新発田城 <紅葉の名所のお城 2014 ②>

2014-11-16 21:21:32 | 歴史
新発田城  しばたじょう    (新潟県新発田市)


先日、地域の図書館へ行ってきました。
その道すがら、街路樹も、町中の小さな公園の木々も、いよいよ色付きつつあることに気づきました。
普段あまり気に留めていない場所にも、秋は着実に深まりつつあるようですね。


さて、「紅葉の名所のお城」、第二弾は新潟県の新発田城です。
「新発田」は、案外と難読地名かも知れないですね。
 (撮影/2007年11月12日)

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新発田城は、溝口秀勝(みぞぐち ひでかつ)によって築かれました。

秀勝は尾張国の出身で、織田信長の重臣・丹羽長秀(にわ ながひで)に仕える武将でした。
信長の死後、その政権を継いだ豊臣秀吉は、天正13年(1585)秀勝を丹羽家から独立させ大名に抜擢。
加賀国の大聖寺城(だいしょうじ じょう/石川県加賀市に所在)の城主として、4万4000石を与えました。
秀吉の目にかなうほどですから、よほど有能な武将だったのでしょう。

慶長3年(1598)、越後国の上杉景勝が、会津に領地替えとなりました。
上杉氏が去った越後国には、豊臣系の大名たちが新領主として配置されました。

秀勝は、その内の蒲原郡6万石を与えられたのでした。
こうして、溝口家は越後の大名として新たなスタートをきることになったのです。

しかし、秀勝の新たな領国・越後蒲原郡には、問題が山積していました。
入国早々に起こった一揆の鎮圧(この一揆は、越後回復をもくろむ上杉景勝が裏で糸を引くものでした)。
頻発する洪水対策としての治水事業。
これらを見事にクリアした秀勝が、領国支配のシンボルとして新築した城が新発田城でした。

その後の新発田城は、寛文8年(1668)の大火、翌9年の大地震、さらに享保4年(1718)には再び大火に見舞われ、大きな被害を受けました。
その都度、年数はかかりましたが新発田城は復興され、むしろ前よりも精巧な美を持つ城へと姿を変えてゆきます。
苦心して新発田藩の礎を築いた秀勝の意志が、見事に引き継がれているような感じがします。

溝口家は、江戸時代を通じて新発田藩主として続き、明治を迎えました。




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本丸南側の景観です。
手前は平成16年に復元された辰巳櫓。

緻密に積まれた石垣と櫓の白壁が、澄んだ堀の水に映えています。
落ち着いた佇まいが魅力的な一角です。


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本丸表門です。
江戸時代中期の享保17年(1732)の建築です。

壁の下の部分が、黒と白の美しい格子模様になっています。
これは、塼(せん)というタイル状の瓦を貼り付け、目地を漆喰(しっくい)で固定した海鼠壁(なまこかべ)です。
見た目の美しさの他に、積雪で外壁の漆喰が水分を含み、剥がれるのを防ぐねらいもあるようです。
お城の櫓で海鼠壁が使われた例は少なく、現存建築は金沢城(石川県金沢市)と、ここ新発田城くらいしか無い貴重なものです。

ちなみに、手前の旗のぼりに入った家紋は、溝口家の「五階菱」(ごかいびし)の紋です。
この紋は、何と今は新発田市の市章(市のマーク)としても使われています。
殿様の家紋が、そのまま市章になっている例も、全国的に見て稀少だと言えます。



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この櫓も江戸時代の建築で、「二の丸隅櫓」と言います。
その名の通り、元は二の丸の一角に建っていました。

二の丸は堀が埋められ、城の面影を留めなくなっていました。
そこで保存のため、ここ本丸の南西隅に移築されました。



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堀には、たくさんの鴨(カモ)が泳いでいました。
せっせと泳ぎ餌を探す者、翼の下に顔を埋め、水面を漂いながら居眠りする者・・・。
間近で観察すると、これがなかなか面白いものでした。



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さて、こちらが新発田城のシンボル、御三階櫓(ごさんかいやぐら)です。
実質的にも、この城の天守であると言えます。

御三階櫓は、惜しくも明治初期に取り壊されていました。
平成16年、古写真などの史料に基づき、辰巳櫓とともに忠実に復元されました。


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御三階櫓の最大の特徴は、何と言っても最上層の棟がT字型に組まれていることです。
T字の先端には、合計3尾の鯱瓦が飾られています。

通常の天守の場合、最上層の鯱瓦は2尾であり、それは雄と雌の一対という設定になっています。
鯱は想像上の動物で、顔は龍、体は魚という姿をしています。
その姿から、火災除けの願いを込めて城郭建築の屋根に飾られるようになったと考えられています。
雄と雌のペアで、お城のシンボルを護るという発想が面白く感じます。

ところで、新発田城御三階櫓の3尾の鯱瓦は、一体どういう関係なのでしょうか?
雄•雌•雄、それとも雌•雄•雌???
興味津々な「三角関係」です。



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新発田城には、見事な松の木が多く見られます。
中には、江戸時代から生き続けているような古木もあります。
きっと、お城と時代の移ろいを見守り続けてきたことでしょう。

新発田市では、長期計画で城跡の公有地化と、建築の復元を計画しているそうです。
今後の展望が楽しみなお城です。

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