「第31回 全国城郭研究者セミナー  ~ 近世城郭をどう捉えるか ~ 」 私の見聞録。

2014-08-04 23:51:01 | うんちく・小ネタ
8月2日(土)、3日(日)の両日、九州大学・西新プラザで開催された「全国城郭研究者セミナー」に参加してきました。
これは、全国の城郭研究者が一堂に会して、全国を視野におさめた研究成果の交換と、研究者同士の交流を深める目的で、毎年夏に行われているものです。
なお、第31回目にあたる今年は、初の九州地区での開催でした。
台風の影響で、ずっと雨続きでしたが大勢の参加者で賑わっていました。

以下、私の個人的な感想ですが、簡単に触れてみたいと思います。



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先ず始めは、選抜された6名の研究者による調査・研究報告。
自治体でお城の研究に携わる本職の方から、本業の傍ら二足の草鞋で研究活動を続けている方まで、立場は様々です。
しかし、どの方からも地域に根差した研究に打ち込む熱意が共通して感じられました。

研究の方法も様々で、地域の城跡を丹念に踏査して地域性・時代性の分類を試みた研究、統計学的な手法を用いて数値でお城の特性を表そうとする研究。徹底した文献調査により通説の見直しに挑む研究などなど・・・。
目からウロコの新知見の数々に、時間の経つのも忘れるほど聞き入ってしまいました。

中には、報告後に鋭い質問が入り、コンセプトの理論が危うくなってしまったようなケースもありましたが、いえいえ、こういうプロセスを経て学問は発展してゆくものと信じています。



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そして後半は、「近世城郭をどう捉えるか 」をテーマとしたシンポジウム。

現代のお城の研究は、お城を「史料」として社会構造を読み解く、つまり、お城の形やその変遷から、その時代がどんな時代だったか、どんな社会が営まれていたかの追求を目的として、1980年代から90年代にかけて発展しました。
しかし現在、その目的が忘れられ、細かい形の追及にのみに終始するようになり(ある意味で、オタク化)、その時代の全体像へと視野が向かない傾向にあるとされます。

(・・・確かに、私もそうですが、お城好きな人は個人差はあれど「凝り性」なので、ついそうした傾向に向かうのかもしれません。)

そこで、研究目的の原点の確認の意味も込めて、今回のテーマが選定されたそうです。

シンポジウムに先立ち、4名の研究者からの基調報告。
こちらは大学、博物館等で研究活動をされている本職の先生方で、最後は奈良大学の千田嘉博先生。
近世城郭とは、「石垣が築かれている」とか「天守が建っている」とかのハコモノの有無ではなく、城主→家臣の上下関係を厳然と示す構造になっているか(たとえば安土城の場合、山上の信長居館と、そこに続く坂道に沿ってひな壇状に築かれたか家臣団屋敷群の存在)で定義づけるという解説は、とても分かり易かったです。
シンポジウムでもこの説がコンセプトになりました。


 
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なお、千田先生が「余談」として紹介された
<海外のお城と、日本のお城との意外な共通点>
には、大変興味深いものがありました。

たとえば、武田信玄が信濃の海津城(松代城)をはじめ、重要拠点のお城に「丸馬出」(まるうまだし=城門の外側に、半円状に堀や土塁を構えた防御施設)を築いています。
これと同じものが、紀元前のイギリスの城塞都市に存在したり・・・。
13世紀のシリアの城郭で、しつこいくらいに屈曲を繰り返す城門の構造が、
熊本城の飯田丸から本丸に至る連続枡形に似ていたり・・・。

時代も国も全く違う中で、
似たような社会情勢が出現し、
似たような政治的立場の人々が居て、
自分たちの生命、生活基盤、地位などを守るため、
考えに考え抜いた結果、よく似た建造物が誕生した。
・・・そうした例が、世界には数多く見られるそうです。

このような国際比較によって、
<日本のお城がその時代時代でどんな役割を果たしたか、何を求めらていたか>
が見えてくる。

という話には、大変感銘を受けました。




次回の「全国城郭研究者セミナー」は、来年の夏、東京で開催の予定だそうです。
一般参加OKですので、興味のある方はぜひ行ってみてください。


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