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高齢者になっても、ヒマ・ひま・暇やはり暇

高齢者「さいら」ブログ。リタイヤーから、晴れて高齢者の仲間入り。店名をマイナーチェンジ。内容は以前と同様雑他。

1999年、私の中国山東省(4)酒と乾杯と会食

2007年04月21日 | 外国旅行:三題
1999年、私の中国山東省(7)酒と乾杯と会食(1)
 前回で「車窓からの風景」はひとまず終了しました。今回から、暫くは「酒と乾杯と会食」と題して、食事に関わる話になります。実は当初の見出しは「酒と乾杯と宴席」でしたが、もろもろの事情を勘案して、そして、宴席と言える代物ではないと思ったこともあって、「宴席」を「会食」に変更しました。
 かなり、不謹慎な話ではありますが、私にとって、今回の中国訪問での印象は、ここから始まり、これで終わりに近いのです。所変わっても、これは滞在中ある日は昼に、ある日は夜に、と毎日続いたので、車窓からの風景と同様に印象に残るのは当然です。昼の会食は我々日本人の感覚では“如何なものか”と思うのですが、次のような事情があります。

勤務体系
 中国の一般的なサラリーマン・公務員の勤務時間は、日本と同じで週休二日制。但し、日本のように祝祭日は多くなく、中国のカレンダーで見る限りは、新・旧の元旦の2日間と建国記念日合計3日間です。労働時間は一日8時間、一週間40時間です。超過勤務をしても、超勤手当ては原則としてありません。朝は8時が始業時刻です。午後6時半が終業時刻です。午前・午後それぞれ4時間ずつ働きます。ですから、昼休みは12時から2時半まで、タップリと二時間半あります。これが昼の会食の事情です。
 朝食は簡単に、昼食はゆっくりと時間をかけてと言うのが中国の流儀です。その流儀が昼の会席に繋がるのですが、物理的に次の訪問先は二時半以降にならないと人がいないし、迷惑がかかるための苦肉の設営と言う事情もありそうです。
 それよりも、昼の会席の方が安上がりで夜はホテルでゆっくりとくつろいで貰う配慮があるかも知れません。

マオタイ酒
 まず、酒です。中国の有名な酒は、「老酒」、公式の乾杯酒の「マオタイ酒」そして山東省の有名な酒は煙台の「ワイン」、青島の「ビール」それくらいの知識であったのです。
 マオタイ酒は今年の3月に山東省日照市の水産関係の方々が来和された時に県主催の宴席にそれを持ってこられて、乾杯をしたので知ったのです。そのときに印象に残ったのが、団長が封を切るように部下に命じるのですが、儀式になれている外弁室の通訳以外の方々はその封を切る方法を知らなかったことです。曰く。「この酒は私の1ヶ月の給料分です。」「中国では飲んだことはありません。」と。その酒で、意気投合して、ついに私は、三日間酔いつぶれてしまいました。今回の中国訪問ではこの時に酔いつぶれたことが良い経験になった思い出の酒です。このマオタイ酒は今回の団員の中でも話題になっていました。それは「乾杯の酒」、「アルコールが非常に強い酒」そして「非常に高価な酒」としてです。実を言うと、既に何回か会食があったのですが、残念ながら、マオタイ酒は出て来ませんでした。
古い友人である「常」さんからこのマオタイ酒の差し入れがあり、ホテルの一室に  「常」さん共々溜まり込んで、皆で飲んだのです。会食で乾杯する酒も悪くはないのですが、適当に注いで適当に飲む日本流儀の酒も捨てたものではありません。その強い、燃えるアルコール度数と個性豊かな味と臭いには改めて、中国を代表する酒であると皆で確認をしたのですが、実のところ、宴席の乾杯に出てこなくて“残念”ではなくて、やっぱり“助かった”と私は思ったのであります。

地酒
酒で印象に残ったことがあります。それは、どこへ行っても、地酒があることです。焼酎(ここでは中国の蒸留酒の総称としてこの言葉を使っています。)だけではなくて、ビールそしてワイン。それぞれ食事をした所、宿泊した所に地酒があり、その地元に敬意を表してその土地土地の酒を所望しました。どれもこれもそれぞれ味わいがありました。 中国滞在中に色々とお世話をしていただいた「張」さんの説明では、元々焼酎は地酒が多いのですが、最近の地酒流行に拍車をかけている大きな要因は、二つあって、その一つは、中国人の生活も少しは豊かになって、色々な酒を飲むことが出来る程度にゆとりが出来たこと。他の一つは、酒税が日本と違って、地方税であるために、各地で競って地酒作りを奨励しているからとのことです。地方もそれぞれ財源を持たなければならないのは我が日本だけではなく、最近の中国事情です。
と言うような訳で、ワインもビールも飲みますが、乾杯の酒はほとんどが焼酎です。北京での最後の夕食では「折角中国へ来て、老酒を飲まないのもなんだから」と張さんの提案で老酒を飲みました。しかしその時点では私の体は完全に焼酎に慣れてしまっていて、度数も日本酒に似たそしてまったりとした味の老酒には、戸惑いを感じてしまいました。飲まなかった割には、翌日は日本酒と同様の二日酔い気味。

1999年、私の中国山東省(8)酒と乾杯と会食(2)
乾杯 
 乾杯の話に戻ります。日本の乾杯は、宴席を始める最初の儀式で、その後は、適宜それぞれが差しつ差されつ飲む流儀ですが、中国では、全く異なります。
 乾杯は通常、ビールやワインではしません。と書いたのですが、或るクラブで大ジョッキで乾杯していたグループを見ました。矢張り、飲み干しています。とても付き合いきれない思いをしました。)中国人同士ではもっと大きいグラスかもしれませんが、「ぐい飲み」位のグラスで乾杯をします。最初は、主催者が、そして、メインのゲストとどうも順番はあるようですが、その内にそれぞれが乾杯の前口上を言って、乾杯です。そしてその方法は、立ち上がって、腕を少し前に突き出して、「乾杯」と発声して、そのグラスの酒を飲み干します。
 中国語では“乾杯”は、“干杯”と書きますが、その字が示す通り、“飲み干す”のが基本です。飲み干したかどうかはグラスを傾けて皆に見せるのですが、今回は透明なグラス故にそのようなことは不必要です。すぐに、誰が見てもわかります。中には覗き込む人もいました。飲み干していない場合には、飲み干すように、進められます。と言うよりは飲み干すように強く促されます。
ウエイトレスが空になったグラスに焼酎を注ぎます。その時には日本人が良く行なう仕草である、グラスを少し持ち上げる必要はありません。グラスはテーブルに置いたままです。我々はあくまでも乾杯して飲むこと、食べること、そして皆さんと談笑することに専念する必要があるからです。

前口上
 ある日、少し体の調子が悪いのと午後の予定があって、私はこっそりと水で乾杯をしました。それを目ざとい隣の主催者に見つけられ、その日は、以降彼の監視の下で、乾杯をする羽目となりました。
 乾杯の前口上は何でも良いのです。最初は、歓迎の言葉、次はそのお礼と儀礼的なものですが、それも同じことを繰り返すことも出来ません。ある時、団員きっての酒豪の団長は「酒は飲めないのではないのですが、体の調子が悪く、薬が手放せない状態で、控えています。」と言って、乾杯を避けようとします。ホストも、「こんなに乾杯したのは本当に久しぶりです。実は私も長年入院していてやっと退院できたのです。ですから今も薬を手放せません。」と、お互いに自分のペースを守ろうとします。そこですかさず私は「私もです。」と血圧の薬を取り出して、「薬と病気に乾杯」。乾杯の話題は何でも良いのです。不愉快な思いをさせなければ良いのです。要は皆で「乾杯」して、皆さんに敬意を示すこと、親交を深めることに大きな意義があるのです。私も親交を深めることに努める必要が当然ありますので、飲めない体に鞭を打って、以降の訪問に大きな支障を出さない程度に一生懸命「乾杯」をしたのです。

新しい乾杯方法
 乾杯に関しては、今中国で流行している乾杯の仕方があります。前口上は同じですが、立って、乾杯のグラスを持って腕を少し突き出すのではなくて、料理を載せる中央にある回転台でグラスの底を「コツコツ」と小さく叩き「乾杯」といいます。それに呼応したように、皆が、「乾杯」と言って、同じように「コツコツ」と叩きます。
名づけて「インターネット方式の乾杯」。これを日本のテーブルでやってみたのですが、実感が出ません。料理を載せる丸い回転台があってこそ、回線が色々と繋がる「インターネット」の通信方法のイメージが湧いてくるのです。インターネットそのものはまだまだ日本ほど普及はしていないようですが、(1999年のことです。)そこに、新しいものを取り入れる。改革開放への意気込みを感じたのは私ばかりではないと思います。もっともこの乾杯には大きな利点があります。それは乾杯の都度立ち上がる必要がないことです。不精者の私にはもってこいです。

会食
 会食について、少し触れようと思います。12,3名ですと一つのテーブルになります。席は、その他団員は別にしてその序列によって、決まっていて、日本のそれとは異なります。回転台に新しい料理が載るとウエイトレスは、中国語で(当然ですが、)その料理の説明を簡単にしながら、手でそれを回転させて、主賓のところで止めます。ホストはそれを主賓に取分け、主賓が手をつけます。そして、左方向に回転させます。その回転方向は必ずいつでも「左へ」と決まっています。決して、食べたい料理を取り易いからといって、右へまわしてはいけません。主賓の右手側は、主催者側の末席で案内してくれた「張」さんの席、その右側はお客側の末席で、事務局の席であるからです。

1999年、私の中国山東省(9)酒と乾杯と会食(3)
テーブル
 中央の回転台に、料理が次から次へと運ばれて、途中からは、その回転台は料理で一杯になりウエイトレスは何処へどうして置くか思案しながらです。又、ウエイトレスは、決して料理を客に取分けてはくれません。取り皿はあることはあるのですが、一人一枚です。汚れても、それを次々と取り替えてくれません。言えば、勿論新しいものに取り替えてくれますが。よく見ると、中国の人は、回転台から料理を箸で取って、そのまま直接口に入れています。ですから、まあ、取り皿は余り汚れないと言う訳です。しかし、それは少し違和感がないと言えばウソになります。骨入れもありません。仕方がないから、中国の人の真似をしてテーブルの上に適当に直接置きます。そして、その間は、乾杯が続くのです。
 テーブルはそれやこれやで、見る見る雑然としてきます。しかし、人は“しゃきっ”として、酔ってきません。その当たりが日本のテーブルは整頓、人は雑然の宴席と大きく異なります。これが済南までの大体の方法でした。

公式レセプション
 済南での公式のレセプションはそれまでの会食と趣が異なっていました。公式の会食は「外弁室」の主催です。にもかかわらず、水産関係で、私どもの古い友人の一人である「王」さんが出席されたことは、煙台で「常」さんに大歓迎を受けたことと併せて、中国が「昔の友人を大切にする国であること」を改めて、再確認することとなりました。
 料理の出し方が異なりました。新しい料理を回転台に載せて、左回りで主賓のところまで回転させるところまでは同じですが、そこで少し止めて、さらにそのまま、ゆっくり、ぐるりと例によって左へ一周させて、全員にその料理を見せます。そして、料理は一旦下げます。別のところにセットしてある配膳テーブルでその料理を各人の取り皿にかっこ良く取分けて、ウエイトレスが、それぞれの席に持ち運んできます。従って、回転台はいつまでたってもきれいな状態です。この違いは多分日本でも同じようにあるのでしょうが、そして余り意味がないのかもしれませんが、雑然としたテーブルから整頓されたテーブルへの変化は、インターネット方式の乾杯と併せてこれからの中国を暗示しているように思えてなりません。

段副主任
 公式のレセプションを主催したのは女性でした。中国ではいたるところで女性の社会進出が見られて、聞いて想像していた以上であったのです。バスの運転手しかり、各地を案内してくれた市関係の職員などなどです。これに止めをさしたのがその「段」副主任でした。彼女はアジア担当ではなく、欧米担当と聞きました。又、外弁の中でも新しい感覚の持ち主と聞きました。話題も豊富で、隣の席の人とぼそぼそと話す機会を与えません。その宴席を完全に取り仕切る様子でした。
 例えば、私は少し前から気になっていたのですが、中国の男性が腰のベルトに鍵束を下げている姿をよく目にしたので、それを聞くと、まずよく聞いてくれたと言う喜びを全面に出して、自分がいつも持っている鍵を指を折って一つづつ説明しながら、勘定して、やはり7個か8個になります。「私は女性ですから、ベルトには下げないで、それらをセカンドバッグに入れて持ち歩いている。」と女性らしい風情を見せながらも、持ち歩く鍵が多いのに困っている。なぜ鍵が多いのかと現在の中国の治安状況に触れ、そんなに多くの鍵を持ち歩く必要がない先進諸国に早く追い着きたいと。今の中国の政策を踏まえて、説明をしてくれます。そこで私は「東風が西風を圧倒する。ですね。」「我が国もそうありたいです。」
 正直言って、私は彼女の話題の豊富さ、堂々とした接待ぶり、身に付いた仕草などに圧倒されました。

これで、「酒と乾杯と会食」の項は終わりです。



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