撮影日 : 平成25年2月10日(日)
会 場 : 兵庫県立武道館 (姫路市西延末)
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8.澁川一流 柔術 (しぶかわいちりゅう じゅうじゅつ)
澁川一流柔術は、江戸時代後期に首藤蔵之進満時が創始しました。
流名の「澁川」は、叔父の宮崎儀右衛門満義を師として習得した澁川流に因みます。
また「一」は、同じく叔父・満義より習得した難波一甫流と、武者修行の途上で習得した浅山一伝流に因みます。
すなわち、「澁川一流」の流名は、「澁川一甫一伝流」の柔術を意味します。
満時は浪人の身であり、安芸国・広島城下の外れの坂村に居住していました。
ある時、広島の城下町に出向いていた満時は、5~6名の広島藩士と争いになります。
これを澁川一流柔術の技で難なく避けたところ、たまたま居合わせた伊予国・松山藩士の目に留まり、その藩士の推挙で松山藩(藩主 : 久松松平氏)に仕えることになりました。
そして、小玉平六と名乗りを変えて、松山藩で澁川一流柔術の教授を行ったと伝えられています。
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互棒 (懐剣で打ち込んでくる敵を、短棒で制する形)
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打込 (懐剣で上段より打ち込んでくる敵を制する形)
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三尺棒 (三尺棒で打ち込む敵を制する形)
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十手 (刀で上段より斬り込んでくる敵を、十手で制する形)
(以下、次号)
会 場 : 兵庫県立武道館 (姫路市西延末)
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8.澁川一流 柔術 (しぶかわいちりゅう じゅうじゅつ)
澁川一流柔術は、江戸時代後期に首藤蔵之進満時が創始しました。
流名の「澁川」は、叔父の宮崎儀右衛門満義を師として習得した澁川流に因みます。
また「一」は、同じく叔父・満義より習得した難波一甫流と、武者修行の途上で習得した浅山一伝流に因みます。
すなわち、「澁川一流」の流名は、「澁川一甫一伝流」の柔術を意味します。
満時は浪人の身であり、安芸国・広島城下の外れの坂村に居住していました。
ある時、広島の城下町に出向いていた満時は、5~6名の広島藩士と争いになります。
これを澁川一流柔術の技で難なく避けたところ、たまたま居合わせた伊予国・松山藩士の目に留まり、その藩士の推挙で松山藩(藩主 : 久松松平氏)に仕えることになりました。
そして、小玉平六と名乗りを変えて、松山藩で澁川一流柔術の教授を行ったと伝えられています。
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互棒 (懐剣で打ち込んでくる敵を、短棒で制する形)
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打込 (懐剣で上段より打ち込んでくる敵を制する形)
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三尺棒 (三尺棒で打ち込む敵を制する形)
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十手 (刀で上段より斬り込んでくる敵を、十手で制する形)
(以下、次号)