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高齢者になっても、ヒマ・ひま・暇やはり暇

高齢者「さいら」ブログ。リタイヤーから、晴れて高齢者の仲間入り。店名をマイナーチェンジ。内容は以前と同様雑他。

料理:全体

2007年11月14日 | 今日の話題
料理:ゼラチン(2007年11月14日)
 「さいら」が30歳位の昔の話である。その頃は妻も「さいら」のために料理を習得しようと言う気持ちがあった。レアーチーズケーキかシチューか忘れたが、透明な板と料理の教則本を持って、台所でしきりと首をかしげている。

「どうしたん?」
「ゼラチンを溶かすんやけど。」

見ると「板ゼラチン」。

「これ湯せんて溶かすと書いてるけど、」
「どうするのか分からん。」

 面倒なことと思いながらも、湯せんなら実験でやったことがある。
それで徐に、値打ちを持たせて、そのやり方を見せて教えた。

 結婚当時良くそう言うことがあった。

 「魚はマルッポ貰うことがあるので、教えておく。」と言いながら、
「二枚下ろし」、「三枚下ろし」、「五枚おろし」の手本を一応見せた。
これも学生時代教官殿から教えて貰った。

 その教官は諸芸に通じていた。かつをを数本並べて、
「これは大名下ろし」、「これは土佐流」、「これは枕崎流」とかいって、
地方地方の裁き方を実演して見せた。

実学とは誠に怖いものである。

 その内に我妻も3キロ程度のかつをならば、いとも簡単に下ろす様になった。
慣れとはこれも誠に怖いものである。


食中毒(2007年11月18日)
 学生の頃、約一ヶ月、国の施設に滞在したことがある。そこは宿泊施設もあって、ウイークデーは3食の賄いもあった。しかし、シーズンオフで日曜日は滞在者が「さいら」一人であることもあって、日曜出勤という訳に行かず、「自由に、好きな様に
してくれて良い。」との話であった。
 要は「日曜日は自炊をしろ」と言うことであった。

それで、食材は冷蔵庫にあるものを使った。冷蔵庫に採卵に使用した後の残りの「クルマエビ」が入っていた。それで、それを何等疑いもなく生食をした。
 月曜日になって、医者へ駆け込んだ。夜からお腹が「ゴロゴロ」言い出したためである。

 医者が言うには「良く言えば大腸カタル。」「悪く言えば赤痢。」薬を貰って、伝染しない様にトイレ使用時の諸注意を受けた。
 事情を話して、代金は帰宅後にと言うことで、払わずに帰った。

 「薬効これ有り」で二日もすれば「ゴロゴロ」も終わった。

 帰宅後、医者代は忘れていた。数週間経つとその医者から督促状が来た。何でも「医者代」は時効で債権の消滅が早いとか。慌てて送金した。

 それ以降、この歳になっても、「さいら」は「自炊なるもの」をしたことがない。

 合計7年間の単身赴任では、朝・昼・晩と全て外食となり、食うものがない時は、じっと我慢することにした。


料理教室(2007年11月20日)
 串本は本州最南端という立地のために、国や県の出先機関が異常に多い。これら出先機関が串本町の一大産業ではないかと思う位有る。
その職員は殆ど単身赴任である。勿論「さいら」も単身赴任であった。
 
 その事情は町も分かっていたのであろう。「単身赴任者のための料理教室」が町の主催で開かれていた。単身赴任者には人気があった。「さいら」は行く気がしなかった。しかし、同輩が是非一緒にと言うことで参加することになった。

 その話を聞いた我妻は喜んだ。時には自宅でも「さいら」の手料理をの気持ちが明確であった。それで、「エプロン」と「帽子」を早速買ってきて、持たされた。
 講師先生は中年のなかなか魅力的女性で、新宮で料理学校を経営されている方であった。「ああ。単身赴任者に人気があるのはこの講師先生も一翼を担っている。」と思った。

 みんな生徒は真面目に教えられた通り料理を作っている。聞くと殆どの人は「自炊」を楽しんでいる。「さいら」は専ら、各テーブルを廻って、出来具合の蘊蓄をしていた。

 そして、試食の時にはそれこそ真面目に「料理教室生徒」になり切った。





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