地遊人

日常のことごと、出来事を、気ままに書き記していく。
62歳からの自己整理・自己満足策とボケ防止挑戦プログ。

小梅の収穫 ひょうの被害有り。

2012年05月31日 | 【3】援農ボランティア(東京の青空塾)

 
12-5-31 援農315 小梅の収穫 先日のひょうで結構傷がついている。

 梅も傷

   ズッキーニの花

                                                      

     

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立ち直れるか ひょうの被害大。

2012年05月29日 | 【3】援農ボランティア(東京の青空塾)


12-5-29 援農314 昨日のひょうでナスやキューリが相当被害を受けた。このところ天候不順。今日も。

       昨日のひょう。


ハウスのトマトは大丈夫。

          

                        

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竹の子 到着。

2012年05月27日 | 【8】食を楽しむ


信州・佐久の長兄が竹の子を送ってきてくれた。早速昼、茹でて食べた。うまかったー。夕飯は酒のつまみに。

   
   緑の濃いところは硬そうなので、除く。

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今、まともな新聞は、「東京新聞」くらいか。

2012年05月27日 | 【14】雑感

国民の立場に立って、政権・権力を監視し、批判し、意見・提言を行なおうとしているのは「東京新聞」(特に「特報」・社説・筆洗)、日刊ゲンダイくらいなのではないだろうか?ネットで新聞を見比べていると、そう思えるのだ。その他の新聞は、テレビと一体となって、政府筋の意に沿って情報を出さなかったり、隠したり、垂れ流しているように見えて仕方ない。なぜこうなってしまったか?新聞・テレビの役割、存在意義とは何か?
クロスオーナーシップの弊害?

東京新聞
【特報】

「危ない法案」なぜ相次ぐ 自民政権時にルーツ 情報独占へ「官」暗躍    2012年5月27日
政府の情報隠しが合法化される一方で、国民のプライバシーは丸裸にされかねない。今国会では、秘密保全法案をはじめ、言論・思想を蹂躙(じゅうりん)した治安維持法まがいの「危ない法案」がめじろ押しだ。
ルーツをたどると、自民党時代に行き着く。裏で動いているのは官僚だ。 (佐藤圭)  
【こちらは記事の前文です】

社説記事一覧

内閣府の原子力委員会が核燃料サイクル推進派を集めて勉強会を開き、報告書の原案に手を加えていた。「原子力ムラ」の暗躍そのものだ。こんな組織は完全に解体し、ゼロから出直すべきだ。(5月27日 紙面から) [→記事全文へ] 

二〇三〇年の原発依存をどうするか。経済産業省の総合資源エネルギー調査会が、0~35%の選択肢を提示した。忘れてはならないのは、それまでに国内の原発の大半が動けなくなるということだ。 十八年後、原発に電力の35%を頼るという案は、とても現実的ではない。(5月27日 紙面から) [→記事全文へ]

        東京新聞 TOKYO Web

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「塩の道」を歩く <2>

2012年05月25日 |   街道を歩く③塩の道

矢作川(やはぎがわ)を舟で運ばれた塩は、古鼠(ふっそ)・越戸で陸揚され、足助(あすけ)を目指した。もう一つ、矢作川、巴川を上り平古で陸揚げし、陸路、七里街道で酒呑(しゃちのみ)を経て足助へ向かったという。

その平古近くに三州街道の出発地といわれる九久(くぎゅう)宿があって、東方の六所山麓には徳川家発祥の地、松平郷がある。今回の旅の宿は、六所苑だが、宿の目印となる六所神社を目指したものの、いつしか六所山頂への道を選んでしまったらしく難儀したが、宿と連絡し山を下り、地元の方の好意で、車で宿に送って頂いた。六所苑は結構大きな宿だが、宿泊客は我々だけで、のんびりと山間の静かな村の夜を、猪鍋とうまい酒で過ごした。
翌日の早朝散歩は六所神社を目指した。急な坂道を、帰りは大変だなと思いながら、15分ほど下る。近くで鶯がよく鳴く。六所神社は上宮と下宮があるということを知った。
下宮の神社と古い舞台は新緑の中にあって、何か厳かさを感じる雰囲気があった。あとで徳川家の菩提寺、高月院の和尚から教えてもらったことだが、この六所神社は、松平始祖の氏親が、陸奥国の一宮である塩釜神社から勧請したものであるという。「塩の道」歩きにとっては先ずお参りをしておいて良かった。松平郷では高月院を見て、松平東照宮に寄った。宿の主人から連絡を入れてもらったということで、地元の顔役と思われる人が開館時間前に到着していて、案内をしてくれた。隣にある松平郷館では、松平・徳川の歴史を、展示物に基づいて熱心に説明してくれ、次の予定が心配になる位だった。松平郷の人々は、皆親切で、また徳川発祥の地という何か誇りというか自信をもっているような感想を持った。

足助に行く道に戻るため、王滝渓谷から仁王川に沿って谷を下り、巴川に出た。足助には巴川に沿って北上すれば到着する。時間が微妙になってきたので、バスで足助に行くことにした。車中より道路状況をみると歩道のある場所が少なく、また車の通行が多く危険そうなので、バスの選択は正解だった。紅葉の季節には車が動かない位混雑するとのことだが、今は新緑の時期、バスは空いていたし、ゆったりとバスを楽しんだ。

足助での宿は、江戸末期より旅館を営んでいるという玉田屋だ。宿の中は薄暗く、年期を感じる。宿泊者は我々のみ、今日も貸切だ。先ず近場の足助八幡宮にお参り。

    

足助は尾張・三河から信州を結ぶ伊那街道(中馬街道)の重要な中継地であった。足助に集められた塩は、塩問屋で全て七貫入りの俵に詰め替えられ、1頭の馬に四表(105キロ)付けて山国信州に向かった。実態は信州からいろんな物産を馬の背に積んできて商いをし、帰りに塩などを買って帰るということだ。中馬とは信州にだけ認められた「荷主と買い手の中継ぎをする馬」を指す。            

足助・香嵐渓の朝は寒い位涼しく、やはり人はほとんどいない。緑が美しく、脇を流れる巴川のせせらぎが心地よい。足助氏菩提寺の香積寺への参道は見事な楓林の小路が続く。紅葉の季節は素晴らしいだろうなと思うとともに、身動きができないような人出を想像する。
足助の町を散策する。狭い道路の両脇にはマンリン小路など、かつての繁栄を物語る建物が連なっている。また、戦国の山城を復元した足助城に登り、本丸の高櫓から朝日に輝く谷間の足助の町を見下ろしてみた。

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消費税の政治学

2012年05月24日 | 【14】雑感

田中良紹氏のブログより。(田中良紹の「国会探検」)

消費増税を決める国会審議がようやくスタートした。連休前にもスタートするはずであったが会期末まで1ヶ月という時点でのスタートである。審議の先行きは不透明で、野田総理の増税路線を後押ししてきたメディアに疑心暗鬼が生まれつつある。

 そもそも自分たちだけは消費税の適用除外にしてもらおうと、財務省に尻尾を振って増税路線を推進するメディアにまともな消費税報道など出来るはずもないが、メディアは増税をマニフェストに掲げた自民党とマニフェストを覆して増税に政治生命を賭けると言い切る野田総理のタテマエを信じているだけだから現下の政治を読む事が出来ない。

 私は昨年11月のG20で野田総理が消費増税を国際公約し、消費税政局がスタートしてからメディアの「話し合い解散」とか「小沢抜き大連立」とかの報道に疑問を呈してきた。それは一方の「願望」を代弁しているだけで、いささかも政治を読み解いてはいないからである。波乱万丈が予想される政局を読むためにはまず与野党の本音を探る必要がある。

 野田政権が誕生してから行なわれた3回の党首討論は壊れたレコードのように同じ議論を繰り返した。自民党の谷垣総裁の発言からは野田総理の「不退転の決意」を信用していない様子が分かる。だから与野党協議を求められてもそれに乗れない。「閣議決定をするのが先だ」とか、「マニフェストを変更しろ」とか、「民主党内の反対派を切れ」とか次々に条件をつける。そして最後に必ず「一日も早く解散を」と総選挙を迫る。

 自民党は09年の総選挙で議席数を181減らし、結党以来初めて衆議院第一党の座を明け渡した。従って現在の自民党は現職議員に匹敵する数の浪人を抱えている。浪人は早く選挙をやってもらわないと金が持たない。自民党が何が何でも民主党を批判して選挙に追い込もうとするのはそのためである。国民のためにじっくり政策を磨いて政権を取り戻す余裕がない。

 一方で自民党は消費税が選挙に不利である事を誰よりも良く知っている。1979年の総選挙で大平内閣は消費税を掲げて過半数を割り込む大惨敗を喫した。竹下内閣は強行採決で消費税法案を成立させたが、リクルート事件もあって退陣を余儀なくされ、次の宇野内閣が参議院選挙で歴史的敗北を喫した。また消費税を3%から5%に上げた橋本内閣はそのために不況を招いて参議院選挙に敗れ、最近では民主党の菅内閣が突然消費増税を打ち上げてやはり参議院選挙に敗れている。消費税を上げる前でも後でもそれが争点になれば例外なく選挙には負けるのである。

 だから自民党は消費税を選挙の争点にしたくない。しかし野田総理が消費税を成立させてからでないと解散しないと明言しているので成立に協力しないと解散も実現しない。そこから「話し合い解散」とか「大連立」という「願望」が出てくる。「赤信号みんなで渡れば怖くない」にしたいのが本音で、みんなで組んで増税をやれば選挙の争点にはならないと信じたいのである。

 ではそうした「願望」が実現するかといえば簡単ではない。まず第三党の公明党の立場がなくなる。公明党はこれまで自民党と組んできた経緯から「社会保障と税の一体改革」に反対はできないが、増税路線に巻き込まれたくはない。自民党とは逆に消費税法案の成立に反対してから選挙に臨みたい。山口代表は党首討論で毎回「社会保障の中身が分からないのに協力は出来ない」と繰り返している。

 さらに民主党最大勢力の小沢グループが反対している事で「願望」はなお難しい。仮に自民党と民主党執行部が組んで消費税成立を強行すれば民主党は分裂し、消費税を巡って政界は二つに割れる。そうなれば次の選挙は否応なく消費税の実施を認めるかどうかが争点になる。その時「統治構造を変えて行政の無駄を省け」と主張する地方首長の勢力が選挙に参戦してくる。まさに増税路線と統治構造の変革路線とで政界再編が本格化する。

 その時、自民党の中に増税を掲げて選挙に打って出る候補者がどれほどいるか見ものである。同じ事は民主党にも言えるが、消費増税を主張する勢力が選挙に勝って政権を取る保障はどこにもない。世界の趨勢は緊縮財政や増税路線が選挙で敗北し続けている。日本だけが例外になれるかをこれから政治家たちは自問自答する事になる。

 しかも世界最大の財政赤字と言いながら、日本国債の金利は下落傾向にある。増税を急がなければならない理由はない。さらに消費税率25%のスウェーデンが、それでも社会保障を維持できず、年金支給開始年齢を75歳に引き上げようとしている。増税だけではいずれ社会保障は維持できなくなる事の証左である。社会の仕組みそのものを見直さないと少子高齢化には太刀打ちできない事を福祉の先進国が教えてくれている。

 従って国会はそうした視野に立った議論をすべきである。竹下内閣が3%の消費税を決めた時には審議に3ヶ月の時間をかけた。わずか1ヶ月の議論で結論を出す必要などさらさらない。現在の政治は何よりも震災からの復興と原発問題、そして世界経済の動向に目を凝らし、「社会保障と税の一体改革」は長期的視野から時間をかけて議論する事が望ましいのである。

 ところが消費税をかけられると会社が潰れると恐れる新聞社とその系列のテレビ局は、自分たちの利益のために消費増税推進報道を行なって財務省に尻尾を振っている。そのため妙なバイアスのかかった報道が横行する。この消費税政局を読み解くためにはまずはメディアの報道を無視するところから始めなければならないようである。

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ナスは3本仕立てで。

2012年05月24日 | 【3】援農ボランティア(東京の青空塾)


12-5-24 援農313 暑い日。いろんな野菜が育ってきている。急ぐ作業が目白押しになってくるのだ。


キューリ


トーモロコシは1本にする。


ズッキーニ。


里芋が芽を出し始めた。


ブロッコリー、キャベツ、レタス。

 

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テレビが面白くない、新聞がおかしい。なぜか?

2012年05月22日 | 【14】雑感

テレビが面白くない、新聞がおかしい。なぜか?

こんなところに原因があるんじゃないか?

      クロスオーナーシップとは?

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今度は、金星の日面通過。

2012年05月21日 | 【14】雑感

6月6日、金星が太陽面通過(日面経過)、次回は105年後。 

2012年6月6日は非常に珍しい金星の太陽面通過(日面経過)が見られる。今回の太陽面通過は6時間におよぶが、日本からは全国的に、最初から最後まで良い条件で観測することができる。千載一遇の機会!

珍しい金星の太陽面通過(東京:7時24分~13時24分)

日本で見られたものとしては明治7年、、実に130年前の現象。次回は105年後の2117年12月11日。金星の太陽面通過はまさに、「世紀の天文現象」ということだ。

観察は必ず今日使った、日食グラスで!

       

  金星の日面通過

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塩の道を歩く②(資料・写真)

2012年05月20日 |    ・塩の道資料・写真

塩の道を歩く② 見る所

日程 平成24517日(木)~19日(土)

5月17日(木)

JR東名ハイウェイバス・スーパーライナー1号)
東京駅八重洲南口発 730  東名岡崎着1211 
※切符購入済み
※東京駅八重洲南口の高速バス切符売り場に、700頃待ち合わせ

東名岡崎バス停より名鉄「東岡崎駅」へ約4Km歩く。
(名鉄バス:大沼行)   駅で、バス停、時刻を確認後、近くで昼飯  

          
    東岡崎駅前 手打ちそば・うどん 「地久庵」のみなさん、お世話になりました。

名鉄「東岡崎駅発」1420  「切二木(きぶたぎ)」で下車 1506
旅館まで約4Km歩く(六所神社を目指す。途中旅館の場所を聞く。)

 泊まり 六所苑(0565-58-1164)豊田市坂上町深山口2-8
〈メモ〉「王滝渓谷」経由足助への道順、距離、所要時間など聞く。)
       

5月18日(金)

4.九久(くぎゅう)宿
三州街道(中馬街道)の出発地。中山道の脇往還。

【松平郷】
松平郷は、東に標高684mの炮烙山(ほうろくさん)や標高606mの六所山、西に巴川の流れるなだらかな丘陵地、徳川家のルーツといわれている松平氏の発祥の地だ。ここには松平東照宮はじめ、初代親氏をまつる高月院、松平城址など松平氏ゆかりの史跡が多く残っている。

【六所神社・下宮と舞台】
・・・故吉田東伍博士の「日本地名大辞典」には、六所山について「松平村の東嶺にして群山の間の傑出なれど左のみ高峻なるにはあらず。六所明神と称する一祠あり。 .... 神格は、海の神、呪術・予言の神、の神神社:塩竈神社、塩津神社..... 年, 家康は、高月院の祖廟参詣の節に、吉木山六所神社に20石の初穂料を献じる。 正月、家康は上洛 ...
(本宮には行けなかった)

      

         

【高月院】 
高月院はもとの名を「寂静寺」ともいい、寛立上人が在原信重(親氏の妻の父親)の援護を受けて1367年に建立したといわれる。高月院になったのは、親氏が1376年に本尊阿弥陀仏をはじめ堂・塔のすべてを寄進してからと伝えられる。 その後、家康から寺領100石が寄進され、明治維新まで時の将軍から厚い保護を受けてきた。境内には、松平家墓所があり、親氏、泰親、親忠夫人の墓が並んでいる。また、現在の山門や本堂は1641年に徳川家光によって建立され多くの文化財が残っている。

 

                  

 

【松平東照宮】
松平東照宮は、徳川家康と、松平氏の始祖松平親氏をまつる神社。松平親氏がこの地に居を構え、氏神として若宮八幡を勧請したのがはじまりであると伝えられている。神社の敷地は、かつては松平氏の屋敷があったところ。拝殿のすぐそばに松平郷館があり、松平家と徳川家ゆかりの品々を展示している。また、松平氏が産湯として使った「産湯の井戸」があり、不老長寿や安産に、霊験あらたかな御神水として参拝者に授与されている。石垣の南と西に水濠が巡らされていて、関ヶ原の合戦の後、松平家九代尚宋が居館を整えたときの遺構といわれている。

   

     

【松平氏初代の松平氏初代の松平親氏像】 

新緑の「王滝渓谷」を経由して、巴川に沿って北上し、足助に至る。約20Km

 泊まり 玉田屋(0565-62-0170)足助町西町36
〈メモ〉新パンフ「足助町並み散歩ナビ」、回り方、バス停、時刻、タクシー、
   

次回(秋)の行程情報など聞く。

5.足助宿
【足助の町並み】
足助川に沿って町並みが続き、黒い板塀のマンリン小路や塗りごめの家並みに「塩の道」の面影が残っている。足助は古来、尾張三河と信州方面を結ぶ伊奈街道(明治以降飯田街道)の要地で、人馬の往来が激しく、ことに三河湾の塩と信州方面からの山の産物を運ぶ中継宿場として栄えた。特に塩は「足助塩」として知られ、矢作川を川舟で上り、信州へ運ぶ塩をここで荷直しし、中馬で運んだところから、塩の道は「中馬街道」と呼ばれた。江戸天保年間には塩問屋が14軒もあったという。

今、中馬街道は国道153号となり、現代においても重要な役割を果たしている。

5月19日(土)

【足助八幡宮】
足肋八幡宮・・・今から約1300年ほど前の白鳳3年の創建と伝えられており、本殿は1466年(室町時代)に建てられたもので、国の重要文化財指定。4台の豪壮な山車と火縄銃で知られる足助まつりはここの 秋の例大祭。

【足助神社】
八幡宮の隣には足助神社が祀られている。足助神社は南朝の忠臣・足助次郎重範公を祀る神社。創建は明治30年頃で、比較的新しい。

足助次郎重範・・・鎌倉時代末期に、後醍醐天皇が鎌倉幕府倒幕の旗をあげ、笠置山に立て籠ったときの篭城軍総大将となった武将。この時の戦は、歴史上「元弘の変(1331年)」と呼ばれている。

【マンリン小路】
足助には小路がたくさんあり、中でもマンリン小路は一番美しい小路。蔵が4棟連なり、奥行きが約50mあまり。蔵の中はギャラリーと喫茶ルームとして利用されている。マンリン・・・という名前は、ここのお店の屋号が萬屋さんで、当主は代々林右衛門を名のったことから、マンリンという名がつけられた。

     

【足助中馬館】
大正元年に稲橋銀行足助支店として建てられたもので、明治から大正にかけての地方銀行の姿をよく残している。県の文化財指定。 かっては取り壊されて駐車場になる運命にあったのを、町並みの大事な顔であるということから、「足助の町並を守る会」の有志が利子補給をして取り壊しを延ばしてもらい、その後、町が取得し、資料館として残った。

                    

 

【香嵐渓】
国道153号にかかる巴橋から上流約1.2kmの巴川がつくる渓谷美と、ご飯を盛ったような山容を見せる飯盛山からなる地域で、紅葉の景勝地として知られている。香嵐渓のもみじは、香積寺11世の三栄(参栄)和尚が、江戸時代の寛永11年(1634)に植えたのがはじまりといわれている。
三栄和尚は、美しい自然を、より美しくとの願いをこめて、巴川沿いの参道から香積寺にかけて。楓、杉などを、般若心経を1巻詠むごとに、1本1本植えていった。その後大正から昭和の始めに住民の手により植えたとされ、現在の景観を誇っている。

【足助城】
足助城は、発掘調査に基づき整備された、全国でも初めての試みの山城。足助城は、標高301mの真弓山の山頂を本丸として、四方に張り出した尾根を利用した、連郭式の山城で、真弓山は足助の町並みを眼下に 見下ろす要衝の地だ。 足助城は、「真弓山城」とも呼び、「松山城」「足助松山の城」とも呼んだようだ。鎌倉時代に足助氏が居城したという、「足助七屋敷(足助七城)」の一つとも伝えられ、今回の発掘調査では、この時代の遺物は発見されず、現在残された遺構は、15世紀以降に鈴木氏が築城した跡と考えられている。 

      

 

  

            

      

 鈴木氏は、戦国時代に西三河山間部に勢力をもっていた一族。そのうち、足助の鈴木氏は、忠親→重政→重直→信重→康重と5代続き、初代 忠親は、15世紀後半の人といわれる。16世紀に入ると、岡崎の松平氏との間で従属離反を繰り返すが、永禄7年(1564)以降は、松平氏のもとで 高天神城の戦いなどに武勲をあげる。そして、天正18年(1590)康重のとき、徳川家康の関東入国に従って、足助城を去るが、間もなく家康から離れ、浪人したと伝えられる。

【香積寺】
応永34年に足助氏の居館跡に創建された曹洞宗の古刹。一帯はもみじや杉木立が 生い茂り、もみじの開祖・三栄和尚が植えたとされる杉も2本残っている。

  

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 


岡崎に戻り、前回見れなかった大樹寺を見た。

(名鉄バス 岡崎・足助線)
足助発10:47  名鉄「東岡崎駅」着 11:57(バス停、時刻を確認!)
東名岡崎バス停まで歩く(約4Km)
JR東名ハイウェイバス・スーパーライナー16号)(バス停、時刻を確認)

    
    JRハイウェイバス 2階3列席は快適。

東名岡崎バス停1412  東京駅(日本橋口)1908 (※切符購入済み)

【主な費用】
(交通費)
東京―東名岡崎(JR東名高速バス)        4,490円
東名岡崎―東京(JR東名高速バス)        4,490円

(宿 泊)
六所苑(1泊2食)                  7,000円 
玉田屋 (朝食付き)                     6,000円 (夕飯は外)

【情報】
豊田市役所 電話 0565-31-1212 

【持ち物(追加)】
〇携帯ラジオ
〇ケータイ用充電器

【旅を終わって】
 歩いた距離
  1日目  18016歩(13.51Km) 
  2日目  24045歩(18.03Km)
  3日目  12009歩(9Km)
 今回の旅は、地元の人々に助けてもらったり、大変親切にしてもらった。思い出深い旅となった。なお、街道は歩道のある場所が少なく、危険を感じるので、調査の上、計画の見直しが必要となる。

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