弘前城 ひろさきじょう (青森県弘前市)
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弘前城は、津軽信枚(つがる のぶひら)が慶長15年(1610)2月より本格的な城普請に着手しました。
翌16年(1611)5月には一応の完成を見て、信枚が入城しています。
以後、明治4年(1871)7月の廃藩置県まで、弘前藩・津軽家の居城でした。
城跡は現在、弘前公園となり、東西約615メートル、南北約950メートルもあった城の敷地がほぼ残っています。
天守をはじめ、三重櫓3棟、櫓門5棟、番所1棟が現存し、東北地方の城の中で最も旧状をよく留めています。
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追手門です。
三の丸の南側に開く、弘前城の正面入り口です。
手前の堀は、外堀です。
弘前城は西側の岩木川を背後の守りとして、南・東・北の三方に、内堀・中堀・外堀の三重の堀を廻らせています。
外堀に沿って、歩いてみましょう。
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外堀を東側にまわった所に、東門が建てられています。
三の丸から城外に向かって開く、もう一つの門です。
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外堀に沿って北上すると、三の丸の北側に築かれた北の丸に至ります。
北の丸に建てられた亀甲門(かめのこもん)です。
北門とも呼ばれます。
弘前城の南東10キロメートルの地にあった大光寺城(だいこうじじょう)から移築した門と伝えられています。
以上の3棟の門が、城外から弘前城内へ入る主要な門でした。
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亀甲門を入って北の丸、続いて三の丸を南に進むと、内堀に突き当たります。
内堀越しに見る、二の丸北東隅の丑寅櫓(うしとらやぐら)です。
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さらに内堀に沿って南に進むと、東内門(ひがしうちもん)が建っています。
門を入ったところに与力番所(よりきばんしょ)が建っています。
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与力番所の辺りから見た天守です。
はやる気持ちを抑え、もういちど東内門を出て、内堀に沿って南進しました。
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南から見た二の丸です。
櫓は、二の丸の南西隅に建つ未申櫓(ひつじさるやぐら)です。
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内堀の南側に建つ南内門(みなみうちもん)です。
ここを入ると二の丸です。
なお、二の丸南側は、東西を2棟の三重櫓が固めています。
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二の丸南東隅の辰巳櫓(たつみやぐら)。
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同じく、南西隅の未申櫓。
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いよいよ天守に接近です。
築城当初、弘前城には五重天守が建っていました。
しかし、この五重天守は、寛永4年(1627)に落雷で焼失。
文化7年(1810)、本丸辰巳櫓を改築して建てたのが、現存する三重天守です。
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天守の外観は、本丸の外向き(南・東側)と内向き(西・北側)とでは、全く違う様相をしています。
窓の大きさ、屋根の破風飾りの有無などに注目してみて下さい。
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本丸から見た岩木山。
津軽の歴代の殿様も、ここから雄大な岩木山の姿を愛でたことでしょう。
とても贅沢な庭の借景です。
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弘前城は、津軽信枚(つがる のぶひら)が慶長15年(1610)2月より本格的な城普請に着手しました。
翌16年(1611)5月には一応の完成を見て、信枚が入城しています。
以後、明治4年(1871)7月の廃藩置県まで、弘前藩・津軽家の居城でした。
城跡は現在、弘前公園となり、東西約615メートル、南北約950メートルもあった城の敷地がほぼ残っています。
天守をはじめ、三重櫓3棟、櫓門5棟、番所1棟が現存し、東北地方の城の中で最も旧状をよく留めています。
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追手門です。
三の丸の南側に開く、弘前城の正面入り口です。
手前の堀は、外堀です。
弘前城は西側の岩木川を背後の守りとして、南・東・北の三方に、内堀・中堀・外堀の三重の堀を廻らせています。
外堀に沿って、歩いてみましょう。
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外堀を東側にまわった所に、東門が建てられています。
三の丸から城外に向かって開く、もう一つの門です。
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外堀に沿って北上すると、三の丸の北側に築かれた北の丸に至ります。
北の丸に建てられた亀甲門(かめのこもん)です。
北門とも呼ばれます。
弘前城の南東10キロメートルの地にあった大光寺城(だいこうじじょう)から移築した門と伝えられています。
以上の3棟の門が、城外から弘前城内へ入る主要な門でした。
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亀甲門を入って北の丸、続いて三の丸を南に進むと、内堀に突き当たります。
内堀越しに見る、二の丸北東隅の丑寅櫓(うしとらやぐら)です。
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さらに内堀に沿って南に進むと、東内門(ひがしうちもん)が建っています。
門を入ったところに与力番所(よりきばんしょ)が建っています。
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与力番所の辺りから見た天守です。
はやる気持ちを抑え、もういちど東内門を出て、内堀に沿って南進しました。
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南から見た二の丸です。
櫓は、二の丸の南西隅に建つ未申櫓(ひつじさるやぐら)です。
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内堀の南側に建つ南内門(みなみうちもん)です。
ここを入ると二の丸です。
なお、二の丸南側は、東西を2棟の三重櫓が固めています。
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二の丸南東隅の辰巳櫓(たつみやぐら)。
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同じく、南西隅の未申櫓。
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いよいよ天守に接近です。
築城当初、弘前城には五重天守が建っていました。
しかし、この五重天守は、寛永4年(1627)に落雷で焼失。
文化7年(1810)、本丸辰巳櫓を改築して建てたのが、現存する三重天守です。
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天守の外観は、本丸の外向き(南・東側)と内向き(西・北側)とでは、全く違う様相をしています。
窓の大きさ、屋根の破風飾りの有無などに注目してみて下さい。
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本丸から見た岩木山。
津軽の歴代の殿様も、ここから雄大な岩木山の姿を愛でたことでしょう。
とても贅沢な庭の借景です。