日出城 ひじじょう (大分県速見郡日出町)
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大分県のお城といえば、どこを連想されるでしょうか?
まずは何と言っても、岡城 (竹田市)でしょう。
瀧廉太郎が「荒城の月」作曲のイメージを練ったお城として有名です。
また、中津城 (中津市)を思い浮かべる方も多いでしょう。
こちらは今年の大河ドラマの主人公・黒田官兵衛(如水)が築城したお城ですね。
これらに比べると、日出城の名前はあまり知られていません。
三層の天守も、明治の始めに解体され、主な遺構は本丸周辺の石垣と、二棟の櫓建築です。
しかし、そんな日出城には、実はたくさんの見どころがあるのです。
中には、全国のお城の中で、日出城だけしか見られないような珍しい遺構も・・・。
今回は、そんな日出城の隠れた見どころを紹介しましょう。
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日出城とその城下町は、別府湾に臨む標高28メートルの台地に築かれています。

台地の上は平坦で、東西900メートル・南北400メートルほどの広さがあります。
その台地南端の海際に城を築き、西・東・北の三方に向かって二重の堀を廻らせていました。
台地の北側は城下町で、街道を引き入れて町屋を発展させました。
また、台地の要所に武家屋敷と寺社を配置し、有事に備えました。
まさに、要塞都市の様相を呈していました。

明治6年(1873)の廃城令以降、堀は本丸の周囲を残して、次第に埋められてゆきました。
その一方で、鉄道も国道も台地上を避けて、北側の麓に開通しました。
そのため、今でも日出の旧城下町には、江戸時代の町割が濃厚に残っています。
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二の丸 に残る武家屋敷です。
この一帯は重臣の屋敷が建ち並んでいました。
他にも、城下町の外周などに武家屋敷の面影が良く残っています。
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裏門櫓(うらもんやぐら)。
元は、本丸東側に構えられた裏門を護る櫓でした。
廃城後の明治8年(1875)、払い下げられて民家に移築されていました。

現在は、観光案内施設「二の丸館」(にのまるやかた)の一角に移築・保存されています。
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本丸は現在、日出小学校が建っています。
堀と石垣で囲まれた小学校です。

かつての本丸大手門に通じる土橋が、そのまま小学校の正門への連絡通路に使われています。
その土橋の両脇には、石造りの塀が残ります。
上部が丸く加工されていて、その形状から「かまぼこ塀」と呼ばれています。
「かまぼこ塀」は、他では岡城(竹田市)など、限られたお城でしか見られない貴重な遺構です。
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鬼門櫓(きもんやぐら)。
元は、本丸の北東隅の石垣上に建つ櫓でした。
明治の初め、本丸に小学校が建てられた以降もそのまま保存されていました。
その後、大正10年(1921)の校舎改築に際し、民間に払い下げられ、町の郊外に移築されました。
平成20年(2008)、子孫の方から日出町に寄付され、翌年には文化財指定を受けて、再び日出城内に移築されました。
なお、元々建っていた本丸北東隅は、小学校敷地拡張のため改変されています。
そのため、本丸西側の堀の向かい(二の丸の一角)に場所を変えて保存されています。

鬼門櫓の北東側は、このように屋根も壁も欠き取られた形になっていて、角が存在しません。
このような櫓建築は、全国のお城でも日出城にしか現存しておらず、大変貴重な遺構です。
古来、北東の方位は禍(わざわい)を招く「鬼門」として忌み嫌われていました。
そこで、このように屋根も壁も、さらには内部の間取りも北東側の角を欠き取った形で櫓を造りました。
いわゆる「鬼門除け」(きもんよけ)です。
これで、禍を招く鬼門の方位そのものが無くなって、安泰というわけです。
私たちは、とかく 「昔の人は、迷信や因習に縛られて生きていた・・・」 というイメージを抱きがちです。
でも、実際には昔の人の方が、現代人よりもはるかにポジティブな感性を持っていたんじゃないでしょうか?
この櫓の「鬼門除け」の発想を見ていると、そんな気がしてきました。
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二の丸 の西から、南へ廻り込みます。
武家屋敷の土塀に挟まれた道の先に海が見えます。
右奥には藩校・致道館(ちどうかん)の建物が移築されています。
この時は、修理中で素屋根で覆われていました。
藩校の建物として、九州地方でも珍しい遺構です。
なお、致道館は元は 二の丸 の東側にありました。
現在、その場所には中学校が建っています。
藩校の伝統が、今に受け継がれているようで面白いです。

二の丸石垣。
石垣上にあるのが藩校・致道館の建物です。
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最後に、お城の遺構ではありませんが、もう一つ。
日出城の南側の海岸は、「城下海岸」(しろしたかいがん)と呼ばれています。
波の静かな別府湾と、遠く高崎山を望む景勝の地です。
そして、珍しいことに、この海中には淡水が湧き出している所があります。
それは魚の成育にも良い影響を与え、特にカレイは美味で、「城下カレイ」の名前で知られています。
大分県の味覚のひとつとして全国的にその名を知られる「城下カレイ」。
その「城」とは、まさに日出城のことなんですね。
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大分県のお城といえば、どこを連想されるでしょうか?
まずは何と言っても、岡城 (竹田市)でしょう。
瀧廉太郎が「荒城の月」作曲のイメージを練ったお城として有名です。
また、中津城 (中津市)を思い浮かべる方も多いでしょう。
こちらは今年の大河ドラマの主人公・黒田官兵衛(如水)が築城したお城ですね。
これらに比べると、日出城の名前はあまり知られていません。
三層の天守も、明治の始めに解体され、主な遺構は本丸周辺の石垣と、二棟の櫓建築です。
しかし、そんな日出城には、実はたくさんの見どころがあるのです。
中には、全国のお城の中で、日出城だけしか見られないような珍しい遺構も・・・。
今回は、そんな日出城の隠れた見どころを紹介しましょう。
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日出城とその城下町は、別府湾に臨む標高28メートルの台地に築かれています。

台地の上は平坦で、東西900メートル・南北400メートルほどの広さがあります。
その台地南端の海際に城を築き、西・東・北の三方に向かって二重の堀を廻らせていました。
台地の北側は城下町で、街道を引き入れて町屋を発展させました。
また、台地の要所に武家屋敷と寺社を配置し、有事に備えました。
まさに、要塞都市の様相を呈していました。

明治6年(1873)の廃城令以降、堀は本丸の周囲を残して、次第に埋められてゆきました。
その一方で、鉄道も国道も台地上を避けて、北側の麓に開通しました。
そのため、今でも日出の旧城下町には、江戸時代の町割が濃厚に残っています。
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二の丸 に残る武家屋敷です。
この一帯は重臣の屋敷が建ち並んでいました。
他にも、城下町の外周などに武家屋敷の面影が良く残っています。
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裏門櫓(うらもんやぐら)。
元は、本丸東側に構えられた裏門を護る櫓でした。
廃城後の明治8年(1875)、払い下げられて民家に移築されていました。

現在は、観光案内施設「二の丸館」(にのまるやかた)の一角に移築・保存されています。
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本丸は現在、日出小学校が建っています。
堀と石垣で囲まれた小学校です。

かつての本丸大手門に通じる土橋が、そのまま小学校の正門への連絡通路に使われています。
その土橋の両脇には、石造りの塀が残ります。
上部が丸く加工されていて、その形状から「かまぼこ塀」と呼ばれています。
「かまぼこ塀」は、他では岡城(竹田市)など、限られたお城でしか見られない貴重な遺構です。
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鬼門櫓(きもんやぐら)。
元は、本丸の北東隅の石垣上に建つ櫓でした。
明治の初め、本丸に小学校が建てられた以降もそのまま保存されていました。
その後、大正10年(1921)の校舎改築に際し、民間に払い下げられ、町の郊外に移築されました。
平成20年(2008)、子孫の方から日出町に寄付され、翌年には文化財指定を受けて、再び日出城内に移築されました。
なお、元々建っていた本丸北東隅は、小学校敷地拡張のため改変されています。
そのため、本丸西側の堀の向かい(二の丸の一角)に場所を変えて保存されています。

鬼門櫓の北東側は、このように屋根も壁も欠き取られた形になっていて、角が存在しません。
このような櫓建築は、全国のお城でも日出城にしか現存しておらず、大変貴重な遺構です。
古来、北東の方位は禍(わざわい)を招く「鬼門」として忌み嫌われていました。
そこで、このように屋根も壁も、さらには内部の間取りも北東側の角を欠き取った形で櫓を造りました。
いわゆる「鬼門除け」(きもんよけ)です。
これで、禍を招く鬼門の方位そのものが無くなって、安泰というわけです。
私たちは、とかく 「昔の人は、迷信や因習に縛られて生きていた・・・」 というイメージを抱きがちです。
でも、実際には昔の人の方が、現代人よりもはるかにポジティブな感性を持っていたんじゃないでしょうか?
この櫓の「鬼門除け」の発想を見ていると、そんな気がしてきました。
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二の丸 の西から、南へ廻り込みます。
武家屋敷の土塀に挟まれた道の先に海が見えます。
右奥には藩校・致道館(ちどうかん)の建物が移築されています。
この時は、修理中で素屋根で覆われていました。
藩校の建物として、九州地方でも珍しい遺構です。
なお、致道館は元は 二の丸 の東側にありました。
現在、その場所には中学校が建っています。
藩校の伝統が、今に受け継がれているようで面白いです。

二の丸石垣。
石垣上にあるのが藩校・致道館の建物です。
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最後に、お城の遺構ではありませんが、もう一つ。
日出城の南側の海岸は、「城下海岸」(しろしたかいがん)と呼ばれています。
波の静かな別府湾と、遠く高崎山を望む景勝の地です。
そして、珍しいことに、この海中には淡水が湧き出している所があります。
それは魚の成育にも良い影響を与え、特にカレイは美味で、「城下カレイ」の名前で知られています。
大分県の味覚のひとつとして全国的にその名を知られる「城下カレイ」。
その「城」とは、まさに日出城のことなんですね。
間もなく、エゼキエル書38章に書かれている通り、ロシア・トルコ・イランがイスラエルを攻撃します。そして、マタイの福音書24章に書かれている通り、世界中からクリスチャンが消えます。その前に、キリストに悔い改めてください。
もしもクリスチャンが消えた後の世界に取り残されたら、黙示録14章を確認ください。絶対に獣の刻印(666)を受けないでください。