紅葉の名所のお城③-2 - 続・佐和山城

2012-11-26 22:54:08 | 歴史
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龍潭寺の背後から佐和山の山頂に至る道すじには、三段の曲輪群を確認することができます。
この区画を総称して「西の丸」と呼んでいます。
「塩硝櫓跡」の碑が建つ一角は、土塁に囲まれています。
また、よく観察すると、城の遺構と思しき瓦の破片が散乱しているのが分かります。




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山頂の本丸跡に建つ城址碑。
本丸跡の現状は、一見したところ削平地が広がっているだけで、土塁や櫓台などの城郭遺構は見出せません。
彦根築城に伴う廃城の際に、天守台は大きく土地を削り落としたとする史料もあります。(『古城御山往昔咄聞集書』)




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いつ、誰によって植えられたものか、晩秋の本丸は紅葉の朱で見事に染まっています。





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関ヶ原合戦後の孤立無援の籠城戦、そして落城。
悲しい歴史を乗り越えて、つつましやかに秋を彩る紅葉です。


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佐和山城本丸から見渡した彦根城。
ここから見ると、なおさら歴史の興亡を感じさせられる光景です。



紅葉の名所のお城③ - 佐和山城

2012-11-12 00:37:42 | 歴史
佐和山城 (滋賀県彦根市)


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彦根城本丸の東北隅、月見櫓跡から旧城下町を眺めると、町並みの向こうにひときわ大きくそびえる山があります。
この山に石田三成の居城・佐和山城がありました。






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当時、「三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城」とうたわれた程、威風堂々とした名城でした。
その一方で、城内の造作は意外と質素で、居間などは畳を敷かず板張りのままとし、壁も仕上げの白漆喰を塗らず、土の色をむき出しにした荒壁のままだったようです。(『甲子夜話』)
三成は、城の壮麗さを誇ることよりも、無駄な出費を省き、常に実戦を念頭に置いていたと考えられます。

豊臣秀吉の死後、しだいに政権簒奪の野望をあらわにしてくる徳川家康に対し、三成は戦いを挑みます。
三成はありったけの兵力を率いて出陣し、佐和山城は三成の父・正継が主将となり、老臣や家臣団の家族たちが守備しました。

しかし、慶長5年(1600)9月15日、関ヶ原合戦で三成は敗北。
その2日後に佐和山城は、徳川方の大軍の猛攻撃を受けて落城。正継をはじめ石田一族はことごとく自刃して果てました。
当時の記録には、「討たるる兵、数を知らず」「女童まで当るを幸いと切り殺す」と酸鼻をきわめた戦いの様子が記されています。(『慶長自記』)

関ヶ原合戦後、新たに領主となった井伊家は、やがて彦根城を築城して移住、佐和山城は廃城となりました。






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佐和山城跡への登山口は、JR彦根駅の北方約1キロメートルにある清涼寺からのハイキングコースが最も分かり易いです。
清涼寺は曹洞宗の名刹で、井伊家歴代の菩提寺です。
なお、この地には元は石田三成の重臣・島左近の屋敷があったと伝えられています。
佐和山城とともに、「三成に過ぎたるもの・・・」とうたわれた名将の面影を偲びつつ境内を散策してみましょう。





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清涼寺境内から佐和山城跡へ向かう道の入り口は、紅葉のトンネルになっていました。
少し進むと、左手に石田三成の銅像が鎮座しています。
昭和57年に、地元の有志の方たちによって建立されたものです。
甲冑ではなく裃姿なのは、善政を布き没後も民に敬われ続けた三成像を表したためと思われます。





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登山口の脇には親切な地図の看板が設けられていました。
略図ながら佐和山の概要をつかむことができて有り難いです。
では、いよいよ「登城」してみることにしましょう。





紅葉の名所のお城②-2 - 続・彦根城 

2012-11-10 10:09:42 | 歴史
 

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彦根城の本丸から北を見下ろすと、森に囲まれた美しい庭園が目に入ってきます。
殿様の下屋敷に付属する庭園・玄宮園(げんきゅうえん)です。




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玄宮園の名は、支那(中国)の宮廷に付属した庭園を「玄宮」といったことに因んで命名されたと伝えられています。
広大な池を中心に島や入り江を配置し、九つの橋で散策路を結んだ回遊式庭園です。



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池に臨む茶室・鳳翔台(ほうしょうだい)の横には、かつては屋形船が係留され、舟遊びに興じることもできました。





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城山と天守を借景とする眺めは、現存する大名庭園の中でも屈指のものです。






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紅葉の名所のお城② - 彦根城 

2012-11-06 01:47:03 | 歴史
11月に入り、TVの気象情報の中でも紅葉だよりが紹介されるようになりました。
「紅葉の名所のお城」、第二弾は彦根城をご紹介します。

彦根城は、近畿地方のお城の中でも、紅葉の赤色の鮮やかさが特に際立っているので必見です。
晩秋の湖北は、朝晩の冷え込みが厳しく、その自然条件がこの美しく深い赤みを生み出すのでしょう。

さて、彦根城といえば井伊家の城。
井伊家は、甲冑・旗指物を赤一色で統一した「赤備え」で武勇を誇った家柄で、まさに赤色は彦根城のシンボルカラーと言えます。

自然の赤と歴史の赤、二つの「赤」の織り成す美を堪能してみるのも一興です。


------------ 彦根城 2002年11月17日撮影 ------------

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佐和口多聞櫓と天守の遠望。左手の石垣上では桜並木が色づいています。



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佐和口多聞櫓から見た御殿・天秤櫓


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内堀の土塁のこの一本が先ず目を楽しませてくれます。


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本丸から見た天守。


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天守の背後、西の丸の紅葉は必見です




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