武道の源流、姫路に集結! - 第36回 日本古武道演武大会 見聞録⑪/佐分利流 槍術 -

2013-02-27 00:47:04 | うんちく・小ネタ
撮影日 : 平成25年2月10日(日)
会 場 : 兵庫県立武道館 (姫路市西延末) 



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11.佐分利流 槍術 (さぶりりゅう そうじゅつ)




佐分利流槍術は、安土桃山時代に佐分利猪之助重隆(さぶり いのすけ しげたか)によって創始されました。
この流派は、「槍は切るもの、刀は突くもの」を真髄としているのが特徴です。


その頃、重隆は伊勢国の安濃津(現・三重県津市)の大名・富田信高に仕えていました。
慶長5年(1600)の関ヶ原合戦を前に、富田信高は徳川方に与したため、安濃津城は毛利勢など石田方の大軍に攻撃されます。 その籠城戦で重隆は、槍をもって闘い、石田方を大いに悩ましたと伝えられます。


関ヶ原合戦後、重隆は富田家を離れます。
そして慶長6年(1601)、新たに姫路城主となった池田輝政に仕え、姫路で槍術の指南を行いました。


その後の佐分利流槍術は、四代目・佐分利重勝が備後国の三原城主・浅野家(広島藩家老)に仕え、同家の槍術師家として明治維新まで続いてゆきます。




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鍵槍之形(かぎやりのかた)

立方が素槍(すやり=刃が真っ直ぐな槍)、仕方が鍵槍(かぎやり=刃から鍵状の突起が出た槍)を持って行う形です。




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真槍之形(しんそうのかた)

真槍を用いて形を演じます。


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(以下、次号)





武道の源流、姫路に集結! - 第36回 日本古武道演武大会 見聞録⑩/琉球王家秘伝本部御殿手 -

2013-02-26 01:17:47 | うんちく・小ネタ
撮影日 : 平成25年2月10日(日)
会 場 : 兵庫県立武道館 (姫路市西延末) 




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10.琉球王家秘伝 本部御殿 手 (りゅうきゅうおうけひでん ほんぶうどうん でい)




琉球王家秘伝本部御殿手は、琉球王国(第二尚王統)の10代国王・尚質王(1629~1668)の第六王子・尚弘信を始祖とする王族・本部御殿に伝えられてきた武術です。

少し耳に馴染み難い響きですが、琉球で「御殿(うどうん)」は、王位継承権を持つ王族の家柄を示します。
また、「手(てい)」は、武術を意味します。
すなわち、琉球王家秘伝本部御殿手とは、「琉球王族で、王位継承権を持つ本部家の秘伝の武術」なのです。


琉球王家秘伝本部御殿手は、突き蹴りを主体とした体術を基礎としています。
闘い方の特徴は、素手の時も、武器を用いる場合でも、「入身して、交叉法による攻撃」を心がけることです。
つまり、敵の攻撃に対しては受けるのではなく、体捌きで交わしながら同時に攻撃を仕掛けるようにします。
さらに、多人数を相手に闘う時は、絶えず歩み続けながら立ち止まることなく技を使って、敵に対処します。




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棒術


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刀は基本的に二刀を使用します。
合戦の際に多人数を相手に闘うことを想定したものです。



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身の回りの道具でも武器として幅広く用います。
ここでは船の櫂(かい)を武器にしています。




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(以下、次号)




武道の源流、姫路に集結! - 第36回 日本古武道演武大会 見聞録⑨/柳生新陰流兵法剣術 -

2013-02-25 00:23:33 | うんちく・小ネタ
撮影日 : 平成25年2月10日(日)
会 場 : 兵庫県立武道館 (姫路市西延末) 




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9.柳生新陰流兵法剣術 (やぎゅうしんかげりゅう へいほう けんじゅつ)




柳生新陰流兵法剣術は、江戸時代にもっとも栄えた剣術の流派です。


柳生新陰流は、室町時代末期に上泉伊勢守信綱が創始した「新陰流」に始まります。
新陰流は、剣術を主としますが、薙刀(なぎなた)、三道具(みつどうぐ)、手裏剣、鉄扇などの技も付随しています。

永禄6年(1563)、柳生石舟斎宗厳(やぎゅう せきしゅうさい むねよし)が、上泉伊勢守に入門して新陰流を学び始めます。
その後、柳生石舟斎は永禄8年(1565)に皆伝印可、さらに元亀2年(1571)に一国唯受一人の奥伝を得ます。
こうして柳生石舟斎が新陰流の第二世を継ぎ、「柳生新陰流」の呼称が生まれました。

柳生石舟斎の後、柳生家は江戸柳生家(石舟斎の五男・宗矩の家系)と尾張柳生家(石舟斎の嫡男・厳勝の子、すなわち石舟斎の孫の兵庫助利厳の家系)の二系統に分かれます。

江戸柳生家は、徳川家康に仕え、2代将軍秀忠、3代将軍家光の兵法師範となり、以後代々将軍家に仕えましたが、江戸時代後期には兵法から遠ざかってしまいます。

一方、尾張柳生家は、尾張藩の初代藩主・徳川義直の兵法師範となって以降、尾張徳川家歴代とともに柳生新陰流を正しく伝承してゆきます。そして、こちらの系統が現在まで継承されています。


柳生新陰流兵法剣術の特徴は、「剣禅一致」の思想を根底とすることです。
勝ち負けにとらわれないで、相手のどのような動きに対しても自在に技を駆使するためには、自己を超えた心的境地をひらく修養が必要とします。
坐禅による精神統一は、無我無欲の境地における集中力の発揮という点で、剣術修練の最も強力な裏打ちでした。




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「三学円之太刀」

上泉伊勢守信綱が創案したこの流派の代表的な太刀の一つです。
侍の剣理を具現したものです。



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「試合勢法」

尾張柳生家独特の刀法で、江戸時代中期に作られました。
基本的なものから実戦的なものまで、多種多様にして百数十本あります。




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「燕飛之太刀」

上泉伊勢守信綱が愛洲陰流の「猿飛」より発展させ、「燕飛」「猿廻」「山陰」「月影」「浦波」「浮舟」の六本の太刀として完成したものです。







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(以下、次号)





武道の源流、姫路に集結! - 第36回 日本古武道演武大会 見聞録⑧/澁川一流 柔術 -

2013-02-23 21:55:31 | うんちく・小ネタ
撮影日 : 平成25年2月10日(日)
会 場 : 兵庫県立武道館 (姫路市西延末)



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8.澁川一流 柔術 (しぶかわいちりゅう じゅうじゅつ)


澁川一流柔術は、江戸時代後期に首藤蔵之進満時が創始しました。

流名の「澁川」は、叔父の宮崎儀右衛門満義を師として習得した澁川流に因みます。
また「一」は、同じく叔父・満義より習得した難波一甫流と、武者修行の途上で習得した浅山一伝流に因みます。
すなわち、「澁川一流」の流名は、「澁川一甫一伝流」の柔術を意味します。

満時は浪人の身であり、安芸国・広島城下の外れの坂村に居住していました。
ある時、広島の城下町に出向いていた満時は、5~6名の広島藩士と争いになります。
これを澁川一流柔術の技で難なく避けたところ、たまたま居合わせた伊予国・松山藩士の目に留まり、その藩士の推挙で松山藩(藩主 : 久松松平氏)に仕えることになりました。
そして、小玉平六と名乗りを変えて、松山藩で澁川一流柔術の教授を行ったと伝えられています。




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互棒 (懐剣で打ち込んでくる敵を、短棒で制する形)


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打込 (懐剣で上段より打ち込んでくる敵を制する形)


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三尺棒 (三尺棒で打ち込む敵を制する形)


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十手 (刀で上段より斬り込んでくる敵を、十手で制する形)


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(以下、次号)




武道の源流、姫路に集結! - 第36回 日本古武道演武大会 見聞録⑦/鞍馬流 剣術 -

2013-02-23 10:12:38 | うんちく・小ネタ
撮影日 : 平成25年2月10日(日)
会 場 : 兵庫県立武道館 (姫路市西延末)




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7.鞍馬流 剣術 (くらまりゅう けんじゅつ)




鞍馬流剣術は、天正年間(1573~1591)に大野将監(おおの しょうげん)が創始しました。
蛤刃(はまぐりば)と呼ばれる太い木太刀を用い、気迫に富んだ独特の発声をもって演武するのが特徴です。


ところで、鞍馬と聞けば、「牛若丸こと源義経が、幼少期に修行を積んだ地」と連想される方も多いのではないでしょうか。
伝説では、牛若丸に武術を教えた鬼一法眼(きいちほうげん)が、京八流(きょうはちりゅう)という剣術流派を創始したとされます。
鞍馬流剣術は、その京八流の流れを汲んだ流派といわれています。









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