武道の源流、姫路に集結! - 第36回 日本古武道演武大会 見聞録⑥/竹生島流 棒術 -

2013-02-22 00:52:42 | うんちく・小ネタ
撮影日 : 平成25年2月10日(日)
会 場 : 兵庫県立武道館(姫路市西延末)



 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

6.竹生島流 棒術 (ちくぶしまりゅう ぼうじゅつ)




竹生島流 棒術は、今からおよそ800年余り前の源平合戦の時代、難波平治光閑(なんば へいじ みつのり)によって創始されました。


光閑は、もともと長刀(なぎなた)の達人で、長刀一流を極めて自ら難波流の流祖となっていました。

その後、ある合戦で光閑は、長刀を振い獅子奮迅の働きをしていましたが、戦いの最中に長刀が折れて柄ばかりになってしまうという危機に見舞われます。
しかし、その残った柄を長刀の手で使って戦い、大勢の敵を討ち取りました。
この体験から棒術を編み出したと伝えられています。

光閑は、これはかねてより信心していた琵琶湖の竹生島弁財天の冥恩であるとして、竹生島流棒術と名付けました。


江戸時代になると、竹生島流 棒術は、出羽国の庄内藩(藩主:酒井家)およびその支藩の出羽松山藩において伝承されてゆきました。






0601







0603







0610






0612







0614







0615







0618







0621





(以下、次号)





武道の源流、姫路に集結! - 第36回 日本古武道演武大会 見聞録⑤/琉球古武術 -

2013-02-21 01:43:06 | うんちく・小ネタ
撮影日 : 平成25年2月10日(日)
会 場 : 兵庫県立武道館 (姫路市西延末)



 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


5.琉球古武術 (りゅうきゅうこぶじゅつ)



琉球古武術の起源は、今からおよそ700年前とされます。
14世紀のはじめ、沖縄本島は北山・中山・南山を称する3人の王が割拠する「三山鼎立」(さんざんていりつ)の時代でした。
それぞれの王が海外貿易などで勢力を培い、互いに対立抗争を繰り返していましたが、そうした戦いの中で、琉球古武術の原型が成立していったと考えられています。
100年余を経た15世紀はじめ、北山王・南山王を滅ぼした中山王・尚氏が統一王朝を築きました。

琉球古武術は、近代に入って一時衰微していましたが、大正時代初期に8種類の武器を用いる40余の型に集大成され、現在に継承されています。





0402






0406

ヌンチャク術









0410

ヌンチャク術のうち、対短刀の組手








 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


0416


釵術(さいじゅつ)







0417


釵術のうち、対棒術の組手





0418


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

0420

棒術







0424


棒術対棒術の組手




(以下、次号)


武道の源流、姫路に集結! - 第36回 日本古武道演武大会 見聞録④/風傳流 槍術 -

2013-02-20 00:49:44 | うんちく・小ネタ
撮影日 : 平成25年2月10日(日)
会 場 : 兵庫県立武道館 (姫路市西延末)




 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


4.風傳流 槍術 (ふうでんりゅう そうじゅつ)


風傳流 槍術は、江戸時代の初期、中山源兵衛吉成によって創始されました。
長さ一丈二尺(約3.6メートル)の素槍を自在に用いた、「刺突」・「叩打」の合戦的技法が特徴です。
加賀国の大聖寺藩(藩主:前田家)で伝えられてきました。

※ 素槍(すやり)とは、刃が真っ直ぐで、枝が出ていない槍を示します


シンプルな素槍を用いるので、用法は無限に有るとされます。
そのため、技法の修得には、心・槍・体一致の修練を不可欠としています。

吉成は、「風の姿は無形・広大・自在であり、まさに槍を用いる技の理想である」として、流名を「風傳流」と命名しました。




2801







2802







2804







2809







2816







2818







2820







2821







2822







2825






(以下、次号)



武道の源流、姫路に集結! - 第36回 日本古武道演武大会 見聞録③/楊心流 薙刀術 -

2013-02-19 01:03:24 | うんちく・小ネタ
撮影日 : 平成25年2月10日(日)
会 場 : 兵庫県立武道館 (姫路市西延末) 



 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


3.楊心流 薙刀術 (ようしんりゅう なぎなたじゅつ)



楊心流 薙刀術は、城に仕える御殿女中たちの護衛武術として、筑後国の柳川藩(藩主:立花家)に伝わりました。
流派の名称は、「楊(柳)の如くたおやかにして、肉を切らせて骨を砕く」という極意に因みます。





1501

この流派の一番の特徴は、振袖着物姿に襷掛け、鉢巻を結んで白足袋着用という華やかな装いです。
胴着袴姿に素足という薙刀(長刀)の一般的なスタイルとは、まさに好対照と言えます。




1503

これは、御殿女中がいつ、いかなる攻撃を受けても即座に対処した姿を受け継いだものです。
ちなみに襷や鉢巻は、包帯に代用するため布を縁取りしないものを使用するという方法を今も継承しています。




1504

まずは「薙刀合」。
薙刀同士が相対する技です。





1507






1509






1515







1519



 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


1523

続いて「半棒」です。
これは、薙刀の柄が切られた場合や、または薙刀を持ち合わせていない時に、身近の得物で対処する技です。




1532





 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


1562

最後に「切紙」です。
これは、薙刀が太刀と相対する技で、その名のとおり薙刀で紙を切ることが出来るまで極めてゆく技術を要します。


1574








1581


1583




(以下、次号)


武道の源流、姫路に集結! - 第36回 日本古武道演武大会 見聞録②/初實剣理方一流 甲冑抜刀術 -

2013-02-18 00:11:35 | うんちく・小ネタ
撮影日 : 平成25年2月10日(日)
会 場 : 兵庫県立武道館(姫路市西延末) 

 
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


2.初實剣理方一流 甲冑抜刀術 (しょじつけんりかたいちりゅう かっちゅうばっとうじゅつ)


初實剣理方一流 甲冑抜刀術は、その名が示す通り、甲冑を着用して技を発揮する剣術です。
美作国の津山藩(藩主:越前系松平家)に伝えられていました。

基本は今枝流剣術の太刀抜刀の技から成っていますが、敵を倒した後には止(とどめ)を刺すなど、実戦を想定した厳しい武術です。






0503

「大座」と呼ばれる独特の座り方で構えます。
この流派の特徴の一つです。

ちなみに「小牧長久手合戦図屏風」など、合戦を描いた絵画史料でも、「大座」に似た構えをとる甲冑武者を確認できます。
この流派がどこまでも実戦本位であることが分かります。




0504

敵の位置に着眼。










0513

背後から来る敵に対しても、突然振り返って切る。
そして止を刺す。







0514

「大座」で構えて、敵の動静を見て、








0515

敵の動く前に切り込む。








0516

止を刺す。
そして残心納刀。








0522

闇夜で敵を倒す技、「陰中剣」(いんちゅうけん)。
刀の先に鞘を残し、鞘を紐(下げ緒)で吊り下げる。
これを左右にゆっくり振って、敵の所在を探りながら移動してゆき、









0524

鞘が敵に当れば素早く抜刀。







0525

敵を一刀両断。








0526

そして止を刺す。



(以下、次号)