武道の源流、姫路に集結! - 第36回 日本古武道演武大会 見聞録⑨/柳生新陰流兵法剣術 -

2013-02-25 00:23:33 | うんちく・小ネタ
撮影日 : 平成25年2月10日(日)
会 場 : 兵庫県立武道館 (姫路市西延末) 




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9.柳生新陰流兵法剣術 (やぎゅうしんかげりゅう へいほう けんじゅつ)




柳生新陰流兵法剣術は、江戸時代にもっとも栄えた剣術の流派です。


柳生新陰流は、室町時代末期に上泉伊勢守信綱が創始した「新陰流」に始まります。
新陰流は、剣術を主としますが、薙刀(なぎなた)、三道具(みつどうぐ)、手裏剣、鉄扇などの技も付随しています。

永禄6年(1563)、柳生石舟斎宗厳(やぎゅう せきしゅうさい むねよし)が、上泉伊勢守に入門して新陰流を学び始めます。
その後、柳生石舟斎は永禄8年(1565)に皆伝印可、さらに元亀2年(1571)に一国唯受一人の奥伝を得ます。
こうして柳生石舟斎が新陰流の第二世を継ぎ、「柳生新陰流」の呼称が生まれました。

柳生石舟斎の後、柳生家は江戸柳生家(石舟斎の五男・宗矩の家系)と尾張柳生家(石舟斎の嫡男・厳勝の子、すなわち石舟斎の孫の兵庫助利厳の家系)の二系統に分かれます。

江戸柳生家は、徳川家康に仕え、2代将軍秀忠、3代将軍家光の兵法師範となり、以後代々将軍家に仕えましたが、江戸時代後期には兵法から遠ざかってしまいます。

一方、尾張柳生家は、尾張藩の初代藩主・徳川義直の兵法師範となって以降、尾張徳川家歴代とともに柳生新陰流を正しく伝承してゆきます。そして、こちらの系統が現在まで継承されています。


柳生新陰流兵法剣術の特徴は、「剣禅一致」の思想を根底とすることです。
勝ち負けにとらわれないで、相手のどのような動きに対しても自在に技を駆使するためには、自己を超えた心的境地をひらく修養が必要とします。
坐禅による精神統一は、無我無欲の境地における集中力の発揮という点で、剣術修練の最も強力な裏打ちでした。




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「三学円之太刀」

上泉伊勢守信綱が創案したこの流派の代表的な太刀の一つです。
侍の剣理を具現したものです。



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「試合勢法」

尾張柳生家独特の刀法で、江戸時代中期に作られました。
基本的なものから実戦的なものまで、多種多様にして百数十本あります。




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「燕飛之太刀」

上泉伊勢守信綱が愛洲陰流の「猿飛」より発展させ、「燕飛」「猿廻」「山陰」「月影」「浦波」「浮舟」の六本の太刀として完成したものです。







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(以下、次号)