地遊人

日常のことごと、出来事を、気ままに書き記していく。
62歳からの自己整理・自己満足策とボケ防止挑戦プログ。

三州街道(塩の道) 根羽宿

2011年08月31日 |    ・塩の道の資料

        

「武田信玄(山の巻)」(新田次郎 ・文芸春秋刊)より

・・・信玄は病が重くなり、自らの天命を悟ると、重なる家臣たちを枕元に呼び寄8せて遺言した。それは次のような内容である。この身がこのようになることは、五年前から知っていたから、書き判を据えた用紙を七百枚ほど用意した。余が亡き後はその死を三年間隠して置き、公用書状にはこの紙を使用するがよい。余がまだ生きていると聞いたならば、諸国も手出しはしないだろう。・・・余の遺骸は具足をつけて諏訪の湖に沈めよ。(「甲陽軍艦」)

根羽宿は、武田信玄終焉の地といわれる。
歳五十三才で天正元年(1573)酉の四月十二日、三河・美濃・信濃三ヶ国の間、ねばねの上村と申す所にて御他界。(「甲陽軍艦」)

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ブロッコリー植え、500本。

2011年08月31日 | 【3】援農ボランティア(東京の青空塾)

       
11-8-31 援農284 思ったより蒸し暑い日。ブロッコリーとキャベツ植え。午後からの雨を期待す。


みかん畑の今

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吉良家と浅野家の塩戦争

2011年08月25日 |    ・塩の道の資料

      名塩「赤穂の塩」といえば歯磨用焼塩

昔からの塩も工夫され、商品として売られていた焼塩である。塩を壷に入れて焼いたもので、そのまま使うものと売りやすくするため焼塩を型に入れ固めたものが売り出されていた。
徳川家康が江戸に入府したときに、江戸庶民の為に塩田(千葉県行徳)を拡張して供給させたが、徳川家の使用する塩は三河吉良 吉良上野介義央の所領から献上する饗庭塩が使われ、江戸の一流の町人や有名料理屋などもこの塩を使っていたという。
さて、正保2年(1645年)浅野長友は常陸笠間で五万五千石を領していたが嫡子長短のとき藩州赤穂に転封になった山国の大名が海に面した領地に行くに際して、藩の経営をどうしたらよいか苦慮した結果、三河吉良の庄に家来を送り吉良家の精塩法を習い赤穂の塩田の開発に努力した結果、赤穂の塩は品質、味、共に良いと評判を得て、大阪、京都、堺など名声を博して食用以外に歯磨用焼塩をつくり売り出した。
当時将軍は毎朝七時に寝所を出る。そして御手水の間で畳の上に「毬子」を敷いた上に座って顔と歯は自分で洗った。歯は奥詰口中医<「赤穂の塩」と「吉良の塩」は歯磨剤の分野で商売仇となる。>の調合した歯磨粉、焼塩、細紛した松脂の三種類を小皿にのせたものを、その時の気分で好きなものを選んで房楊枝につけて磨いた。その後、髪を結い袴をつけ仏間を拝し朝食をとった。
この将軍が使う焼塩として赤穂の塩が五代将軍綱吉に献上されるに及んで江戸でも有名なブランドとなった。赤穂の塩がお上御用達となると、困ったのは、行徳と吉良の塩である。行徳の塩はまだ江戸庶民用だから問題はないが吉良の塩は焼塩として歯磨用に使われていたので、赤穂の焼塩、塩の進出は商売仇の出現を意味した。
このような状況下で元禄十四年浅野長短に二度目の勅使接待役が廻ってきた。この接待役の指導にあたるのが吉良義央であった。両家に経済上の対立があるとき、吉良の浅野に対する感情は徒ならぬものがあり何か触発するものがあると不慮の事態を引き起こすことは、至極当然である。
元禄十四年三月十四日 巳の刻(午前十時半)殿中、松の廊下で浅野長短が吉良義央に刃傷に及んだ。後日、元禄十五年十二月十四日赤穂浪士の吉良邸討入りがあった。その中に加わっていた堀部安兵衛、大高源五らが歯磨粉や歯磨用焼塩を商った有名な芝の兼康祐見の看板を書いたり大高源五の弟である口中医の小野玄人の金看板を書いたのも何か因縁があったのかも知れない。

参考文献 東京歯科大学名誉教授 長谷川正康著
「歯科の歴史おもしろ読本」

 

来春、 「塩の道」を歩くとすると、この吉良の町から始まる。第一ステージは、信州「塩尻」までの南塩(みなみじお)ルート約250Kmだ。

 

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キューリが、美味い。

2011年08月24日 | 【3】援農ボランティア(東京の青空塾)

       
11-8-24 援農283 暑さがぶり返してきた。ハウスのキューリが、もう収穫出来るようになってきた。早い。


先日植えたトマトは、順調に育っているように見える。


さといもの、今年の出来はどうか?

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ネット 「東京新聞」の特報・社説・コラムを読む。

2011年08月22日 | 【14】雑感

今日の東京新聞。この新聞の「特報」、「社説」、「コラム」が、物事を冷静に、客観的に見ていて、参考になる。まともだけに、色んなところからの妨害もあるらしい。

       

特報
  泊原発3号機 09年は条件付き合格!?


社説
  民主代表選 政策論争をしっかりと

  ソマリア飢饉 幼い命が消えていく

筆洗
  ある大学で講義のまね事のようなことをした時、数十人の学生に聞いてみたことがある。・・・

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宮城 秋保(あきう)にて。

2011年08月19日 | 【14】雑感


11-8-18 秋保(あきう)大滝にて。

仙台南のホテル ルートイン仙台長町からは、大震災の被災地は近いけれど見ることはできない。民家の屋根は、結構の数がブルーシートに覆われていて、震災から5ヶ月も経っているが、修理している様子はどこも見られない。
大きな被害を受けた、海側の方を向いて、黙祷する。                      

                       

   

 
 秋保神社の銀杏

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「原発はいらない」を読む。

2011年08月15日 | 【10】読む(図書館活用)

     
11-8-14 「原発はいらない」(小出裕章 幻冬社ルネッサンス新書)を読む。「原発のうそ」の著者。40年間の研究生活、実践者の重み。説得力がある。「真実」を知って対応するしかないのではないか。

 【内容紹介】
12
万部を突破したベストセラー『原発のウソ』の著者が放つ、3.11事故後の第2弾! 福島第一原発は今、どんな状況なのか。放射能汚染は、今や首都圏にも広がってきている。このままでは、日本は「汚染列島」と化してしまう。40年にわたり「原子力研究者として、原発をやめるための研究」に励んできた著者の反原発運動の経緯をたどりながら、原発事故が最悪の場合、日本列島に壊滅的な打撃を与えることを客観的に論証する。では、すべての原発を廃炉にしたあとは、どうすればいいのか? 「化石燃料を使う火力発電は地球温暖化を促す」とか、「原子力発電の経済的効率性を重視する」といった原発推進論者の主張に鉄槌を下しつつ、「電力を好き勝手に使う強欲文化」から、「人と地球にやさしいスローライフ文化」への大転換を提案する。今、最も信頼できる原子力研究者が、渾身の力を振り絞って原発廃絶の思いを綴った覚悟の書。40年の反原発研究人生の集大成ともいえる「小出メッセージ」の決定版!


【内容】
BOOK」データベースより)

福島原発は今後どうなるのか。著者は40年間一貫して原発の廃絶を主張してきた。その経験をもとに、今回の原発事故が最悪の場合、日本全土を汚染してしまうことを客観的に立証する。さらに、原発に替わる新エネルギーについても言及する。人が人として生きていくために、本当に必要なものは何か?原発問題に端を発し、人間の存在意義にまで言及した「小出哲学」の集大成。

 

 

関連記事(日刊ゲンダイ11/8/9)

 衝撃 1都4県土壌150カ所調査結果

 福島原発の事故による放射能汚染が首都圏でもジワジワ進んでいる実態が分かった。市民団体「放射能防御プロジェクト」は8日、首都圏150カ所の「首都圏土壌調査」を公表。東京や埼玉でもチェルノブイリ並みの「汚染区域」があちこちで見つかった。
「放射能防御プロジェクト」は放射性物質による食品汚染や健康被害を懸念する市民らが結成。5月中旬から約1カ月半かけて、東京や千葉、神奈川、埼玉などの土壌を採取し、民間の検査機関に放射性物質の含有量や分析を依頼。その結果を一覧にまとめた(記事末尾の表)。
 チェルノブイリ事故では、土壌の汚染状況に応じて4段階で居住区域などが制限された。
最高レベルの「居住禁止区域」は、1平方メートル当たりの汚染濃度が148万ベクレル以上で、住民は直ちに強制避難し、立ち入りを禁止された。
2番目の「特別放射線管理区域」(55万5000ベクレル以上)は住民に移住の義務が課せられ、農地利用を禁じられた。
3番目の「高汚染区域」(18万5000ベクレル以上)は住民の移住の権利が認められ、
4番目の「汚染区域」(3万7000ベクレル以上)は不必要な被曝(ひばく)を防止するための措置が講じられた。

 この区分に調査結果を当てはめると、例えば東京・江戸川区臨海町や、千葉・松戸市の紙敷と松戸、茨城・取手市藤代はそれぞれ「高汚染区域」に相当。埼玉・三郷市早稲田は、2番目の移住レベルに匹敵する値だ。他の地域でも「汚染区域」レベルの土壌が見つかっており、首都圏が広範囲にわたって「まだら模様」に汚染されている実態が分かる。

<巣鴨に「居住禁止」級のホットスポットが…>

 今回の調査では、「ホットスポット」も確認された。
 東京・豊島区巣鴨で採取された道路沿いの土砂から、1キログラム当たり6万超ベクレルという極めて高い値が検出されたのだ。仮に近隣の土壌が同程度に汚染されているとすれば、1平方メートル当たり401万ベクレルとなり、「居住禁止区域」レベルとなる。
 風の吹きだまりや、流れ込んだ雨水などの影響で放射性物質が局所的に集中したとみられるが、怖いのは、こうした「ホットスポット」に多くの住民が気付いていないことだ。結果公表の会見に同席した医師の土井里紗氏はこう言った。
「首都圏はチェルノブイリ事故のような汚染はない、とされてきたが、(調査結果は)それを否定するもの。降り積もった(高濃度汚染の)砂塵(さじん)が風などで吹き上がれば、皮膚や粘膜に吸着される可能性もあります」
 首都圏の汚染状況が徐々に明らかになってきたというのに、相変わらず遅い対応の国や自治体には呆れるばかりだ。

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日本風景街道~中馬街道~

2011年08月12日 |    ・塩の道の資料

     
11-8-12
新しさからなつかしさ 塩の道~中馬街道~

その昔、中馬街道は三河湾でつくられた塩を山間部へ運ぶための「塩の道」でした。 矢作川を川舟で上り、古鼠(ふっそ=現豊田市)で荷揚げされた塩は、足助の塩問屋で荷直しされ、信州方面へ中馬によって運ばれていました。中馬とは、江戸時代の中ごろ、信州でつくられた馬の背で荷物を運ぶ人々の組合のことです。

 現在、中馬街道は国道153号となり、地域の骨格をなす幹線道路として、生活、産業、観光を支える役割を担っています。この国道153号の豊田市中心市街地から長野県の県境までのエリアが、風景街道として登録された「塩の道・中馬街道」です。

(豊田市ホームページより)

三州街道、飯田街道と呼び方はいろいろあるみたいだ。

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恒例 お盆前のトマト植え一斉作業。

2011年08月11日 | 【3】援農ボランティア(東京の青空塾)


11-8-11 援農282  
お盆前の一斉作業。総勢7名、約600本のトマトを植えた。雷雨のあと、午後4時集合、終了は6時15分。いい汗をかく。
              
                              

              

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壮壮会、N氏追悼。

2011年08月10日 | 【9】囲碁を楽しむ

  
11-8-10 壮壮会(八重洲にて)
N先輩が亡くなってから、早いものでもう5ヶ月経ってしまった。先輩は、東日本大震災のことは、知らない。
この中庭で、授業が始まる前の少しの時間を、ピースを吸いながら、3つ年上のN先輩と過ごしたことを、昨日のように思い出す。昭和37年、この頃は、働きながら夜間大学に行く人は大勢いたが、信州の田舎出の自分にとって、同じ会社のN先輩は頼りがいがあり、以来50年近い付き合いをさせてもらったのだ。囲碁も酒も、もっとやりたかった。

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