善戦者不怒ブログ

日常・趣味に関するブログです。
将棋、彫刻、フットボール、音楽、読書。

【将棋】稚内へ遠征

2012-06-20 22:54:39 | 将棋
いつも将棋を教わっているプロの先生方の計らいで、北海道・稚内将棋支部との対抗戦に遠征。







日本の最北端、稚内市は海の幸と山の幸に恵まれ、礼文島、利尻島、さらに北には樺太を臨む土地。かつては間宮林蔵が測量に旅立ち、戦後は大陸からの帰還の受け入れ口となるなど、歴史の要所でただならない役割を果たして来たという。

最近では少しずつ人口も減少してしまっているようだが、風光明媚な土地柄と温かな人柄もあり、非常に魅力的なところだった。



対抗戦は充実した内容。勝負を超えて交流の輪が広がった。



歓迎のBBQを催していただいたが、これがありえない豪華さ。カニ、ホタテ、エビ、タコ、ホッケ、宗谷牛。生のウニ、イカ。

再訪を期したい。


【将棋】合宿2012春

2012-05-20 23:04:16 | 将棋
恒例の将棋合宿。今回は場所を変えて、秩父の「越後屋」さんで。

快晴の秩父。気温もよく絶好の将棋日和?



対局用の部屋を貸しきり、入館から夜中までの将棋三昧。



いつものようにプロの先生にも同行いただき、指導対局や模範対局。まったく至福の時間である。



宿の感じもよく、気分よく日程終了。帰りには長瀞のかき氷店で天然氷のかき氷を堪能。








【将棋】合宿2011

2011-04-30 20:15:53 | 将棋
昨年に続き、将棋合宿へ。場所は同じく長野県の「わらび山荘」。



今回は3日間の合宿プログラムだが、仕事の都合で2日間の参加。それでも前回同様、プロ棋士のみなさんによる指導対局、詰め将棋タイム・トライアル、参加者による乱取りと、将棋漬けの2日間はとても充実した。



初日は雨模様だったが、2日目は快晴。


【将棋】合宿2010

2010-11-01 21:52:27 | 将棋
将棋仲間と1泊2日の合宿に。



車に分乗して宿を目指す。総勢20名、プロ棋士、女流プロ棋士にも参加いただき、内容の濃い合宿になりそうだ。



宿は「わらび山荘」。





長野県にあり埼玉県蕨市教育委員会の管轄になる施設で、宿泊棟、キャンプ場、食堂などの設備が整い、安価に利用できる。山荘、という名の通りの趣がある宿だ。

「山荘といえば殺人事件ですねえ」という声が上がった。綾辻行人の「館シリーズ」を思い起こすと、確かにありそうなシチュエーションだ。おりしも台風が迫っていて、宿についたが脱出できないという事態に陥る可能性は高くなっている。

「ブログを書いている人が恨みをかって殺されるのです」ということになったらしい。将棋ブログ界で有名なOさんがまず殺され、次は私らしい。別に恨みを買うエントリは書いた記憶がないのだが…。まあ、人間どこで恨みを買っているかわからない。







到着して一休みすると、将棋漬けのプログラム。まず「詰め将棋タイム・トライアル」。15分で詰め将棋を8問解く。…これが解けない。タイム・アップ時点で1問だけ。いい加減、詰め将棋嫌いを克服せねば。

次に「大局観問題」。これは同行していただいたプロ棋士の実戦から、ここでどう考えるか?という問題。個人的には詰め将棋より気は楽だ。薄みを突く▲4四歩、厚みを築く▲6五銀打、捌く▲3六銀などを考える。▲6五銀打はほんとうに一目で見えた。こういう手が好きだ。何度でも打ちたい銀。



夕食は食べきれないほど。まったくコスト・パフォーマンスのいい宿だ。



夕食後は自由対局。お酒も入りつつとはいえ、みな真剣勝負。
ついつい夜中までの勝負。



ふと外に出ると、満点の星明り。オリオン座をくっきりと見たのは久しぶり。
月も綺麗だった。





帰りがけに丸山珈琲店に。オーナーの計らいで焙煎などの過程を見学させていただいた。









2日間渡って将棋と懇親の時を過ごせた時間。本当に濃密だった。


日本将棋連盟で何が5

2010-04-06 23:50:47 | 将棋
日本将棋連盟所属の所司七段、渡辺竜王を筆頭に多くの弟子を育て上げ、多数の定跡書の執筆、将棋教室の運営など、アマチュアへの普及にも多大な貢献を続けているプロ棋士である。

その所司七段が、5月に弟子の「渡辺明竜王位六連覇&A級昇級記念将棋大会」を主催することとなった。この大会では、同時に日本女子プロ将棋協会(LPSA)主催のトーナメントも開催される予定だった。

ところが、どうやら、連盟所属棋士がLPSAと協力してイベントを行うことを快く思わない力が働き、LPSA主催トーナメントの同時開催はかなわなくなったとのことだ。

これはどうしたことなのだろう。

日本将棋連盟の公式サイトには、LPSAとの共同声明が掲載され、そこには「両者は友好団体であることを確認する」と記されている。友好団体なのであれば、なぜこの手のイベントを共催することができなくなるのか。それとも、同じ声明に書かれている「互いの団体に敬意を払いつつ互いに独立性を保ち」という件における“独立性”とは、共同で何かをすることはない、ということの表明なのか。だとしたら悪い冗談のようである。

この問題は市井の将棋ファンのブログに顛末が掲載されることとなった。それに呼応するように更新された日本将棋連盟・米長会長のブログには、事実関係を調査するために所司七段を含めて会合を持った旨が記載されたが、その会合をあろうことか“小法廷”と表現している。

わたしは心が寒くなった。なんという陰鬱な団体なのか、将棋連盟とは。

冒頭に書いたように、所司七段とはプロ将棋界とアマチュア棋界、いずれにも多大な功績のある棋士である。その功績者に対し、いくら事実関係を確認するための会合とはいえ、“法廷”呼ばわりする場所に呼び出すということがありうるのだろうか?

日本将棋連盟は、「友好団体」と協調して将棋の普及にあたることを、組織として実現できるようにならねばおかしいのではないか。

日本将棋連盟で何が4

2010-02-08 22:15:26 | 将棋
日本女子プロ将棋協会(LPSA)のホームページに、下記のエントリが上がった。

連絡協議会中断に至る経緯のご説明

これはLPSAコンプライアンス担当理事・庄田育夫氏の名前で開示されたものである。
そもそも、この「連絡協議会」なるものは、日本将棋連盟とLPSAの関係修復のために、両者合議のもと前向きな解決を探るための連絡会、として設置されたものと理解している。
しかし、日本将棋連盟の米長会長は、自身の運営するホームページ上にて、たびたびLPSAを攻撃する発言を繰り返すことにより、連絡協議会の意義そのものを失わせ、間に入った立会人の面子もつぶす結果となっている。

この事態は日本将棋連盟が望むものであるのだろうか? それとも、米長会長のみが望む展開なのだろうか?

日本将棋連盟で何が3

2009-09-14 21:47:45 | 将棋

日本将棋連盟HPに、「会長の提案」という記事がアップされた。

内容は要するに、「LPSA(女流棋士の独立団体)に関わる人物が日本将棋連盟に対する敵対的行動を取っているので、やめさせてくれ」ということを、LPSAに書簡で通知した、その内容をHPで公開する、ということだ。

言及されている人物とその行動についてはHP上では略されているので、当事者でない人には何が起きているのかわからない。わからない人がこれだけ見ると、LPSAはこうした行動を容認もしくは黙認しているのか?と思うかもしれない。

これまでの経緯を鑑みると、LPSAが組織として連盟に対する敵対的行動をとっているとは思えない。連盟側からすると、独立して新団体を設立したこと自体が敵対的、という見方もあるかもしれないが、そもそも女流を切り離したかったのは連盟側でもあるわけだから、その理屈はおそらく成り立たないだろう。

ここでその裏側にある確執には触れない。というかわからない。単に疑問に思えることを挙げてみる。

①この文章はなんなのか。「社団法人将棋連盟」という名前で出す文書に、「LPSAの皆様とは仲良くしたいのです。これは貴女も同じかと信じます」などという表現はなじむのか。

②蛍光を使わなくなったのはさておき、この文章が「お知らせ」のトップに置かれているのはなんなのか。「JT杯」「第68期名人戦」の記事よりも重要性は高いという認識なのか。

③連盟のHP管理はどの部署が管轄しているのか。

ともかく、「両団体がこれからも仲良く共存共栄してゆきたいと願っております」ということが本心であることを願う。というか、いがみあってる場合か? LPSA側にも、感情的ではない対応を望みたい。

 


 

 

 

 

 

 


梅田望夫「シリコンバレーから将棋を観る」 将棋編

2009-05-16 12:44:52 | 将棋


以前のエントリーで、「羽生時代の終焉」ということを書いた。
プロ将棋界の7タイトルを制覇してきた羽生だが、前年度はこれまでなら確実にものにしたであろう大決戦、王位戦で深浦王位に、竜王戦で渡辺竜王に破れ、再度の7冠への道を阻止されている。
(その後、深浦の挑戦を退けて王将位を防衛したのはさすが)。

深浦王位は、2007年に2度目の挑戦となる王位戦で、当時の羽生王位を破って初タイトルを獲得している。翌年の防衛戦では再び羽生を降し、王将戦7番勝負ではでは先に3勝を挙げ、あと一歩というところまで羽生王将を追い詰めたものの、惜しくも敗退。

実力はもちろん申し分のない深浦王位だが、特筆すべきは羽生との対戦成績で、50局以上を指してほぼ指しわけ。その深浦がタイトル戦の常連となりつつあるのは、羽生にとっては厭な感じもあるかもしれない。

深浦王位が、なぜタイトル戦で羽生に勝つようになったのか、よくわからなかった。羽生との対戦成績はともかく、A級在籍などの実績が深浦王位同様にあれど、タイトル戦には縁遠いプロ棋士はいくらでもいる。王位になにかのきっかけがあったのか、あるいは姿勢の持ち様が変わったのか。

梅田さんは、「深浦の社会性」ということを言う。“社会で責任を果たす、タイトル保持者が将棋界の社交の責任を果たす”、この意思を保ち続けられなければ、一時はともかく、タイトルをキープし続けることはできない。その意思を保つ芯の強さを、梅田さんは深浦王位に見出した。
(深浦王位が「羽生さんと喧嘩したら勝つ」と言ったくだりが本書に出てくるが、勝者のメンタリティを自ら保つトレーニングなのだろう)

当記事冒頭の「羽生時代の終焉」というのは、羽生が常に7タイトルに絡み圧倒的な強さで君臨する期間は過ぎたのではないか、という意味のつもりだった。
しかし、本書に書かれているように、いわゆる「羽生世代」ではない深浦王位、そして渡辺竜王らが、羽生とともに現代将棋を突き詰めていく立場になりつつある状況は、「終焉」どころではなく、ここからが「羽生の思想を基に将棋が変わり行く時代」の始まり、ということなのかと思う。

羽生がかつて「将棋世界」誌に連載した「変わりゆく現代将棋」という記事が、梅田さんの興味を再び将棋へと引き寄せたあたりから、すでに流れは起きていたのか。