「やってみるもんだ?!タイだ!インドだ!早期退職だ!!

2005年7月10日より始めました。
タイ駐在、インド駐在を経て
2021年7月をもって早期退職!

シリア、ヨルダン、たぶん金相当42

2010-05-30 21:49:32 | Weblog
 そして、その夜、ペトラ・バイ・ナイトに行った、

そもそも、実はこれに思い入れがあった。

あのエル・カズネをライトアップし、これまたきれいな遺跡を見ることができるんだろうなぁ、なんて勝手に想像した。

そのために、わざわざ遺跡の入り口のすぐ近くにあるお高いクラウンプラザホテルをリクエストしたのである。

 まぁ、それだけ努力&出資したのですので、ホテルは満足のいくものだった。

 そして期待に胸を膨らませ。暗くなった頃、ペトラバイナイとに向かう。

小雨が降り出したのがちょっと残念。でも、こんなのすぐにやむだろう、と勝手に思い込んでいた。

 昼間通った道を、道脇におかれたわずかな蝋燭の光に従い、エル・カズネに向かう。

どんなきれいなものが見られるのだろう?

どれだけ感動するのでしょうか?

なんて事を想像しながら・・・。

 そして、到着。

ここまで来た道と同じように、蝋燭の光に照らされたエル・カズネが目の前にある。

その後ろに客用のブルーシートがひかれ、みんなその上に座っていく。

 私はというと、一番壁際まで下がり、ダイソーの椅子(確か300円)に座り、3脚をセットした。

前の方で、こんなのセットしたら顰蹙だからね、なんと他の人への気遣いも忘れていない。

なんて俺って優しいんでしょう

 そして、お客がみんな座ったことにそれは始まった・・・。
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シリア、ヨルダン、たぶん金相当41

2010-05-27 06:10:48 | Weblog
 あのことは忘れて・・・。

そして来た道を戻ると、そこには人影疎らなEl Khazneh。

色も来たときとは違い、なんかピンクっぽい。

ここに一日中いて、色の変わるEl Khaznehを見ていても、きっと飽きないかも。

 今日はここを何人の人が訪れたのでしょうか?

どんな人が来たんでしょうか?

なんてこと考えるほど、私は暇ではない。

あしたはまた別のところに行くことになっている。

 でも、ここはまだ終わりではない。

ペトラ・バイ・ナイト(ペトラ遺跡を夜寄る見ようというもの)が今晩のお楽しみとして待っている。

 さっさと例の高いホテルに帰って、しばし休憩!

***********************************************

 真偽のほどはわかりませんが、25日の夜、私の住んでいるところの近くで銃撃戦があったらしい。

2,3発の撃ち合いなのか、2,30発の撃ち合いなのか、銃撃戦と呼べるものなのかどうかも不明。

 近くと言っても、どの辺かも不明。

 ということで、よくわからん。
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シリア、ヨルダン、たぶん金相当40

2010-05-25 06:57:27 | Weblog
 てな感じで、いつものように、一人いい気分になってイメージを膨らませながら歩いていたら・・・。

 とんでもないものが視界に入った。

かなり遠方の物体だったために、詳細を見ることができなくて幸いだった。

 その物体は、この世界遺産の地で、すごいことをしてくれた。

なんか、端の方に行ったかと思うと、いきなりズボンを下げ、しゃがみ込み、・・・。

そして、真っ白なティッシュをふりあげ・・・・・・。

 なんてこったい・・・。世界遺産の中で、野グソをしやがった。

あなたは我慢できなかったんだろうけれどさ・・・・。

 どうせやるなら、もっと物陰でやってくれない?

あなたにとって、ある方面はは物陰になっていたかもしれないが、別の方面からは、丸見えだったのよん・・・・。

 かなり遠方だったので、詳細見ることなかったのが、せめてもの救い・・。

 と・こ・ろ・が・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 気を取り直し、再び、出口に向かって歩き出す。

いつの間にか、自分の前には、日本人の団体になっていた。

そういえば、Ed Deirで大声で笑っていた品のないおばちゃん軍団がいたなぁ。

日本人の品位を落とさないでね。

 と思っていたら、そこに私の後ろから日本語話しながら合流したおばちゃん。

 さっき見た変なことした人と同じ服の色・・・・・・・・・・。





 2009年12月30日夕方、世界遺産ペトラ遺跡の中で野グソをしたのは、日本人です。

 世界中の皆さん、大変申し訳ありませんでした。
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それでも非常事態

2010-05-23 19:30:38 | Weblog
 何度も繰り返しになりますが、私の住んでいるところは何も変わりません。

本日をもって夜間外出禁止令は解かれるはずでしたが、23時から4時までと時間を短縮して、さらに二日間延長となりました。

今晩あたり、飲みに行って騒ごうと思っていたため、非常に残念です。

とはいうものの、この都市には銃がウヨウヨとまでは言いませんが存在しており、非常事態であることは間違いありません。

先日、騒ぎのあった付近に住む人たちが、一時的にホテルなどに避難しました。

そこで、

「蚊が多いホテルだ!もっとまともなところはないのかっ!」

「子供もストレス貯まった。」

といっている人がいましたが、どういう状況かわかってる?

完全に平和ボケですね。

たぶん実際自分の命が危うくなっていればそんな事を言っている暇はないでしょう。

蚊が多いのと、煙が上がって銃声が聞こえるところとどっちがいい?

せっかくタイ人達がいろいろ考えて、やってくれたのに、それに不平不満を並べるって、どういう事?

文句があるなら、自分で考えて避難すれば?

子供のストレスも、そういう親を見てるから余計に増長するんじゃないの?

そういうときこそ、子供を物理的にも精神的にも守るのが親なんじゃないの?

 ちなみに私のすぐ近くに住んでいる人を遊びに誘ったら、

「我々、避難生活から今週戻るところなので、申し訳ないですが、行けません。」

とのこと。

 会社によって、全然対応違うもんですね。

 こんな状況だから調べてみましたけれど、人間って飲まず食わずでの一週間、水だけで一ヶ月は生きられるものらしいです。

こんなサバイバル術を知る状況になったのも、ここでの駐在生活のおかげ。

 これでまた私はある部分強くなったと思います。

 今外でものすごい爆発音がしました。

たぶん雷。爆弾ではないと思う。

タイは雨期に入りましたし、食事に行くついでに調べてみます。
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シリア、ヨルダン、たぶん金相当39

2010-05-22 21:25:59 | Weblog
 現在バンコクには夜間外出禁止令が出ています。

違反者は罰金20000THBだそうです。(40000THBと言っている人もいる)

 ところが、そのことを全く知らなかった私は、やむを得ない事情があったため、夜中の12時頃、外出しました。

当然人はほとんどいません。セキュリティの人はいました。

そのまま数人の警察官の前を旅行カバンを引っ張って歩きました。

(警察署の前を通りました)

当然目も合いましたが、職務質問も何もありませんでした。

 絶対真似しないように。

*****************************

 日が傾くまでEd Deirに滞在し、後ろ髪を引かれながら、そこを後にした。

もうこの時間になると、今更上って行く人なんかほとんどいなく、帰りは快適。

 でも、山登りと山下りでは、下りの方が体にはいいらしい。

登りは普通に足を上げて力を入れれば上がれるが、下りっていうのは、そんな単純なものではなく、脳が制御をしながら足を動かしているので、体にも脳にもいいらしい。

 デモ、このときは、すれ違う人を気にしないでいいので(いないから)やっぱり下りの方が楽よん!

 下りきったところに広がる王家の墓周辺は、さすがに生活感がある。

やっぱり昔の人は、ここに住んでいたんだろうなぁ、という感じ。
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うつりゆく季節の中で?!3?4?

2010-05-20 14:48:19 | Weblog
 このタイトルの通り、今成田空港ラウンジです。

 私が日本にいる間についに治安維持作戦が展開されましたが、暴徒化した市民が突発的に暴れているようです。

実際暴徒に対して、タイ国民、それも支持層の厚い赤服支持者が、肯定したか、否定したか、どう思ったのかは知りません。

どっちにしろ、タイという国は間違いなく損をしたことでしょう。

ただ、これは国の抱える問題が、こういう形で顕在化しただけの話です。

いつかは起きたことなのでしょう。

 ってな事をいろいろ考えても、堂々巡りになるだけ。

ですので、これからバンコクに戻りますが、十分気をつけたいと思います。

 今日のネットニュースを見ても、もうほとんどヘッドラインには載りません。

でも、今まではあの場所に行かなければ普通の生活ができましたが、これからは、どこで暴れ出すか解りません。

今まで以上に危ないかも。

 家を出るとき、昼食に寿司食べたのですが、とっても美味しかった!



 昨夜、集まってくれた皆様、有り難うございました。

でも、だんだんみんな、当然私もなんですが、年を取っていくのですな・・・・。

 それから、47番ゲート付近のラウンジって、窓無し穴蔵ラウンジです。

よって、写真はありません?!
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シリア、ヨルダン、たぶん金相当38

2010-05-20 01:11:50 | Weblog
 で、行ってみると、やっぱりその価値はありました。

 こうやって、Ed Deirを見下ろすことができるのはもちろん、その反対側に広がる、壮大としかいいようのない景色が広がっていた。

決して写真では表現できない世界がそこにはあった。

なもので、写真は撮らなかった。

写真なんてものは、所詮記憶を甦らせるきっかけになるものであって、その記憶に勝るものでも何でもない。

と思って、いっつも写真を撮ってます。

 そうすると余計に写真を撮るときに、周りの情報が脳に蓄積され、こうやって、眺めていると、いろんな記憶が甦ってくるのです。

 ということからも、どんどん写真は撮りましょう(意味不明)

 ただ、そんなことより何より、ここで一番驚いたのは、どう見ても70歳は超しているだろうと思われるおばあちゃんが、登山用の杖を持ち、隣に一人でいたのである。

 70歳はおろか、ひょっとしたら、80歳かもしれない。

見たところ、誰かにが手を引いてきてもらった気配もなく、普通にその辺を歩いている。

 いなわしろ荘に向かう赤うしからの上り坂で、あんなきれいな舗装路をまっすぐ歩けないうちの親父とはえらい違い。
(知っている人ネタ)

 いやいや、驚きました。

 私もこんなスーパーな人間を目指します。

***************************

 バンコクの騒ぎも収まったみたいです。

明日、もう今日だけれど、バンコクに戻ります。よかった、よかった。
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シリア、ヨルダン、たぶん金相当37

2010-05-18 20:34:57 | Weblog
 ところが、ところが、これがまだ終わらない。

もっと上までの道があるのである。

こうなると、もうほとんど意地の世界。

さらにその上には遺跡があるのか?といえば、ない。

しかし、ヨルダンの地まできて、それが目と鼻の先にあるのに、上らずに帰る?

たぶん恐らく、もう生きているうちにもう一度ここに来られる保証はない。

ならば、ここで行かなかったら、私は永遠にあそこに行くことはない。

なんて考えると、もう、どんなに疲れていようが、行くしかない。

 世界中どこでもそうだ。

行く気がほんの少しでもあれば、私は絶対そこまで行く。

コルコバードの丘に行ったときもそうだった。

いくら金がかかろうが、今行っておかねば、生きてまたここへ来る保証はない。

 ならば、死んでも行くべし?!

==========================

 今日、タイ、バンコクの方から電話が来た。

先方;「週末のゴルフ、予定通り行くか?」

私;「行きます。」

ってな感じです。 
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言い方いろいろ

2010-05-16 16:26:03 | Weblog
 今日本にいます。

 バンコクで、騒ぎが起きているところは、私の住んでいるところから、直線距離で5Kmくらいです。

5Kmをすぐそこと考えるか、かなり離れていると考えるかは、皆様の自由。

でも、5Km離れれば、平穏無事な毎日です。

市民は普通の生活を営んでおります。

当然のことながら、騒ぎ地区には近づかないようにしています。

なんてったって、銃が存在していますので。

 帰国は(どっちが帰国なんでしょう?)20日の予定です。

それまでに収まっててほしいものです。

 ただ、この表現、言い過ぎとちゃいますか?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100515-00000105-jij-int

「市街戦」はいいすぎでしょう?

実際銃は撃たれているので、そういわれればそうかもしれません。

 が、そっから5Km のところに住んでいて、昨日も郊外にGolfしに行った私は何なの?

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シリア、ヨルダン、たぶん金相当36

2010-05-16 16:16:28 | Weblog
 途中、いろいろお土産売り場もあるが、そんなのは全部無視。

よくもまぁ、こんな狭いところにまで出店するものだ、とも思う。

が、地元の人々にとっては、唯一の外貨を獲得し、国の経済を潤わせようとしているのか、はたまた生活のためか・・・。

 で、這い上がって、右に曲がると目の前に現れるのがこれ。

Ed Deir(エド・ディル)

 上がったところには、上がるだけの価値がありました。

ガイドブックによると、これは、あの正面にあったEl Khazbeh(エル・ハズネ)よりでかいらしい。

こっちの方が有名にならなかったのはなぜ?

 それに、状況を考えると、El Khazbehは、遺跡の入り口という感があり、皆さん記念撮影をしたら、どんどん通り過ぎて、さらに奥へと歩いて行く。

 それに対して、Ed Deirは、苦労して上がってくるものですから、だいたいの人は疲れて、ここでゆっくりする。

当然視線を長い時間浴びているのは、圧倒的にこっちだと思う。

そういう意味でも遺跡自身?!にとってみれば、私の方が見られてるのよっ!っ的な感情を持つのではないでしょうか?

感情があればね!
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シリア、ヨルダン、たぶん金相当35

2010-05-16 16:16:14 | Weblog
 思えば遠くにき、ではなく、思えば良くも33話まで来たなぁ。

でもなんて事はない。

それだけ、思い出に残る写真を撮っているって事だけです。

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ここの登りは正直言わなくても非常に疲れた。

普段の生活から歩きだけは心掛けているので、まず、大丈夫だろうと思っていたけれど、

ここはつらかった。

 と、言いましても、途中でへばったりすることはありません。

せっかく、心に期すものがあってきたヨルダン、多少疲れたって、へこたれるわけにはいかないのです。

僕のことを心配してくれる人(たぶんいない)や、僕に期待してくれる人(もっといない)のためにも?!

 なんてことを考えていると、そのうち、目的地には着くもんです。

 これも逆説的に考えると当たり前。

 世界遺産ともなるものが、限られた人(元気な人)しかたどり着けないなんて、あり得ない。

世界遺産指定してほしい人にとっては、とにかくそこに来てくれて、金を落としていく人、日本人で言えば、リタイヤ組がそのほとんどを占めるはず。

 その人がたどり着かないようでは、金も落ちないし、その地域、国も潤わない。

 てな、ひねくれた考えをすれば、どんなに険しくつらい道でも、意地でもへこたれたくはない、という脳内モルヒネが分泌される。

 俺って、結構こういうので生きている部分が多いと思ってます。
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シリア、ヨルダン、たぶん金相当34

2010-05-13 06:59:32 | Weblog
 そして、やっぱり思ったとおり。いや、期待していたとおりで、この奥にもなかなか侮れないものがたくさんありました。

 一番最初のEl Khaznehで帰るもよし、その奥までずっと歩くのもよしです。

 しかし、ここの歩きは私にいろんな意味で、いろんなものを見せてくれました。「

 でも、なんで世界遺産の中にいろんな土産売り場があるんだ?

あいつら、ホントに営業許可受けているのか?

それとも、そんなもの、最初っからないのかな?

 もっとも私は、

「そんなもん買わないぞ~!」

ビームを全身から出してましたので、ひつこくつきまとわれるようなことはありませんでした。
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シリア、ヨルダン、たぶん金相当33

2010-05-11 00:41:14 | Weblog
 El Khazneh (エル・ハズネ;あの正面の遺跡はエル・ハズネといいます)を左手に見ながらさらに奥に進みます。

地球の歩き方によると、この先にもいろいろあるらしい。

私的には結構堪能できたのですが、意外とこういう奥にもイケてるものが点在することも多い。

それを宛にするわけでもないが、奥へと歩いてみた。

 ちょっと行くと、視界がドワッと開け、生活感のある遺跡群が現れた。

 以前にダビンチコードって映画がありました.

あれの1シーンで、ラングドン教授がバチカンの前に立ったとき、現在と、いにしえの映像がダブる場面がありました。

私の頭の中では、あんな感じで、当時ここで生活していた人達の姿がイメージされてました。

この時間、とっても幸せなんですよね。

この時間を得たいが為に、こういう遺跡を訪れています。

周りから見て、私はどんな顔しているのかわかりませんが、とっても幸せそうな顔しているに違いないです。

きっと。

 だって、自分自身がそうなんですから、周りからもきっとそう見えるはず。

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シリア、ヨルダン、たぶん金相当32

2010-05-10 07:18:16 | Weblog
 そしてこういう景色が現れる。

 やっぱ見たかったモノを目の前にすると、涙うっすらです。

俺はこれが見たかったんだ、これを見るためにやってきたんだ! これがあのペトラ遺跡だ。

 ってな感じでね。(全然わかりませんね)

 そして、気の済むまで、この場所で立ち竦む。

人でいっぱいだが、そんな事は気にならなくなる。

自分のイメージの世界に入っちゃって、もう、最高の気分。

 そうしているうちになぜか30分くらい過ぎていた。

まだここは奥があるので、そろそろ行きます。

 ここは一本道だから、帰りもまた見られます。

 しかし、見事でした。

 これまた何年かかったか知りませんが、徐々に、徐々に作っていったのでしょう。

でも、ホント、なんでこんな奥にこんな物を作ったのか、良くもこんな奥にこんなのを作れる場所を見つけたものだ。

 昔の人達は携帯、GPSもない代わりに、ものすごく感性があったんでしょうね。
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シリア、ヨルダン、たぶん金相当31

2010-05-08 00:00:18 | Weblog
 ここはもともと、旅の中間地点として栄えたらしい。

パルミラもそうだったけれど、ヨーロッパからアジアへ向かうルートというのは、かなり盛んなルートだったのでしょう。

でなければ、各地になんな立派な遺跡なんか作るはずない。

しかし一往復するのに、どのくらいの期間を要したのでしょうか?

また、何割の人たちがちゃんと戻れたのでしょうか?

 その中でも、住所不定なんて人もたくさんいたんでしょうな。

往復しようと出発したものの、気が変わって途中でまたU-Turnしてみたり・・・。

なんか、うらやましい生活といえばそうかもしれません。

悠久の時を超えて、今でもその人たちの痕跡は残っています。

 この道は今でも馬車が通ります。

その足音が渓谷に響き、これまたいい感じ。

 でも、馬糞の臭いで、興ざめする部分も・・・・。
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