



帰路に入ります。
今回、唐丹駅を目標としてきたので、南下を始めます。
途中、棚田があるというので寄ってみました。
千葉に千枚田ってのがありましたが、あそこもちょっと前に田植えが始まったばかり。
東北地方のここはもう少し時期はズレているはず。
で、到着したところ、こちらは千枚田のような観光化?されていません。
駐車場らしきものも見当たらず。
登っていくと適当な場所があったのでそこから撮ったのが見出しの画像。
千葉の千枚田の方は、天皇陛下がご覧になったみたいでそれなりに観光目的の整備もされていましたが、こちらはそのような感なありません。
でも、こちらの方が規模は大きそうです。
ようやく田植えを始めようか?という時期でした。
この日は山形市内まで走り、駅前のホテルへ。
なんかこの頃になると、達成感既に満ちてしまい、チェックインホテルを間違えました。
予約はスー〇ーホテルだったのですが、東〇インのパーキングに入り、フロントへ。
名前を告げると、私がClub Card所持者というのは確認してもらえたのですが、予約は見つからず。
なので、予約確認メールを提示したら、
「お客様、こちらスー〇ーホテルの予約確認です。」
「あら~!!!、すみません~、間違えました~。」
というボケをかましてしまいました。
昔はこんなボケ絶対しなかったのですが、確実に衰えは来ております。
以上、東北ツーおしまい。
次の日、早朝いつものお散歩。
やはり気になったのは、見出しの写真にある堤防。
複雑な気分。
そのあと面白かったのは、市内を歩き回る鹿さん。
すぐ横が山という事もあるのでしょうが、ここまで野生のシカに接近できるのって、奈良公園(ここも一応野生の鹿らしい)以外にもあったんですね。
恐らく、これは違う群です。
極めつけは、散歩が終わり、ホテルで朝食を食べていた時眼下に見えたもの。
車が走っているのに、鹿さんはお散歩してました。
その日は釜石市のホテルマルエに宿泊。
このホテルも無事ではなかったようです。
写真は1階エレベータに貼られていました。
ここまで浸かったと言うことでしょうか。
夜は近くの居酒屋茶夢さんに行ってみました。
最初、誰そ彼(たそがれと読む)に行ったのですが、入店しても誰も出てこない。
既に5,6人のお客さんが居た。
奥の厨房入口まで行って、「一人お願いします。」とお声がけしたところ、
「時間かかりますよ。」(今考えれば、忙しくて迷惑だったみたい。なら断ってくれてもよかったのに)
「いいです。」
と着席したものの、その後7分くらい相手にしてもらえなかった(お通しもでない、注文も聞きに来ない)ので、退店。
ホテルへの帰り道にあったこの店に入りました。
でも結果的にはよかったです。
ここのすぐ近くに住むという被災された方と、お話をする機会を持てました。
そこで疑問に思っていた堤防のことを伺ったところ、
「次の津波はあれを超えてくるんじゃないの?」
私にしてみればあんな高いものを作ってしまって、という感があったのですが、やはり地元の被災された方は全く違うことを考えていました。
このことを聞けて、このツーリングに来た意味はあったな、と感じた次第です。
「9」の見出しの画像をご覧ください。
右上に見えるダムのようなもの、37年前はありませんでした。
あれが東日本震災後にできた堤防です。
ものすごい建造物です。
逆にあれくらいのものすごい津波に襲われたという事です。
駅のホームは高台なので何とか無事で、見覚えのある待合室は健在でした。
それでもホームの柱には、津波の押し寄せた水位が示してありました。
つくづく自然というものはなんと恐ろしいものだろうと感ぜずにはいられませんでした。
そのあと、実際あの堤防の上まで行ってみました。
部分的にバイクでも走れます。
感じるものがあります。
そんなことを感じさせたのが、37年前の野宿から始まったという事でした。
そして本日、今回のツーリングのメインがここ、唐丹駅です。
下の写真はまさに85年のもの。若々しい自分が写っております。
この時から正に37年後が今です。
前述したように生まれて初めての野宿。駅の待合室で寝ました。
その待合室はこれで、覚えております。(写真は今回のものです)
この床にマットを敷いて寝ました。
終電まで待ち、その終電に乗った高校生の人に
「(野宿)がんばって!」
と声をかけられたのを覚えています。
ここでしおらしい話しになってしまいますが、彼は健在なのでしょうか?
自然にそんなことを考えてしまいます。