平成31年(2019年) 元旦
2018-12-30
平成19年(2007)春、仲間に、かねてから考えていた「中山道を歩く旅」を提案した。
あれから11年、今年の10月、甲州街道を歩き終わって、来年はどうするかと。で、
東海道五十三次の「いいとこ歩きの5コース」を作ってみた。
皆で修正を加えながら、実行できればいいな、と思う。
東海道は、五街道の中で諸大名や多くの旅人が往来したメイン街道で、歴史街道だ。
今回の、われわれの旅のテーマは、
「桜」「富士山」「魚・酒」「城や寺(歴史)」「紅葉」といったところか。
1.⑦平塚宿 ~ ⑧大磯宿 ~ ⑨小田原宿 一泊二日(2以降は二泊三日)
・平塚八幡宮 ・吾妻山公園 ・小田原城
・高麗山 ・黒松並木 ・吾妻神社
・湘南平 ・鴫立庵 ・早雲寺
2.⑮蒲原宿 ~ ⑯由比宿 ~ ⑰興津宿 ~ ⑱江尻宿 ~ ⑲府中宿 ~ ⑳丸子宿
・富士川舟運 ・薩田峠 ・三保の松原 ・次郎長 ・駿府城 ・丁子屋
・清見寺 ・久能山 ・浅間神社
3.㉖掛川宿 ~ ㉗袋井宿 ~ ㉘見付宿 ~ ㉙浜松宿 ~ ㉚舞坂宿 ~ ㉛新居宿
・掛川城 ・尊永寺 ・妙恩寺 ・浜松城跡 ・脇
・功名が辻 ・可睡斎 ・樋ヶ谷沼 ・春日神社
4.㉟御油宿 ~ ㊱赤坂宿 ~ ㊲藤川宿 ~ ㊳岡崎宿 ~ ㊴知立宿 ~ ㊵鳴海宿~
・街並み ・法蔵寺 ・むらさき麦 ・岡崎城 ・あんまき ・井桁屋
・大橋屋 ・塩の道 ・大樹寺 ・誓願寺
㊶宮宿
・熱田神宮
5.㊶宮宿 ~ ㊼亀山宿 ~ ㊽関宿 ~ 寄り道 比叡山延暦寺
・名古屋城 ・亀山城跡 ・街並み ・天台宗総本山(最澄)
本丸御殿 ・歴史博物館
ヤイリさんが 💫T.Katsumi 🎸をリツイートしました
10万筆で目標達成!みたいに思っちゃってる人いると思いますが、10万はホワイトハウスが『何か』しなければならないだけで、埋立を止めてくれるわけではありません(-。-;)
でも、38万筆以上集めてトップになれば、米マスコミや国民の注目度が断然違ってきます!
来年1月7日までにもう一度ウェーブを!
翁長タケハルさんが翁長タケハルをリツイートしました
気付けば16万筆を超えています。
今の目標は、20万筆!
皆さん周囲へのお声掛けを是非よろしくお願いします。
【沖縄で県民投票が行われるまで辺野古/大浦湾の埋立を止める 】
署名はコチラ↓
https://petitions.whitehouse.gov/petition/stop-landfill-henoko-oura-bay-until-referendum-can-be-held-okinawa …
「ホワイトハウスに声を届ける」
何故この様ないじましい事をしているのかって?
不思議なことに、今の日本政府には民意が届かないからです。
工事阻止を日本政府に命じさせましょう!
「トランプさん、辺野古を止めて」
米ホワイトハウスへ嘆願 電子署名10万筆を募る
【平安名純代・米国特約記者】
トランプ米大統領に、来年2月に予定されている県民投票まで、名護市辺野古の新基地建設作業の停止を求めた電子署名活動がホワイトハウスの請願書サイトで始まっている。8日に開始後、約7千筆(米東部時間11日午後8時時点)が集まった。30日以内(来年1月7日まで)に10万筆が集まれば、ホワイトハウスが請願内容など対応を検討する。
辺野古の埋め立てをストップするようにホワイトハウスに請願する公式署名サイトです。
来年1月7日までに10万署名を集めれば請願が受理されます。是非ご協力下さい。→
日本語の趣旨説明→ https://note.mu/tkatsumi06j/n/ndb0592be531d …
英語ですが簡単です。以下の画像を参考にしてください。
上高地から大滝山~蝶が岳~常念岳(2857m)へ (1968/10/9-12)
大滝山の日の出 雲海、歩いて行けそうな。
蝶が岳~常念岳へ
武尊山(ほたかやまー群馬県)2158m 1969/8/15-16
頂上付近に張ったテントの中から、降り注ぐ星を見た。
蓼科山(2530m) 立科町蓼科牧場から見た蓼科山 左側は将軍平 ここからの姿が一番好きだ。
(1967/5/3-5) 立川ー下諏訪ー和田峠ー車山ー白樺湖ー蓼科牧場ー蓼科山―茅野ー立川
尾瀬・燧岳(2346m) 山歩きはこの山から始まった。
尾瀬・至仏山 (2228m)
物置の整理をしていたら、山の道具が出てきた。もっと登りたかった。
そば畑と八ヶ岳連峰
八ヶ岳連峰縦走(1967/7/29-8/1)
八ヶ岳連峰最高峰 赤岳(2899m)
八ヶ岳のメイン
白馬連邦 白馬岳(2933m) (1968/8/30) 塩の道歩きでは、いつもこの山を意識していた。
白馬岳山頂からの夕焼け
奥秩父連邦 金峰山(2595m) 1967/11/2-4
立川ー小淵沢ー信濃川上ー秋山ー金峰山ー旭岳ー国師岳ー秋山ー立川
南アルプス 甲斐駒ヶ岳(2966m) 1968/5/5-7 N先輩と二人行 しょっぱい山。
1日目 東京ー駒神社ーささの平ー5合目小屋(泊り)
2日目 5合目ー7合目ー天候悪し引き返すー5合目小屋(泊り)見知らぬ登山者と酒を分け合う。
3日目 5合目ー7合目ー頂上 千丈ヶ岳、北岳断念ー7合目ー5合目ー東京
8-12-25援農685 後片付け、ハウスの中の雑草取り。来春の準備も。
梅の選定が始まっている。新春一番の仕事になる。
蝋梅
天皇陛下、平成最後の誕生日 涙声で「国民に感謝する」
20日に行われた天皇陛下の会見の全文は以下の通り。(朝日新聞12月23日朝刊より)
《問》天皇陛下として迎えられる最後の誕生日となりました。陛下が皇后さまとともに歩まれてきた日々はまもなく区切りを迎え、皇室は新たな世代が担っていくこととなります。現在のご心境とともに、いま国民に伝えたいことをお聞かせ下さい。
【天皇陛下】この1年を振り返るとき、例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨、地震、そして台風などによって多くの人の命が落とされ、また、それまでの生活の基盤を失いました。新聞やテレビを通して災害の様子を知り、また、後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが、自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに、被害を受けた人々が一日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。
ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは、昭和34年、昭和天皇の名代として、伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。
今年も暮れようとしており、来年春の私の譲位の日も近づいてきています。
私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います。
第2次世界大戦後の国際社会は、東西の冷戦構造の下にありましたが、平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ、冷戦は終焉(しゅうえん)を迎え、これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。
しかしその後の世界の動きは、必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ、さらには、多数の難民が苦難の日々を送っていることに、心が痛みます。
以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。終戦を11歳で迎え、昭和27年、18歳の時に成年式、次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は国際社会への復帰を遂げ、次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年、英国のエリザベス二世女王陛下の戴冠(たいかん)式に参列し、その前後、半年余りにわたり諸外国を訪問しました。
それから65年の歳月が流れ、国民皆の努力によって、我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め、平和と繁栄を築いてきました。昭和28年に奄美群島の復帰が、昭和43年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。
そうした中で平成の時代に入り、戦後50年、60年、70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています。
そして、戦後60年にサイパン島を、戦後70年にパラオのペリリュー島を、更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。
次に心に残るのは災害のことです。平成3年の雲仙・普賢岳の噴火、平成5年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり、平成7年の阪神・淡路大震災、平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また、災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には、いつも心を打たれています。
障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも、私どもの大切な務めと思い、過ごしてきました。障害者のスポーツは、ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが、それを越えて、障害者自身がスポーツを楽しみ、さらに、それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います。
今年、我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね、その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら、各国を訪れた際には、できる限り会う機会を持ってきました。
そして近年、多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も、将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国から我が国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。また、外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め、各国との親善友好関係が進むことを願っています。
明年4月に結婚60年を迎えます。結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました。また、昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし、愛情深く3人の子供を育てました。振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来(じらい)この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。
天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労(ねぎら)いたく思います。
そして、来年春に私は譲位し、新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において、天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。
今年もあと僅(わず)かとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。
ホワイトハウスへの辺野古署名、目標の10万筆超える 18日午後3時すぎ、開始10日間で達成 さらに署名求める 米大統領へ「新基地止めて」
【速報】
ホワイトハウスへの請願署名、目標の10万筆超える 18日午後3時すぎ、開始10日間で達成
さらに署名求める
米大統領へ「新基地止めて」 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース