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高齢者になっても、ヒマ・ひま・暇やはり暇

高齢者「さいら」ブログ。リタイヤーから、晴れて高齢者の仲間入り。店名をマイナーチェンジ。内容は以前と同様雑他。

米国一人旅(1):計画と出発

2006年03月20日 | 外国旅行:三題
米国一人旅(1):計画と出発(1):計画など
計画
 一度米国へ旅行したい気持ちは相当前から有りました。決して米国が好きという訳ではありませんが、世界に影響力を持っている米国を一度はこの目で見たいと思っておりました。それと、パックツアーと言うか団体旅行でない外国を一度経験したいと思っていました。串本時代の友人であるAさんがハーバード大学留学中と言うことで、この機会を逃がしては二度と行けないと思い、彼に無理を言って行くことにしました。
 折角行くのですから、Aさんのケンブリッジ周辺の他に、「西海岸へも」と欲張りました。2004年10月14日に関空を出発して、最初の1週間はボストンの川向こうのケンブリッジ市のAさんのマンションでお世話になり、22日にAさんとお別れをして、ボストンからサンフランシスコへ移動して、サンフランシスコからの帰国が28日の計画です。その間、丁度2週間です。私にしては初めての長期の旅行です。ケンブリッジではその間、ナイヤガラへAさんに連れて貰った以外は、私の希望もあり、ボストン・ケンブリッジ、ニューヨークは単独行動です。さらに、それ以降は全くのアシスタント無しのサンフランシスコです。

準備
 私どもの世代は少々英文は読めても、 会話することは全く不可能です。 英文を理解することもここ40年ほどは すっかりご無沙汰をしています。この旅行を思い立った時、 「少々の英会話も何とかしないと」と 確かに思っておりました。しかし、結局の所、今更の話で、 英語は全く出来ない状態で出発です。 市民図書館で借りた旅行案内書を2冊斜め読みして、 どうしても必要な入管・税関の会話を 手帳2ページほどに書き写して、 英語の準備は「ジ エンド」です。 後は最初の1週間の間に Aさんに頼れば、後は「何とかなるだろう。」の浅はかな考えです。
 最も力を入れて準備したことは、3週間ほど前から、毎日、朝夕合計約2時間、六十谷の坂道を急ぎ足で歩くことだけです。バスで観光する箇所へ連れて行ってくれる
パックツアーと違って、最後は体力勝負と考えました。「いざとなると何処までも歩く。」これが大切であろうと考えた次第です。
 後は万が一のことがあるので、日本大使館、領事館、旅行会社の現地の住所・電話番号を書き写し、クレジットカードやパスポートの控えを取ること位です。中国や台湾と違って、全く「円」で支払うことは出来そうに有りませんので、事前に現金とトラベラーズチェック(以下この小切手は度々出て来ますので「T/C」と略します。)を少々用意します。¥$の為替相場の円安傾向が気になります。手持ちが無くなれば、クレジットカードのキャッシュサービスを利用することにします。
一人旅となると、全てが新しい、珍しい、そして、体験となりました。

 思い出してみると、とても観光どころではありませんでした。以下は忘れない内に、思い出すままに断片的に纏めたものです。

米国一人旅(2):計画と出発(2):関空
旅行会社のカウンター
 14日の昼前に、自宅を出ます。関空発では、格安切符と言ってもその範囲内で「早く搭乗手続きをすれば、通路側が空いていることがあるかもしれない。」と言うことでしたので、何と出発4時間前に関空に到着です。
 重たい荷物を手押し車に乗せて、先ず旅行会社のカウンターを探します。しかしそれを探すのに一苦労です。「日本でこんな状態では先が思いやられる。」と考えながら、空港案内で聞きます。米国では、「そうやって聞くことも出来ないのだろう」と不安が出てきます。名前を言って無事に航空券の控えとホテル等の「バウチ」を受領します。もうそこで、疲れと安堵感一杯です。

 
搭乗チェックイン
 航空会社のカウンターで「もうチェックインは出来ますか?」名前と搭乗する便を言って、パスポートを出して尋ねます。「はい、もう出来ます。」外国の航空会社と言っても、此処は未だ日本です。カウンター係は勿論日本人です。日本語が未だ通じます。「通路側の座席は取れますか?」と希望する通路側を告げると「はい。一番後の席でしたら、取れます。」幸いなことに空いていました。そのお陰で通路側が取れました。「幸先は良い」と取りあえず、一人納得です。席は飛行機の最も後の席ですが、トイレに近いのが一番です。贅沢は言えません。客室乗務員の仕事をしていないときの観察も出来ます。と期待したのですが、生憎と客室乗務員は「男性」であることが分かります。
 そのカウンターでは関空~シカゴの搭乗券の他に乗り継ぎ便のシカゴ~ボストンの座席番号入りの搭乗券も渡されます。私は何回も念を押します。「これでしたら、シカゴで再度、搭乗チェックインする必要はないのですね。」「はい、接続カウンターで機内預け荷物を渡して、そのまま、セキュリティチェックへ行けばよいです。」間違いないですね」「はい、間違い有りません。」一方、カウンターの人は「荷物のタグはボストンまでになっていますが、シカゴで入国ですので、入国手続きはシカゴです。面倒ですが、必ず、機内預け荷物をシカゴで受け取るのを忘れないで下さい。」「入国・税関の手続きが終わると、少し歩いて頂くと、国内便のコネクティング カウンターが右手にあります。そこで、荷物を再び預けて下さい。」と念を押します。それは「旅行会社から聞いて、シミュレーション済み。」と軽い気持ちで聞き流します。
 機内預け荷物を預けて(少し面倒がありましたが)、朝から「水分摂取」を控えていた私はホッとして「喫茶店」へ直行です。そこで、少しの間、英気を養って、未だ、しなければならないことを反芻します。パックツアーでない一人旅のために、今までしたことがないことを出発までにしておかなければならないことが有ります。

携帯電話
 ドコモのカウンターでネット予約していた携帯電話の受領です。此処では、「ネットワーク暗証番号」の確認をします。帰ってきた時に、私の携帯を通話可能にするために使う必要があります。3点セットとか言って、「携帯と充電コードと変圧器」を
バッグに入れて貸してくれます。思ったよりは嵩高い荷物になります。
 携帯がない時代には通信の確保は、初めてで、会話が出来ない人には本当に大変だったと思います。これは旅行中にも思ったことです。飛行機の座席の前には電話機が有ります。街の中には公衆電話があり、ホテルでも勿論電話もあります。ですから、電話はいつでも掛けられますが、そんなに易しい様ではなさそうです。日本からの電話を受けるとなるとなおさら一層大変です。その点携帯ですと、何時も持ち歩きできますし、電話を掛けるにしても、受けるにしても、日本と同じです。「英語で掛かってくれば、単に切ればよいだけ」ですから。
残念なことは、その携帯ではメールやホームページを見ることが出来ないことです。(注:ごく最近の携帯では、それらも可能です。)ヴォーダフォンだとアメリカの基準とかと聞いていたのですが、それらは殆ど出来ないと言うことでした。(この事情も最近は大きく変わっています。)電話番号がそのまま使える「ドコモ」になりました。電話の掛け方の小冊子もくれます。それを読むのは、機内に決めます。どうせ国内ではその携帯は使えません。

クレジットカード
 次はJCBのカウンターです。万が一のときのために、キャッシングをしなければならないことを想定してのことです。キャッシングサービスを受けるには最初に登録した暗証番号が必要だそうです。日本でも同じらしいのですが、私は未だキャッシングをしたことがありません。更に、JCB提携の米国カード会社の確認も必要です。まずは、手持ちの「カード」が確かに米国で使用できるかを確認する必要があります。さらに、そのJCBカウンターを訪問して、米国で買い物をカードですると、何か恩恵があるとのこと等のためです。
 暗証番号確認のために、パスポートと車の免許証の提示を求められ、いささか慌てます。そこで外国でのキャッシングサービスのマニュアル・JCB加盟店一覧表を貰います。米国ではATM機にもカード挿入式だけでなく、スライド式も有って、少しずつ違うのに面食らいます。キャッシングは事前のシミュレーションは余りに単純すぎて、それも機内で勉強することにします。どうせ、機内は退屈するに決まっています。

出国準備終了
 以上で出国の準備は全て完了です。後はセキュリティチェック、出国審査、税関は素通り、これらは通り慣れた日本の道です。そうそう、搭乗口にコーラの自販機がありました。もうそこでは$紙幣が使えます。1$で購入します。$の使い始めです。これから先は、「私の前後・左右誰にも相談出来ない一人旅」「全て自分で判断して行動しなければなりません。」トラブルが起きないことを念願します。


米国一人旅(3):出発と計画(3):Aさん

Aさん
 14日の夜10時過ぎ、ボストン空港のターンテーブルの機内預け荷物が出て来るところへ行くと、Aさんが待ってくれています。お礼と挨拶もそこそこで、私は急に安心感が出て来ました。「やっと、到着」です。自分は自認する雨男で、やはり小雨にたたられました。ボストンに到着して迎えに来てくれていたAさんの第一声は「田中さんは雨男ですか?」それを否定することも出来ずに困りました。実際の所、旅行中本当に雨にたたられました。
 又、Aさんからのメールで「ボストンは急に寒くなりました。」のアドバイスが有って、急遽、万が一の食事でのドレス コード用の「背広とネクタイと革靴」に代えて、冬用のジャンパーなどを梱包しました。これはまさに良いアドバイスでした。
毎日相当寒くて、ナイヤガラへの帰路、そしてヨセミテでは雪が降りました。閉口しました。そのために重ね着の厚着の毎日です。厚着と昼食を抜いて日に二食のためか体調を崩すこともなく何とか二週間持ちこたえました。

 ボストンで再会してから1週間、本当にお世話になりました。その間彼のアパートに同宿させて頂き、ファーストフードがだめと分かると毎日朝食まで作って頂きました。さすがに菌類、特にキノコ類の研究者です。到着した日は「松茸」で歓迎してくれました。カナダへ採集に行った時に見つけて、私のために保存しておいてくれた「松茸」です。香りも日本産と余り変わりがありません。その姿・形から見ると、我が国では一万円は超す代物です。カナダや米国では松茸は食する習慣はなく、いえ、たとえあったとしてもそれは、それは大切な日本への輸出品とか。

 費用も大助かりです。更に何と言っても、近くに少し聴き取りにくいとは言っても日本語を話せる人がいること、そして彼の2年近く米国滞在は私には大きな心の支えです。彼は毎日研究に非常に多忙で、殆どの帰宅が9時を過ぎます。その時にはアパートの鍵を貸して下さいました。鍵は二つあります。一つはそのマンションの建物に入るための鍵です。Aさんは鍵でなくて、暗証番号でそのマンションに入ることが出来るのは当然ですが可能です。もう一つは、自分の部屋に入る鍵です。これはホテル同様に完全にオートロックです。日本の下駄履きで入ることができる公営住宅とは違います。保安に配慮はこの一人旅のキーワードでもあります。
 その部屋は二人で共用です。ダイニングキッチンは二人の共用で、寝室・トイレ・お風呂はそれぞれ別になっています。同室のかたは東南アジアの方で、工学系の方だそうですが、イタリアの学会に出席ということでした。テレビ等の家具は備え付けだそうです。
 留学されてから大学を転々とされたのも、その間により良い学問上の成果を上げるためとのことでした。留学と言うと研究よりもその異国でのんびりと暮らす方もおられますが、彼は「短期間の滞在でも学問上の成果と人脈形成を」と考えられているようです。ハーバード大学では、教授が全米菌類学会の会長をされているそうで、研究に大きな進展が見られるようです。
 又、来年の四月には帰国される予定と言うことです。少なくとも帰国後一年間は札幌在住とのことです。彼と別れてサンフランシスコへ出発する時に「決して慌てないこと。分からないことは先ず落ち着いて聞くこと」。これがAさんのアドバイスです。
 ボストン周辺なら、困ったことが起きても電話をすれば、30分ほどで来て貰えます。これからはそうは行きません。いよいよ一人旅が始まります。このアドバイスは「聞き方が分かっておれば、苦労はしない。」と思います。しかし、このアドバイスは何か不自由だと思う時には必ず思い出します。「慌てない。少なくとも自分が分からないことだけは相手に伝えよう。」



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