駿府城 すんぷじょう (静岡県静岡市葵区)
文化6年(1809)、江戸幕府は、歴代将軍(家康から10代家治まで)の治績を叙述した大歴史書の編纂に着手します。
大学頭(だいがくのかみ)である林述斎(はやし じゅっさい)を総裁として、編纂には実に40年を要し、嘉永2年(1849)に完成しました。これが「徳川実記」です。
「徳川実記」では、慶長14年(1609)の駿府城への不審者侵入について、下記のように記述されています。
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change 3. ~幕府の官選歴史書にも「裏事情」がある!? ~
「徳川実記」 台徳院殿御実記 巻九 慶長十四年四月四日の条
「駿城の前殿庭上に、四肢に指なき者弊衣をまとひ髪をみだし、青蛙を食したたずみゐたり。
近習の輩大にあやしみ搦取て誅せんとす。
然るを聞召て罪すべきにあらずとて追放たる」
(意訳)
駿府城の庭に、手足に指の無い者が、粗末な着物を着て髪を乱し、青蛙を食べながら立っていた。
近習の侍たちが事態を重く見て、捕えて殺そうとした。
(家康公が)それを聞かれて、罪を問うなと命じられたので、追放した。
「徳川実記」は、このくだりの典拠を「当代記」であると記しています。
しかし、「当代記」には、「手足に指の無い者が、粗末な着物を着て髪を乱し、青蛙を食べながら」という記述は存在しません。
「徳川実記」に記載されているのは、明らかに「玉露叢」からの引用文です。(前々回のブログ「ようこそ妖怪さん、宇宙人さん(2)」をご参照下さい)
なぜ、典拠を偽ってまで、こっそりと「玉露叢」の記述を引用したのでしょうか。
「当代記」よりも、脚色によって家康礼賛の文脈が強化された「玉露叢」の方が都合良いと考えて、隠し味のように使ってみたのでしょうか。
あるいは、ある種の「身内びいき」のような感情が働いた結果かも知れません。
「玉露叢」の著者は、一説に林鵞峯(はやし がほう)であると考えられています。
「徳川実記」編纂の総裁を務めた林述斎(はやし じゅっさい)は、林鵞峯の子孫(厳密には他家よりの養子)ですから、そうした事情も関係しているのかも知れません。
なお、「玉露叢」の記述のうち、「どこから来たかと問う手みたら、手で天を指した。」の部分は削除されています。
ここまで書くとさすがに話が嘘っぽくなり、幕府官選の大歴史書にはふさわしくないと考えたのでしょうか。
このように、「徳川実記」といえども、不正確な史料の引用が行われている部分が存在しています。
しかも、何らかの意図を含んで。
「江戸幕府が40年の歳月を費やして編纂した官選の歴史書」という肩書きにとらわれて、無批判に何でも信用してしまえば、かえって歴史の真実からは遠ざかってしまうのです。
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しかし、何と言っても「徳川実記」の「幕府官選の歴史書」というネームバリューには絶大なものがあります。
時にそれは、 「駿府城の庭に、手足に指の無い者が、粗末な着物を着て髪を乱し、青蛙を食べながら立っていた」というトンデモ話ですら、本当にあった不思議な話と思わせてしまう「魔力」を発揮します。
さらに、その「魔力」は、 「庭に子供くらいの背丈で「肉人」とでも表現すべき姿の者が現れて、指の無い手で上をさして立っていた」(「一宵話」) という、「徳川実記」には書かれていない記述までも引きずり込んで、本当にあった不思議な話だと感じさせるようになりました。
こうして、現代に続く「駿府城妖怪伝説」が完成したのでした。
では最後に、「駿府城宇宙人降臨伝説」はいつ誕生したのでしょうか?
私は、宇宙人は専門外なので何とも言い難いのですが、この項のタイトルを「ようこそ妖怪さん、宇宙人さん」とした責任上(?)、ここはひとつ、社会史的に考察してみることとしましょう。
昭和57~58年頃、「クイズダービー」(司会・大橋巨泉)というテレビ番組で
「次の中で、実際に歴史上の史料に記されている不思議な出来事はどれでしょうか?」
という三択問題があり、
「徳川家康の駿府城に宇宙人がやって来た」
が正解であると発表されました。
これが、私の「駿府城宇宙人降臨伝説」の初見です。 (ブログ「ようこそ妖怪さん、宇宙人さん(1)」をご参照下さい)
さて、この昭和57年(1982)、58年(1983)という年がポイントになります。
昭和57年(1982)には、スティーヴン・スピルバーグ監督・制作でSF映画「E.T.」が公開されました。宇宙人とアメリカ人の少年の友情を描いた物語は映画史上最大のヒット(当時)となりました。
そして、昭和58年(1983)には大河ドラマで「徳川家康」(原作:山岡荘八)が放映され、最高視聴率37.4%という記録を残しました。
宇宙人と徳川家康。
これらの2大ブームを背景として、「駿府城妖怪伝説」の新解釈として登場したのが、「駿府城宇宙人降臨伝説」だったのではないでしょうか。