道州制(2008年8月7日)
「さいら」が就職したての昭和40年代の頃である。
その頃にも「道州制」が論議されていた。
今にも実現しそうな雰囲気であった。
その当時の大阪府職員の話。
「道州制になって欲しい。」
「なんでや?」
その方が言うのであるが、
「大阪は漁業が出来る海がない。」
「和歌山は広い太平洋もあるし、」
「汚染されたと言っても未だ紀伊水道はきれいだ。」
「漁業でも未だ未来もある。」
「そう言うところで仕事がしたい。」
実は「さいら」も道州制を持ち望んでいた。
しかし、それを彼に言うことは出来なかった。
その理由は単純明快である。
「さいら」が道州制を望んだのは
「大阪府の給料が本県に比較して格段に良い。」
「道州制になると、」
「必ず高い方に合わすだろう。」
これは決して「さいら」だけではない。
「近畿のおまけ」和歌山の職員は全てそう思っていた。
給料が下がったとは言え
今も思っているであろう。
「さいら」が就職したての昭和40年代の頃である。
その頃にも「道州制」が論議されていた。
今にも実現しそうな雰囲気であった。
その当時の大阪府職員の話。
「道州制になって欲しい。」
「なんでや?」
その方が言うのであるが、
「大阪は漁業が出来る海がない。」
「和歌山は広い太平洋もあるし、」
「汚染されたと言っても未だ紀伊水道はきれいだ。」
「漁業でも未だ未来もある。」
「そう言うところで仕事がしたい。」
実は「さいら」も道州制を持ち望んでいた。
しかし、それを彼に言うことは出来なかった。
その理由は単純明快である。
「さいら」が道州制を望んだのは
「大阪府の給料が本県に比較して格段に良い。」
「道州制になると、」
「必ず高い方に合わすだろう。」
これは決して「さいら」だけではない。
「近畿のおまけ」和歌山の職員は全てそう思っていた。
給料が下がったとは言え
今も思っているであろう。