川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

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難儀は越後

2024年07月10日 | 唄・詩・都々逸
戊辰戦争が終わり,新政府軍の将兵が,新都 東京に凱旋。

 花は会津,難儀は越後,ものの哀れは久保田(秋田)

と盛んに唄われた。

そのココロは、、


■ 「花は会津」


会津城下の士農工商の家財の分捕りは公然と行われ,男女老幼を殺戮,強姦を公然とし,侍妾とし,分捕った衣食酒肴で豪奢を極める。


■ 「難儀は越後」


北越戦争で長岡藩家老河井継之助の奮闘などにより、新政府軍は「難儀」し、新政府軍参謀 山県有朋は長岡で敗北寸前まで追い込まれる。会津城下戦に遅刻。


■ 「ものの哀れは久保田」


久保田藩は,恭順の意を表し,官軍になる。8696人が戦争に駆り出され,領地の2/3が焼け野原。


仙台,盛岡,庄内,米沢などから 裏切り者と蔑視され,新政府軍の兵士から見ても「哀れ」な存在となる。戦後「東北は逆賊」,「白河以北 一山百文」と言われるのはこの久保田藩(秋田)から。


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この唄は知らなかった。 こちら

 
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