地遊人

日常のことごと、出来事を、気ままに書き記していく。
62歳からの自己整理・自己満足策とボケ防止挑戦プログ。

「甲州道中(街道)四十四次」を歩く  ① 

2016年04月16日 |   甲州街道四人旅


16-4-14 新宿御苑 家康の家臣内藤氏の江戸屋敷の一部 ソメイヨシノの後の桜も見頃だった。

 今回の歩く旅は、江戸幕府により制定された五街道の1つ、甲州道中(明治新政府が定めた甲州街道が一般的なのでこの旅では主に「街道」と呼称)を歩く。
(呼称の変遷 甲州海道→甲州道中→甲州街道) 
五街道を歩くのは、中山道に続き2番目となる。

さて、家康が五街道の中で、生命線と考えたのが「甲州海道」であったという。江戸城に危難が迫った際、服部半蔵の手引きで、江戸城半蔵門から甲州海道に入り、内藤新宿で「百人組鉄砲隊」、八王子で「千人同心」を従えて甲府城に入り、富士川の舟運で一気に駿府に抜ける主要路としたのだという。

 前回歩いた「日本列島横断の旅、塩の道」とは打って変わって、「見るところ」は多すぎるくらいかもしれない。歴史に触れながら、今回もまた、ゆっくり、のんびり、そして発見と感動の旅を続けたい。

 

「甲州道中(街道)四十四次」を歩く  ① 

          日程 平成28年4月14日(木)日帰り 

  

 


日本橋
五街道(東海道、中山道、甲州道中、日光道中、奥州道中)の起点だ。 高速道路が重苦しい。

                                       


和田倉門


石垣がよく崩れないものだ。


なぜか楠木公 天皇への忠臣ということか。


たまに小雨がぱらつく。


桜田門(渡櫓門)


外桜田門(高麗門)
井伊直弼が水戸班浪士17名、薩摩藩浪士1名に襲われた桜田門外はこのあたりか。
安政7年3月3日(陽暦年3月27日)、朝9時過ぎ。夜半からの大雪が小降りになっていたという。

櫻田門外の変


               


元加藤清正邸後に彦根藩井伊家屋敷 井伊直弼はここから桜田門に向かった。3~400m位。


庭園の中にある憲政記念館。昼食はこの中の霞ガーデンでオムライスハヤシソースを食べた。


櫻の井 清正が掘り当てたもので「江戸の名水」であったそうだ。


半蔵門 
家康はこの門外に服部半蔵を住まわせ、江戸城に危難が迫った時に手引きさせる計画だったという。


半蔵門 この門は開かれない。警官が何人かで守っていた。この奥に吹上御所があるからか。

                     


日本橋からの最初の宿場 内藤新宿
内藤家江戸屋敷の一部 広さ18万坪、周囲3.5Km ここでゆっくり過ごす。大木戸門から入る。


シロタエ、ギョウコウ、カンザクラ、イヌザクラ、ヨウコウ、フゲンソウ、カンザン、カンヒザクラ・・


日本庭園 旧御涼亭より

歩き終わって

・晴れ間はなかったが歩きやすい日だった。歩数28,072歩(約18Km)
・皇居周辺をまとめてゆっくり歩いたのは始めてだ。雨上がりの緑がすがすがしい。
・新宿御苑がいろんな花で素晴らしかった。これだけゆっくり遊んだのは初めてで、秋もよさそうだ。   
・夜の焼き鳥、酒もうまかった。
・第2回目は、5月21日(土)

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