地遊人

日常のことごと、出来事を、気ままに書き記していく。
62歳からの自己整理・自己満足策とボケ防止挑戦プログ。

芭蕉「 奥の細道」全行程をみる。

2024年02月08日 |   奥州街道を歩く


奥の細道をゆく(TOP PAGE) (asahi-net.or.jp)より。

                                                     

詳細は 奥の細道歩き旅 (www.ne.jp)

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深い海の「青」が見られるだろうか?

2024年01月05日 |   奥州街道を歩く


24-1-5 日本三景の一つ松島 松島四大観 壮観・大高森の景色

 今年の某月某日、大高森の展望台からこの景色が見られるだろうか?
  「奥州街道歩き第3回目」、今から、「いい天気にしておくれ!」

           
            夕日で黄金に染まる黄昏の風景

芭蕉は、宮戸島の大高森からのこの景色は見ていないと思われる。

久しぶりに、
   魚料理のうまい民宿で、ゆったりした時間を過ごしたい気分だ。

運が良ければ、ブルーインパルスの訓練飛行に出会えるかもしれない。
松島基地|防衛省 [JASDF] 航空自衛隊 (mod.go.jp) 訓練飛行の予定

 

 

                

 

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奥州街道歩き(第3回)のプラン検討

2023年12月26日 |   奥州街道を歩く

    

23-12-26 来年の奥州街道歩き(第3回)について、メンバーに日程とともに行程を検討依頼中。

     

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芭蕉は松島で俳句を詠まなかった?

2023年12月08日 |   奥州街道を歩く

       

・・・
そして、何よりも神の創造した景観美の前では、俳句を作ることもままならないという点に芭蕉の感激の大きさがうかがえる。
・・・
芭蕉は松島のあまりの景観美に句を詠むことができなかったといわれる。

  嶋々や 千々にくだけて夏の海

この句は、「多くの島が湾に散らばっている松島の景観は、まるで海が小さく砕けているかのようだ」との意味。芭蕉はこの句に満足せず、「おくのほそ道」に取り上げなかった。
松島の観光キャッチフレーズとして、

  松島やああ松島や松島や

の句をしばしば耳にする。しかしこれは芭蕉の句ではない。「松島図誌」(桜田質著・文政四年刊)に、

  松島やさてまつしまや松島や

という句が相模州田原坊の名前で出ている。つまり芭蕉の句でない上に、もともとの形とも違っているというわけだ。
・・・
以上、地図とあらすじで読む「おくのほそ道」萩原恭男監修より、抜粋

 

・・・
芭蕉に松島を詠んだ句がないことを一番残念に思ったのは、地元民だったに違いない。・・・ 

  朝よさを誰まつしまの片ごゝろ 

これは、芭蕉の作であるが、奥州行脚以前に松島にあこがれて詠んだ旧作である。
以上、芭蕉「おくのほそ道」の旅 金森敦子 から抜粋 上の地図も。

松島湾の地形の成り立ち|松島湾を学ぶ|体験!発見!松島湾 (sendai-matsushima.com)

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仙台はなぜ「杜の都」と呼ばれるようになったのか?

2023年11月28日 |   奥州街道を歩く

「杜の都」となるきっかけとなった仙台藩の事情~武士人口が多かった!~

                                                                   

仙台藩は、石高のわりに武士人口が多い藩でした。伊達家が抱える武士は、幕末には総勢約3万3800人を数え(下級の陪臣を含めた場合)、これは平均的な藩の3倍から4倍ほどの多さになります。城下の武家屋敷と町屋敷の面積比から見ても、武家屋敷は7~8割を占めています。

当時の福井や鶴岡の城下町では、武家屋敷の割合は25%ほどであったことから考えても、仙台藩の武士の多さは歴然としています。

仙台藩に武士が多かった理由とは

それにしても、なぜこれほどまで武士が多いのでしょうか。それは、仙台藩が大幅に領地を失っても家臣を減らさなかったからです。

ひとたびは120万石にまで領地を広げた仙台藩でしたが、秀吉に会津領を没収され、家康による「100万石のお墨付き」も反故にされてしまい、最盛期の半分ほどの62万石となりました。肥沃な会津や米沢の土地を失ったことは痛手でしたし、代わりに手に入れた大崎・葛西氏の所領には未開発の地が目立ちました。

「杜の都」の名前の由来は仙台藩の武家屋敷にあった!

攻略した地の武士を自らの陣営に加え、膨れ上がった人員に、多くの給料を払えるほど仙台藩の財政に余裕はありません。そこで、自給自足のために屋敷の庭への植樹を奨励しました。

        

武家屋敷は、下級武士でも1000㎡ほどの広さがありました。ここに、カキやクリなどの実がなる木や、建材として使えるスギやマツを植えさせたのです。落ち葉や枯れ枝も、燃料や肥料として余すところなく活用されました。この屋敷林こそが、時代を経て生長し「森の都」の「森」の由来となったのです。

「杜の都」仙台城下町の設計

仙台城下において、どこにどんな屋敷が配置されたのかを見てみましょう。

仙台城下町の建設にあたっては、政宗が自ら屋敷割図を描いて、奉行の川島豊前(かわしまぶぜん)・金森内膳(かなもりないぜん)に示したといいます。城下町は、城を中心に防御的役割をもたせながらも、交通の便をよくして商業や交通の拠点となるように設計されました。

まず、幹線道路である奥州街道と、それと直行するように仙台城大手門下からまっすぐ伸びる大通りを基軸に定めました。ここに、ほかの城下町と同様に、碁盤の目状に町割りを行いました。

【参考記事】
仙台が「杜の都」と言われる由来となった森はどこにある!? - まっぷるトラベルガイド (mapple.net) より、抜粋

写真 ブラタモリ2021/4/3 「杜の都 仙台」2015/7/18 放送のアンコールより

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奥州街道を歩くー2(2023/10/26~28)

2023年10月29日 |   奥州街道を歩く


奥州街道歩きの第2回目は、関東と奥州を結ぶ会津街道の中核宿「若松宿」(会津若松)に寄り道する。戦国時代から江戸時代、幕末へとまさに歴史の舞台となった現場を、じっくり見て回わりましょう。秋の、心地のいい街道歩きを楽しみたいですね。

2023(令5)/10月26日(木)
◎集合:9時20分頃 東京駅21番線(やまびこ55号)2号車(自由席)
JR東京駅 9:40 →(郡山経由)→ 会津若松駅 12:31 
                            

会津磐梯山 1816m(深田久弥 日本百名山の一つ)車窓より。 
            
                                                   会津若松駅

〇会津藩校日新館    
 

 
                      楷の木 (ウルシ科)                                
宿泊
東横INN会津若松駅前

10月27日(金) 
ホテルの朝食は6:30から。小リュックで出発。
「まちなか周遊バス」を利用 
 駅前の案内所で、1日フリー乗車券(600円)を購入する。(案内所8時頃オープン)
会津若松駅前発8:45   所要時間4分   30分間隔の運行  
④番乗り場 あかべい 

飯盛山(スロープコンベアで)A5飯盛山下下車
〇白虎隊白刃の地 
           
〇白虎隊十九士の墓 

〇さざえ堂(旧正宗寺)(1976僧郁堂が建立した、木造の観音堂。内部は螺旋構造) 
〇白虎隊記念館(白虎隊、戊辰戦争、新選組の資料12000点収蔵)
 
〇旧滝沢本陣(参勤交代の際の会津藩主の休憩所 戊辰戦争時の大本営)
   
〇会津武家屋敷(7000坪の敷地に復元した会津藩家老・西郷頼母の屋敷など) 
    

   


鶴ヶ城

鶴ヶ城 豊臣秀吉の命で、会津領主となった蒲生氏郷が、文禄元年(1592)に起工。    
〇天守閣(1965年に復元)
〇南走長屋・干飯櫓(ほしいやぐら)(城内で最も規模が大きかっ
た櫓) 
                                     
         
 〇茶室麟閣(千利休の子、小庵が当時の藩主蒲生氏郷のために建てたと伝える茶室)
 
  


せっかくなので、♨東山温泉に。 原瀧(日帰り温泉1100円)
  少し贅沢な時間を過ごせた。 
  (写真3枚は、旅館のパンフより。) 
   
宿泊】 
東横INN会津若松駅前

10月28日(土) 
 七日町(なぬかまち)散策
 

  

  

  
阿弥陀寺

JR会津若松駅12:20   →(郡山経由)→ 東京駅 15;24 
           宇都宮着14:34

【主な費用の目安
〇宿泊 
1日目 東横イン            8300円(1泊朝食付)
2日目 東横イン              8300円(1泊朝食付)       
〇交通費
 (電車)東京 → 会津若松    8910円
     会津若松→東京    8910円  
 (タクシー・バス) 
       会津若松→日新館         600円(タクシー1人当たり)
       まちなか周遊バス               600円(あかべい)              
〇拝観料他
     ・会津藩校日新館       850円
       ・東山温泉              1100円
メモ
・Suicaなど、残高をチェック。 
・後期高齢者医療被保険者証(原本)
・マスク(コロナ、インフル対策)
・リュックは出来るだけ軽くしよう!
・小リュック忘れずに
・あれば、携帯ラジオ、軽小懐中電灯

※旅を終わって
3日間とも天候に恵まれて、気持ちのいい歩き旅ができた。
何事もなく元気に帰宅できたことに感謝。
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奥州街道いいとこ歩き(その2)のプラン

2023年09月23日 |   奥州街道を歩く


プランの概要
奥州街道歩きの第2回目は、関東と奥州を結ぶ会津街道の中核宿「若松宿」(会津若松)に寄り道する。戦国時代から江戸時代、幕末へとまさに歴史の舞台となった現場を、じっくり見て回わりましょう。

一日目
JR東京駅 9:40 →(郡山経由)→ 会津若松駅 12:31 
  〇会津藩校日新館(最終受付午後4:00))     ♨富士の湯 

二日目「まちなか周遊バス」(あかべえ、ハイカラさん)を利用 
               1日フリー乗車券600円)
  飯盛山(スロープコンベアで)
  〇白虎隊白刃の地 〇白虎隊十九士の墓 
  〇さざえ堂(旧正宗寺) 
  〇白虎隊記念館 
  〇旧滝沢本陣

  〇会津武家屋敷
  〇会津藩主 松平家墓所
  〇御薬園  ♨東山温泉(日帰り)周遊バスがうまく使えるか?

    昼飯 蕎麦かみしろや(鶴ヶ城近く) 0242-26-8648

  〇福島県立博物館
  〇新島八重の像
  
  鶴ヶ城
  〇天守閣
  〇南走長屋・干飯櫓(ほしいやぐら)
  〇茶室麟閣     
   
三日目
  〇勝常寺(津川村)東北を代表する古刹
     (参拝は予約不要 仏像拝観は要予約)

JR会津若松駅12:20  →(郡山経由)→ 東京駅 15;24

◎台風に合いませんように。
◎あまり暑くなりませんように。

                  
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奥州街道を歩くー1(2023/5/31~)-写真

2023年06月07日 |   奥州街道を歩く


21-5-31 栃木県大田原市

〇運厳寺 禅宗の日本四大道場の一つ。後は筑前の聖福寺、越前の永平寺、紀州の興国寺

栃木県「黒羽の芭蕉篇」|大人の休日倶楽部:JR東日本 (jreast.co.jp) 吉永小百合

              

                                 

大人の休日倶楽部のコマーシャルが始まってしばらくは参拝客で大盛況だったと、タクシーの運転手が懐かしがっていた。今は修行僧は3名ほどいるのみ。苦しくって止めていくそうだ。


大雄寺(だいおうじ)(黒羽藩主大関家の檀那寺。室町時代の様式を残す禅寺。牡丹、シャガの名所)

                               

                   


黒羽芭蕉の館(「芭蕉のくろばね」の拠点施設)


那須神社(仁徳天皇時代の創建 那須氏、黒羽藩主大関氏の氏神)

                                                             

 
那須与一像                                                               


〇小峰城址 福島県白河市
(初代白河藩主・丹羽長重が1632築城の平山城。松平定信など7家21代の大名が居城)

              

石垣の壮大さに圧倒された。この高さの石垣が城をぐるっと囲んでいるのだ。ところどころに東日本大震災による石垣の大修復の跡が残っていた。


南湖公園
(寛政の改革で知られる名君、松平定信によって
築造された日本最古といわれる公園。小峰城の南方にある湖の意味と唐の歌人・李白の詩句の投影)

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G(爺)4の「奥州街道を歩く」スタート!

2023年06月06日 |   奥州街道を歩く

        

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「奥州街道(道中・海道)を歩こう」

2023年03月18日 |   奥州街道を歩く

「奥州街道・みちのく・おくの細道
                   いいとこ歩きの旅 (案)23-3-18

    

 平成19年〈2007年)4月、同じ会社の仲間4人で街道歩きを始めた。あれから16年になる。中山道、北國街道、塩の道、甲州街道、東海道ときて、今度は奥州街道だ。もうすぐ80才が2人、79才が2人の4人組。今度の旅はどんな発見や感動があるだろうか。
 旅があるから、健康でなければという意識は強いかもしれない。健康でいるためにも、旅は続けたいものだ。

     

 

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