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(当時の日本のほぼ最南端の)沖永良部島に行って感じたこと。
なお、当時、与論島が日本の最南端の島でしたが、与論には(島が小さすぎて)役人がいないので、遠島処理はできない。だから、実質、沖永良部島が当時の日本の最南端だった。
沖永良部島に流された西郷隆盛は、ここで詩作(漢詩の作成)をして、志を練っていた。
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漢詩と、漢字と、その押韻とかと格闘しながら、志を練っていた。
当時の武士の嗜みとして、詩を作ることが要求されていた。
今の令和で言えば、note 書くとか、SNSするとか、に相当するんだろうか。
アウトプットが、志を練る。
インプットだけではなく。
幕末の志士にとって、志を練るためのアウトプットが、詩作であった。
いろいろ西郷のいい漢詩に出会って来ました。
仔細はおって時間があれば、、、