24-1-5 日本三景の一つ松島 松島四大観 壮観・大高森の景色
今年の某月某日、大高森の展望台からこの景色が見られるだろうか?
「奥州街道歩き第3回目」、今から、「いい天気にしておくれ!」
夕日で黄金に染まる黄昏の風景
芭蕉は、宮戸島の大高森からのこの景色は見ていないと思われる。
久しぶりに、
魚料理のうまい民宿で、ゆったりした時間を過ごしたい気分だ。
運が良ければ、ブルーインパルスの訓練飛行に出会えるかもしれない。
松島基地|防衛省 [JASDF] 航空自衛隊 (mod.go.jp) 訓練飛行の予定
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そして、何よりも神の創造した景観美の前では、俳句を作ることもままならないという点に芭蕉の感激の大きさがうかがえる。
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芭蕉は松島のあまりの景観美に句を詠むことができなかったといわれる。
嶋々や 千々にくだけて夏の海
この句は、「多くの島が湾に散らばっている松島の景観は、まるで海が小さく砕けているかのようだ」との意味。芭蕉はこの句に満足せず、「おくのほそ道」に取り上げなかった。
松島の観光キャッチフレーズとして、
松島やああ松島や松島や
の句をしばしば耳にする。しかしこれは芭蕉の句ではない。「松島図誌」(桜田質著・文政四年刊)に、
松島やさてまつしまや松島や
という句が相模州田原坊の名前で出ている。つまり芭蕉の句でない上に、もともとの形とも違っているというわけだ。
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以上、地図とあらすじで読む「おくのほそ道」萩原恭男監修より、抜粋
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芭蕉に松島を詠んだ句がないことを一番残念に思ったのは、地元民だったに違いない。・・・
朝よさを誰まつしまの片ごゝろ
これは、芭蕉の作であるが、奥州行脚以前に松島にあこがれて詠んだ旧作である。
以上、芭蕉「おくのほそ道」の旅 金森敦子 から抜粋 上の地図も。
松島湾の地形の成り立ち|松島湾を学ぶ|体験!発見!松島湾 (sendai-matsushima.com)
「杜の都」となるきっかけとなった仙台藩の事情~武士人口が多かった!~
仙台藩は、石高のわりに武士人口が多い藩でした。伊達家が抱える武士は、幕末には総勢約3万3800人を数え(下級の陪臣を含めた場合)、これは平均的な藩の3倍から4倍ほどの多さになります。城下の武家屋敷と町屋敷の面積比から見ても、武家屋敷は7~8割を占めています。
当時の福井や鶴岡の城下町では、武家屋敷の割合は25%ほどであったことから考えても、仙台藩の武士の多さは歴然としています。
仙台藩に武士が多かった理由とは
それにしても、なぜこれほどまで武士が多いのでしょうか。それは、仙台藩が大幅に領地を失っても家臣を減らさなかったからです。
ひとたびは120万石にまで領地を広げた仙台藩でしたが、秀吉に会津領を没収され、家康による「100万石のお墨付き」も反故にされてしまい、最盛期の半分ほどの62万石となりました。肥沃な会津や米沢の土地を失ったことは痛手でしたし、代わりに手に入れた大崎・葛西氏の所領には未開発の地が目立ちました。
「杜の都」の名前の由来は仙台藩の武家屋敷にあった!
攻略した地の武士を自らの陣営に加え、膨れ上がった人員に、多くの給料を払えるほど仙台藩の財政に余裕はありません。そこで、自給自足のために屋敷の庭への植樹を奨励しました。
武家屋敷は、下級武士でも1000㎡ほどの広さがありました。ここに、カキやクリなどの実がなる木や、建材として使えるスギやマツを植えさせたのです。落ち葉や枯れ枝も、燃料や肥料として余すところなく活用されました。この屋敷林こそが、時代を経て生長し「森の都」の「森」の由来となったのです。
「杜の都」仙台城下町の設計
仙台城下において、どこにどんな屋敷が配置されたのかを見てみましょう。
仙台城下町の建設にあたっては、政宗が自ら屋敷割図を描いて、奉行の川島豊前(かわしまぶぜん)・金森内膳(かなもりないぜん)に示したといいます。城下町は、城を中心に防御的役割をもたせながらも、交通の便をよくして商業や交通の拠点となるように設計されました。
まず、幹線道路である奥州街道と、それと直行するように仙台城大手門下からまっすぐ伸びる大通りを基軸に定めました。ここに、ほかの城下町と同様に、碁盤の目状に町割りを行いました。
【参考記事】
仙台が「杜の都」と言われる由来となった森はどこにある!? - まっぷるトラベルガイド (mapple.net) より、抜粋
写真 ブラタモリ2021/4/3 「杜の都 仙台」2015/7/18 放送のアンコールより
2023(令5)/10月26日(木) |
会津磐梯山 1816m(深田久弥 日本百名山の一つ)車窓より。
【宿泊】 |
10月27日(金) |
〇白虎隊十九士の墓
(写真3枚は、旅館のパンフより。)
【宿泊】 東横INN会津若松駅前 |
10月28日(土) |
〇さざえ堂(旧正宗寺)
(参拝は予約不要 仏像拝観は要予約)
21-5-31 栃木県大田原市
〇運厳寺 禅宗の日本四大道場の一つ。後は筑前の聖福寺、越前の永平寺、紀州の興国寺
栃木県「黒羽の芭蕉篇」|大人の休日倶楽部:JR東日本 (jreast.co.jp) 吉永小百合
大人の休日倶楽部のコマーシャルが始まってしばらくは参拝客で大盛況だったと、タクシーの運転手が懐かしがっていた。今は修行僧は3名ほどいるのみ。苦しくって止めていくそうだ。
〇大雄寺(だいおうじ)(黒羽藩主大関家の檀那寺。室町時代の様式を残す禅寺。牡丹、シャガの名所)
〇黒羽芭蕉の館(「芭蕉のくろばね」の拠点施設)
〇那須神社(仁徳天皇時代の創建 那須氏、黒羽藩主大関氏の氏神)
那須与一像
〇小峰城址 福島県白河市
(初代白河藩主・丹羽長重が1632築城の平山城。松平定信など7家21代の大名が居城)
石垣の壮大さに圧倒された。この高さの石垣が城をぐるっと囲んでいるのだ。ところどころに東日本大震災による石垣の大修復の跡が残っていた。
〇南湖公園
(寛政の改革で知られる名君、松平定信によって築造された日本最古といわれる公園。小峰城の南方にある湖の意味と唐の歌人・李白の詩句の投影)
「奥州街道・みちのく・おくの細道」
いいとこ歩きの旅 (案)23-3-18
平成19年〈2007年)4月、同じ会社の仲間4人で街道歩きを始めた。あれから16年になる。中山道、北國街道、塩の道、甲州街道、東海道ときて、今度は奥州街道だ。もうすぐ80才が2人、79才が2人の4人組。今度の旅はどんな発見や感動があるだろうか。
旅があるから、健康でなければという意識は強いかもしれない。健康でいるためにも、旅は続けたいものだ。