岸和田城 -「だんじり」の町の桜だより-

2013-04-02 23:11:44 | まち歩き
岸和田城 きしわだじょう (大阪府岸和田市)


岸和田と聞いて、まず連想されるのは毎年9月に行われる「岸和田だんじり祭」でしょう。
一昨年に放送されたNHK連続テレビ小説「カーネーション」でも、だんじり祭が岸和田の人々にとって暮らしと一体のものであり、さらには人々の人生の記憶そのものであるとすら言える様子が描かれていました。

「岸和田だんじり祭」の起源は、およそ300年前の江戸時代中期にさかのぼります。
当時、岸和田藩主だった岡部長泰(おかべながやす)が、五穀豊穣(ごこくほうじょう)の祈願のために京都の伏見稲荷を岸和田城三の丸に勧請し、稲荷祭を行ったことがその始まりと伝えられています。


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岸和田城の創築はあきらかではありませんが、戦国時代の後期には中世城郭として存在していたようです。

天正11年(1583)に羽柴秀吉が大坂城の築城に着手すると、大坂南方の拠点として重視されました。

天正12年(1584)の小牧・長久手合戦の際、秀吉不在の大坂城を狙って、紀州の雑賀・根来衆徒3万人が北上してきます。
しかし、秀吉が岸和田城に配置していた中村一氏の軍勢5000人がこれを撃退し、岸和田城は見事にその使命を果たしました。
なお、この戦いの時の岸和田城に、天守が存在したことを示す史料があります。

天正13年(1585)に小出秀政が入城します。
通説では、小出氏によって本格的な近世城郭に大改修され、五層の天守が上がったとされます。

その後、松井松平氏の時代を経て、寛永17年(1640)に摂津高槻より岡部宣勝(おかべのぶかつ)が入城し、以後、明治4年(1871)の廃藩置県まで岡部氏歴代が居城しました。


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桜の季節に合わせ、岸和田城を訪ねてみました。

現在の城址には、江戸時代から残る建物の遺構こそありませんが、本丸・二の丸の石垣と水堀がよく残っています。
ひときわ目を引く三層天守・櫓・土塀などは、すべて昭和の鉄筋コンクリート造りの模擬建築です。
しかし、石垣の風格と水堀のたたずまい、それに満開の桜に引き立てられ、岸和田城はなかなかの美観を呈していました。




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撮影日 : 平成24年4月8日(日)