テレビドラマ「ハルとナツ」から(2005年10月6日)
昨日テレビの「ハルとナツ」を見ていました。ブラジルへ移民したハル家族は日本の敗戦を否定する「勝ち組」でした。そのハルの父親が瓶ビールの様なものをラッパ飲みしていました。米国のレストランで同じ様なラッパ飲み風景を思い出すと共に、
「勝ち組」の父親のラッパ飲みに驚きました。しかし。多分父親は日本では「ビール」の様な高尚な飲み物を飲んだことがなかったのであろう。だから、「勝ち組」であってもその地の流儀で飲むしかないのだろうと思うと、哀感が漂ってくる場面でした。ちなみに「さいら」は、缶ビールもコップに移して飲みます。缶から直接飲むのは自販機のコーヒー、ミネラルウオータ等々の「100円から150円」程度の飲み物です。
もう一つ。ちなみに。今日(木曜日)は「チャングム」と「ハルとナツ」の時間帯が一部重なります。妻はそれが今悩みの種のようです。
小学校の運動会(2005年10月10日)
「さいら」は第一次団塊世代です。その頃の小学校の運動会を思い出します。学級も六学級有りました。 運動会の練習が始まると学級の中を赤組と白組に分けます。大体背の順番に並んで、別れます。 一年から六年までをその様にして、赤組と白組に分けます。一年から六年までの得点の合計点で今年は赤組の勝ちとか決めて、勝った組は表彰されます。ですから学級の中も隣の仲良しもその間は敵になることも普通にあります。「昨日の友は今日の敵」です。 日が経つに連れて、学級の中は勝負一式になってきます。特に5,6年団体競技の「棒倒し」や「騎馬戦」ではそうなります。練習のしこりも授業中に残ります。 リレーの選手は非常に責任を感じます。これも勿論順位で得点になります。個人種目の競争では、一等から三等までは晴れてその旗の下に並びます。ここでも、赤組と白組は別れて並びます。その方が得点の勘定がし易いからです。そして、順位付けした賞品を貰います。着外は当然何も貰えません。入賞した赤組と白組の数で得点が入ります。観戦も赤組と白組に完全に別れます。 運動会が終わった翌日の午前中位はその余韻が残っていて、「勝った」・「負けた」で湧いていますが、それも束の間で給食を終える頃には、元の仲の良い学級に戻ります。「昨日の敵は今日の友」に戻ります。
クレジットカード事始め(2005年10月12日)
ある時から銀行のキャッシュカードに某社のクレジットカード機能が付いた。「バンクカード」という。しかしそれは無用の長物であった。
「本州最南端、黒潮踊る」串本に勤務していたときのことである。「明日、午前中に貴職のお考えをお聞きしたので、急で申し訳ないが、ご足労願いたい。」東京へ午前の会議に間に合わせるのは関空からの羽田行きの第1便しかない。町の中の旅行会社へ行くと、「間に合いません。」「???」「実はこの事務所では発券が出来ないのです。」「???」「予約が取れても、航空券は田辺から郵便で送って貰うのです。」
「何と不便な。」事務所に戻り、航空会社に電話。その事情を話す。「クレジットカードをお持ちでしたら、出来ます。」これまた、「???」「今、クレジットカードで購入されて、搭乗されるときに、クレジットカードを入れて頂くと搭乗券が出て来ます。航空券は要りません。」「何と便利な」「チケットレス」とか言う。
それ以降クレジットカードに目覚めた。独立してカードを持つことにしたのはまもなくである。銀行直轄のバンクカードの役割は終えたのであろう。来年早々に普通の「キャッシュカード」のみになる。クレジットカードは別に発行された。
火の用心(2005年10月14日)
今日の昼過ぎに、団地内で火事があった。先ほど鎮火。延焼はなかった。市街地からも遠いので、サイレンは鳴るが、消防車は見えずで、皆さんイライラ。
火災シーズン到来。「火の用心」・「火の用心」。特に「さいら」宅のような老夫婦の場合は。
「加齢」(2005年10月21日)
テレビの医学とか健康番組でよく出て来る言葉。「加齢」。誕生以来の「積分効果」が顕著に出て来る時に使われる。分かるんだけど。何か見捨てられた気分。加齢は忘れることもなく、きっちりと積み重ねてくれる。もう自分は年齢のことなど忘れたい一心なのに。
幼少から若いときには「加齢」は「発育」で、そして、ある時から、「加齢」は「老化」となる。
三億円事件(2005年12月16日)
12月になると思い出すことがある。昭和43年の12月の日にちは忘れたが、?東芝府中?のボーナスを輸送中に強盗にあった事件である。その年に就職した「さいら」の初めての出張であった。那智勝浦から夜行寝台列車に乗り、東京へ朝着いた。(昔はそんな寝台列車が結構あった。)昼からの訪問の予定であったので、八重洲口から築地の方へ歩いて訪問先へ行くこととした。その訪問先の他に、茨城と静岡にも訪問の予定があり、ほぼ一週間の着替えを大きい鞄に入れて歩いていた。
ところがである。道の所々に警官が立っている。何と東京は警備がきついところだと思いながら、歩いていくと、警官に呼び止められる。職務質問である。色々と聞かれて「鞄の中を見せろ」という訳だ。それが目的で有った。決して気持ちがよい話ではないが、やむを得ず中身を見て貰う。
暫く歩く。又、警官に呼び止められる。前と同様に鞄の検査である。和歌山の串本から来ているとは言え、訪問先のことも有って、身なりはキッチリとしていた筈である。さすがにこれはおかしいと思い、又訪問時間も未だ有るので、喫茶店に入る。テレビを見ると、その三億円強盗の番組をしていた。なるほどその警戒のための職務質問であったのかと納得する。
その三億円事件はその手口が巧妙というか軽快と言うかまさかと思う手口であった。その事件は相当な年月話題になったが、結局迷宮入りの事件であった。
保存期間(2005年12月26日)
今日の話題の「保存期間」は「食品の保存期間」ではない。「文書の保存期間」である。社会的な話題はこのブログでは避けているのであるが。
と言えば、何を今日話したいか直ぐに分かる。「構造計算書偽造事案」についてである。建築確認申請の申請書類(全てではないかも知れないが、少なくとも「構造計算書」のことを言っている。)の保存期間である。
テレビを見ていると、或る地方自治体ではその保存期間が「5年」とかの話が出て来る。と言うことは、その年月を過ぎると、何を根拠にして審査が行われたか、全く不明になると言うことである。例えば、その後に地震があって、その様な建築物に不都合が発止したとしよう。その不都合の建物を詳細に見れば、その原因は「鉄筋不足」であることが分かることも有るであろう。一種の破壊検査であるから。しかし、例えそれが分かったとしても、その「鉄筋不足」の原因を特定することは不明である。構造計算に瑕疵があったのか、建築確認に(例え審査する人に悪意がないにしても)瑕疵があったのか、それとも、建築時の手抜きであったのか全く不明である。「文書保存期間」を含めて、そう言う仕組みを関係者は知っていたのではないかとさえ、疑う。
ところで、役所の「文書の保存期間」はどのようにして決められるのであろうか?
その決め方に役所以外から見て、合理性があるのであろうか?役所はなるほど、長期保存のための倉庫が必要かも知れない。保存帳簿も必要かも知れない。倉庫には空量施設が必要かも知れない。しかし、それらは全く役所とか担当者の都合ではないだろうか?建築物の寿命に比較して、余りにも短い「文書保存期間」は証拠隠滅であると思われても仕方がないのではないだろうか?何故「五年」なのか、合理的な理由をご存じの方は是非とも教えて欲しい。
技術的には色んな媒体を使用すれば、長期保存のランニングコストは軽減できるであろう。又、申請書類にそれを併せて提出させることも可能ではないだろうか?その媒体であるが、「さいら」は「マイクロフィルム」を推奨したい。最新の媒体は結構読み込み・書き出し方式等が変わることがある。その点、幻灯機さえあれば何時でも見ることが出来る。そう言う「さいら」は現役の頃、「マイクロフィルム」で保存された公文書を見る機会が多くて、殆どの漁業に関する権利関係が復元可能であった。
少し視点を変えて今回の事案を考えてみた。
QVC(2005年12月26日)
今朝、QVCを見ていた。テレフォンショッピング番組である。結構人気があるそうな。隠れた人気番組とか。そして、どの時間帯か知らないが、一こまが取り合いになると聞いて。興味津々。
その紹介商品の中に「こんにゃくヌード」「これは何や??」と好奇心、久々。よく、よく見ると、改行されていて、「こんにゃくヌードル」了解・了解。ボーだライン「さいら」も気になる商品。しかし、改行は難しい。
WBCとBSE(2006年3月19日)
輸入再開まもなくのBSEの時もそうであった。これは検査官の一過性の不注意とは思えない。香港への輸出でも同様なことがあった。そして、今回のWBCの審判の誤判定である。これも、対日本戦だけでなく、対メキシコ戦でもあった。
元々そんなに良いイメージではないが、更に「さいら」の米国に対するイメージが
崩れて行くように思えてならない。米国のスタンダードが世界のスタンダードであると思い込んでいるのではないかと思ってしまう。
それともう一つ、仕事に対する質の問題であるのかも知れない。我が国はその様な米国と一蓮托生と言うか、堅い固い絆で結ばれている。それでよいのだろうかと思ってしまう出来事である。
パラリンピック(2006年3月23日)
gooブログを始めて、最初のトラックバックをして下さった方がパラリンピックの記事を投稿されていました。何事にもアバウトな性格で、余り社会的な出来事を
記事にしないのですが、トラックバックのお礼と練習を兼ねて、少し書いてみようと思います。
パラリンピックそのものは、見ていて感動します。ここで話そうと思うのはその開催日程に付いてです。夏季も冬季もオリンピックの後に開催されます。我が国で毎年行われる「国体」もそうです。何故、後でなければならないのでしょうか?偶々でしょうか?後発からでしょうか?
時には前にしても良いように思えるのですが・・・。それよりも、実は、何故別々に行われるのでしょうか?同じ大会の中で、一つのカテゴリとして開催することは、
出来ないのでしょうか?
昨日テレビの「ハルとナツ」を見ていました。ブラジルへ移民したハル家族は日本の敗戦を否定する「勝ち組」でした。そのハルの父親が瓶ビールの様なものをラッパ飲みしていました。米国のレストランで同じ様なラッパ飲み風景を思い出すと共に、
「勝ち組」の父親のラッパ飲みに驚きました。しかし。多分父親は日本では「ビール」の様な高尚な飲み物を飲んだことがなかったのであろう。だから、「勝ち組」であってもその地の流儀で飲むしかないのだろうと思うと、哀感が漂ってくる場面でした。ちなみに「さいら」は、缶ビールもコップに移して飲みます。缶から直接飲むのは自販機のコーヒー、ミネラルウオータ等々の「100円から150円」程度の飲み物です。
もう一つ。ちなみに。今日(木曜日)は「チャングム」と「ハルとナツ」の時間帯が一部重なります。妻はそれが今悩みの種のようです。
小学校の運動会(2005年10月10日)
「さいら」は第一次団塊世代です。その頃の小学校の運動会を思い出します。学級も六学級有りました。 運動会の練習が始まると学級の中を赤組と白組に分けます。大体背の順番に並んで、別れます。 一年から六年までをその様にして、赤組と白組に分けます。一年から六年までの得点の合計点で今年は赤組の勝ちとか決めて、勝った組は表彰されます。ですから学級の中も隣の仲良しもその間は敵になることも普通にあります。「昨日の友は今日の敵」です。 日が経つに連れて、学級の中は勝負一式になってきます。特に5,6年団体競技の「棒倒し」や「騎馬戦」ではそうなります。練習のしこりも授業中に残ります。 リレーの選手は非常に責任を感じます。これも勿論順位で得点になります。個人種目の競争では、一等から三等までは晴れてその旗の下に並びます。ここでも、赤組と白組は別れて並びます。その方が得点の勘定がし易いからです。そして、順位付けした賞品を貰います。着外は当然何も貰えません。入賞した赤組と白組の数で得点が入ります。観戦も赤組と白組に完全に別れます。 運動会が終わった翌日の午前中位はその余韻が残っていて、「勝った」・「負けた」で湧いていますが、それも束の間で給食を終える頃には、元の仲の良い学級に戻ります。「昨日の敵は今日の友」に戻ります。
クレジットカード事始め(2005年10月12日)
ある時から銀行のキャッシュカードに某社のクレジットカード機能が付いた。「バンクカード」という。しかしそれは無用の長物であった。
「本州最南端、黒潮踊る」串本に勤務していたときのことである。「明日、午前中に貴職のお考えをお聞きしたので、急で申し訳ないが、ご足労願いたい。」東京へ午前の会議に間に合わせるのは関空からの羽田行きの第1便しかない。町の中の旅行会社へ行くと、「間に合いません。」「???」「実はこの事務所では発券が出来ないのです。」「???」「予約が取れても、航空券は田辺から郵便で送って貰うのです。」
「何と不便な。」事務所に戻り、航空会社に電話。その事情を話す。「クレジットカードをお持ちでしたら、出来ます。」これまた、「???」「今、クレジットカードで購入されて、搭乗されるときに、クレジットカードを入れて頂くと搭乗券が出て来ます。航空券は要りません。」「何と便利な」「チケットレス」とか言う。
それ以降クレジットカードに目覚めた。独立してカードを持つことにしたのはまもなくである。銀行直轄のバンクカードの役割は終えたのであろう。来年早々に普通の「キャッシュカード」のみになる。クレジットカードは別に発行された。
火の用心(2005年10月14日)
今日の昼過ぎに、団地内で火事があった。先ほど鎮火。延焼はなかった。市街地からも遠いので、サイレンは鳴るが、消防車は見えずで、皆さんイライラ。
火災シーズン到来。「火の用心」・「火の用心」。特に「さいら」宅のような老夫婦の場合は。
「加齢」(2005年10月21日)
テレビの医学とか健康番組でよく出て来る言葉。「加齢」。誕生以来の「積分効果」が顕著に出て来る時に使われる。分かるんだけど。何か見捨てられた気分。加齢は忘れることもなく、きっちりと積み重ねてくれる。もう自分は年齢のことなど忘れたい一心なのに。
幼少から若いときには「加齢」は「発育」で、そして、ある時から、「加齢」は「老化」となる。
三億円事件(2005年12月16日)
12月になると思い出すことがある。昭和43年の12月の日にちは忘れたが、?東芝府中?のボーナスを輸送中に強盗にあった事件である。その年に就職した「さいら」の初めての出張であった。那智勝浦から夜行寝台列車に乗り、東京へ朝着いた。(昔はそんな寝台列車が結構あった。)昼からの訪問の予定であったので、八重洲口から築地の方へ歩いて訪問先へ行くこととした。その訪問先の他に、茨城と静岡にも訪問の予定があり、ほぼ一週間の着替えを大きい鞄に入れて歩いていた。
ところがである。道の所々に警官が立っている。何と東京は警備がきついところだと思いながら、歩いていくと、警官に呼び止められる。職務質問である。色々と聞かれて「鞄の中を見せろ」という訳だ。それが目的で有った。決して気持ちがよい話ではないが、やむを得ず中身を見て貰う。
暫く歩く。又、警官に呼び止められる。前と同様に鞄の検査である。和歌山の串本から来ているとは言え、訪問先のことも有って、身なりはキッチリとしていた筈である。さすがにこれはおかしいと思い、又訪問時間も未だ有るので、喫茶店に入る。テレビを見ると、その三億円強盗の番組をしていた。なるほどその警戒のための職務質問であったのかと納得する。
その三億円事件はその手口が巧妙というか軽快と言うかまさかと思う手口であった。その事件は相当な年月話題になったが、結局迷宮入りの事件であった。
保存期間(2005年12月26日)
今日の話題の「保存期間」は「食品の保存期間」ではない。「文書の保存期間」である。社会的な話題はこのブログでは避けているのであるが。
と言えば、何を今日話したいか直ぐに分かる。「構造計算書偽造事案」についてである。建築確認申請の申請書類(全てではないかも知れないが、少なくとも「構造計算書」のことを言っている。)の保存期間である。
テレビを見ていると、或る地方自治体ではその保存期間が「5年」とかの話が出て来る。と言うことは、その年月を過ぎると、何を根拠にして審査が行われたか、全く不明になると言うことである。例えば、その後に地震があって、その様な建築物に不都合が発止したとしよう。その不都合の建物を詳細に見れば、その原因は「鉄筋不足」であることが分かることも有るであろう。一種の破壊検査であるから。しかし、例えそれが分かったとしても、その「鉄筋不足」の原因を特定することは不明である。構造計算に瑕疵があったのか、建築確認に(例え審査する人に悪意がないにしても)瑕疵があったのか、それとも、建築時の手抜きであったのか全く不明である。「文書保存期間」を含めて、そう言う仕組みを関係者は知っていたのではないかとさえ、疑う。
ところで、役所の「文書の保存期間」はどのようにして決められるのであろうか?
その決め方に役所以外から見て、合理性があるのであろうか?役所はなるほど、長期保存のための倉庫が必要かも知れない。保存帳簿も必要かも知れない。倉庫には空量施設が必要かも知れない。しかし、それらは全く役所とか担当者の都合ではないだろうか?建築物の寿命に比較して、余りにも短い「文書保存期間」は証拠隠滅であると思われても仕方がないのではないだろうか?何故「五年」なのか、合理的な理由をご存じの方は是非とも教えて欲しい。
技術的には色んな媒体を使用すれば、長期保存のランニングコストは軽減できるであろう。又、申請書類にそれを併せて提出させることも可能ではないだろうか?その媒体であるが、「さいら」は「マイクロフィルム」を推奨したい。最新の媒体は結構読み込み・書き出し方式等が変わることがある。その点、幻灯機さえあれば何時でも見ることが出来る。そう言う「さいら」は現役の頃、「マイクロフィルム」で保存された公文書を見る機会が多くて、殆どの漁業に関する権利関係が復元可能であった。
少し視点を変えて今回の事案を考えてみた。
QVC(2005年12月26日)
今朝、QVCを見ていた。テレフォンショッピング番組である。結構人気があるそうな。隠れた人気番組とか。そして、どの時間帯か知らないが、一こまが取り合いになると聞いて。興味津々。
その紹介商品の中に「こんにゃくヌード」「これは何や??」と好奇心、久々。よく、よく見ると、改行されていて、「こんにゃくヌードル」了解・了解。ボーだライン「さいら」も気になる商品。しかし、改行は難しい。
WBCとBSE(2006年3月19日)
輸入再開まもなくのBSEの時もそうであった。これは検査官の一過性の不注意とは思えない。香港への輸出でも同様なことがあった。そして、今回のWBCの審判の誤判定である。これも、対日本戦だけでなく、対メキシコ戦でもあった。
元々そんなに良いイメージではないが、更に「さいら」の米国に対するイメージが
崩れて行くように思えてならない。米国のスタンダードが世界のスタンダードであると思い込んでいるのではないかと思ってしまう。
それともう一つ、仕事に対する質の問題であるのかも知れない。我が国はその様な米国と一蓮托生と言うか、堅い固い絆で結ばれている。それでよいのだろうかと思ってしまう出来事である。
パラリンピック(2006年3月23日)
gooブログを始めて、最初のトラックバックをして下さった方がパラリンピックの記事を投稿されていました。何事にもアバウトな性格で、余り社会的な出来事を
記事にしないのですが、トラックバックのお礼と練習を兼ねて、少し書いてみようと思います。
パラリンピックそのものは、見ていて感動します。ここで話そうと思うのはその開催日程に付いてです。夏季も冬季もオリンピックの後に開催されます。我が国で毎年行われる「国体」もそうです。何故、後でなければならないのでしょうか?偶々でしょうか?後発からでしょうか?
時には前にしても良いように思えるのですが・・・。それよりも、実は、何故別々に行われるのでしょうか?同じ大会の中で、一つのカテゴリとして開催することは、
出来ないのでしょうか?