現在「協働会館」と呼ばれている建物は、芸妓の取次ぎをした三業(料理屋、置屋、待合茶屋)組合の事務所
である見番(けんばん)として1936年(昭和11年)に建てられた、贅を尽くした近代和風建築です
木造二階建て、延べ床面積約440平方メートルの建物は、一階は芸妓の取次ぎや清算を行う事務所、二階は芸妓
たちが踊りの稽古に日々励んだという舞台付きの百畳の大広間と楽屋だったそうです
戦中に花柳界が疎開したため、見番として使用された期間は短いものでしたが、その後、隣接する元待合や料亭と
共に港湾労働者の宿泊所となり、戦後は「協働会館」と名を変え、大広間が集会所として貸し出されました
旧協働会館が、区の有形文化財に指定されました、老朽化による取り壊しの計画を乗り越えていま、ようやく保存
活用への道筋が見えてきました。その為か現在保護ネットで覆われています
である見番(けんばん)として1936年(昭和11年)に建てられた、贅を尽くした近代和風建築です
木造二階建て、延べ床面積約440平方メートルの建物は、一階は芸妓の取次ぎや清算を行う事務所、二階は芸妓
たちが踊りの稽古に日々励んだという舞台付きの百畳の大広間と楽屋だったそうです
戦中に花柳界が疎開したため、見番として使用された期間は短いものでしたが、その後、隣接する元待合や料亭と
共に港湾労働者の宿泊所となり、戦後は「協働会館」と名を変え、大広間が集会所として貸し出されました
旧協働会館が、区の有形文化財に指定されました、老朽化による取り壊しの計画を乗り越えていま、ようやく保存
活用への道筋が見えてきました。その為か現在保護ネットで覆われています