している。
しかし、その生活史(どうも最近は生活環と言うらしいが)は不明であった。生活史が不明では基本的な所で安定的生産のための手筈を考えることは出来ない。その生活史、特に夏に何処へ行ったのか皆目分からなかった。我が国の研究者は一生懸命研究したのであるが。しかし、冬になると不思議なことに何となく海苔が出来た。当時の我が国の海苔研究者は一生懸命に夏季の生活史解明に努力したのであるが、分からなかった。
ところが、確か戦中のことであったと思うが、イギリス(だったと思う)の女性研究者(この「女性」は間違いがない。「さいら」はその点では記憶力がよい。)がその生活史を解明した。夏は貝殻の中で糸状になって育っていたのである。そう言われてみると確かに貝殻に黒い糸状の筋が顕微鏡・肉眼で見える。
その講義を終えた教官は我々に戒めた。「幾ら実学であっても、枝葉末節だけでなく、時には基本に戻って、視野を広げて、研究することが一番重要である。」実学と言うことにに染まりきらないように我ら学生を戒めた。「さいら」は以降研究なんて困難な仕事に従事することはなかったが、どんなことであっても、困難に突き当たった時にはこの教官の言葉を思い出す。