24-2-28 援農1015 何日も続いた強い北風が、ようやく収まってきた。
緑肥で畑を休ませる。
イギリスでは政権交代を起きやすくするため
— showbin (@yYsAGj0ff5oAvUN) February 22, 2024
野党にだけ交付金を支給。
民主主義にとって政権交代は必要。
長期政権は腐敗する。
いつでも取って代われる政党を育てておく必要がある。 pic.twitter.com/XPj6wtnhmw
24-2-24
小さな庭ではあるが、18年前の庭には約130種類の花木があった。無くなったもの、場所が変わったもの、増えたものがある。我が家の「庭師」はいつもこれらの花木と会話しているというから感心する。
花木の名前を覚えるために作り始めたこの配置図は、いつか作り直ししたい。
春の暖かい日、花の咲く庭で、ゆっくり旨いビールを飲みたいものだ。早く「普通の春」が来て欲しい。
【横浜市長選】田中康夫氏「横浜の方々の閉塞感に覆われた心の叫び」(2021年8月22日) https://t.co/NSBpukekta @YouTubeより
— shinnji-fan (@shinnji6) February 22, 2024
田中康夫さんは素晴らしい言葉を語っている。御母堂の言葉、なかにし礼さんの言葉。横浜市民はこの動画を是非とも見て欲しいと思います。
【横浜市長選】田中康夫氏「横浜の方々の閉塞感に覆われた心の叫び」(2021年8月22日) https://t.co/JFkT866W4K @YouTubeより
— tomoyuki1215 (@tomoyuki12151) February 22, 2024
田中康夫さんは「製造物責任」について語っています。現在の山中竹春の製造物責任は横浜市民全体の問題であって私も含めて反省しなければならないと思います。
朝の入浜式塩田(白浜) 昭和27年7月20日撮影
砂よせ作業(白浜) 昭和25年ごろ
吉良の塩田の歴史 | 吉良の塩田の歴史 |
西尾市塩田体験館 吉良饗庭塩の里 (aibajio.jp)より。
長野県の塩尻市をはじめ、塩竈(しおがま)市、塩原町、塩沢町、塩江町、塩田町といった市町村名から、塩付、鹿塩、塩津といった地域、あるいは八塩川、塩野川など、日本には塩の付く地名が各地にあります。 その多くが塩をつくるために海水を煮る竃(かま)があったり、岩塩が産出したり、あるいは塩の運搬などに関係していたことを伺わせます。塩の道と呼ばれるものも、日本中に張り巡らされています。 |
いまも残る塩に関係する地名 | |||
新潟県の日本海側に注ぐ姫川の河口に位置する糸魚川市。ここから長野県塩尻市方面へ、北アルプス沿いに千国(ちくに)街道と呼ばれる道が延びています。かつて、この道を経て、山国に塩が運ばれていたため、別名を「塩の道」と呼ばれ、街道の一部は人気の観光コースにもなっています。そして塩尻市は、塩が最終的に到達する地からきた地名であるともいわれています。しかし、塩尻市近辺へは、日本海側からのみ塩が運ばれていたわけではありません。太平洋側からも塩は運ばれました。信州へは北から南からの何本もの「塩の道」がありました。 住宅とビルが建ち並び、その間を高速道路が貫いています。高速道路下の国道にはたくさんのトラックが走っています。名古屋市南区は工場地帯ですが、ここの地名には浜田町、堤町、浜中町、荒浜町、大磯通、荒崎町、汐田町といった、海に関係がありそうな地名が残されています。さらに元塩町、塩屋町、千竃(ちがま)通といった地名も見られます。しかし、この辺りがかつて海であった形跡は全く見当たりません。江戸時代頃から干拓が行われ、いまでは海から遠く隔てられているからです。 千竃とは塩を煮詰める竃がたくさんあったという意味です。塩屋とはその作業を行う小屋という意味です。この辺りから北へ向かう道がありました。その道をたどっていくと、塩付通という名の道が残されています。さらに北へ向かうと、いまも飯田街道の名で呼ばれている道と交差しています。いずれの道も、かつて信州方面へ塩を運んでいた道です。 |
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海辺の吉良町から山の町へと続く道 | |
かつては、名古屋市南部の海岸だけでなく、名古屋の南に位置する知多半島や愛知県の三河湾に面した吉良町、一色町でも塩がつくられていました。吉良町は赤穂浪士の話で有名な吉良上野介の領地で「饗庭(あいば)塩」の名で呼ばれる良質な塩が生産されていました。ここでは昭和47年まで塩がつくられていました。吉良町でつくられた塩も各地へ運ばれました。舟に積み込まれた塩は三河湾に注ぐ矢作川を遡り、徳川家康生誕の地として有名な愛知県の岡崎へ運ばれ、一部の塩が下ろされました。岡崎は八丁味噌の生産でも全国的に知られています。味噌づくりに塩は欠かせません。味噌づくりなどに必要な量を下ろした塩は、さらに支流の巴川を進み、九久平(くぎゅうだいら)という川湊で荷下ろしされ馬の背に積み替えられました。この近辺の道は「吉良街道」「足助(あすけ)街道」「岡崎街道」など塩が運ばれた道がさまざまな名前で呼ばれています。一般に、街道の名称は目的地の名前をそのままかぶせて使われることがよくあります。例えば名古屋・岡崎間の街道は、名古屋からは「岡崎街道」、岡崎からは「名古屋街道」といった具合に呼ばれます。同じ名前の道であっても、地域によって別の道を指す場合もあります。その逆に、同じ一本の道であったとしても、区域ごとにいくつもの名前に別れて呼ばれる道もありました。 全国に、塩の道と呼ばれる道がたくさん残されています。いずれの道もその地域では、別の名前をもっています。塩が運ばれた道ということから名付けられたのですが、決して塩だけが運ばれた訳ではありません。ただ、塩の道の共通点は、海から山へと続く道がほとんどだということです。 |
塩の道を歩く
(古いSDカードを整理していたら、懐かしい写真が出てきたので、思い出しながらこの記事を編集した。)
出発地点は尾張・吉良町だ。先ずは信州・塩尻を目指す。この南塩ルートは約250Km。2012年(平成24年)/4/10のこと。
吉良上野介義央公が水害から領地領民守るために築いた黄金堤
ここから日本海糸魚川を目指す日本列島横断の旅が始まった。
「 ・塩の道の資料」のブログ記事一覧-地遊人 (goo.ne.jp)
「 ・塩の道資料」のブログ記事一覧-地遊人 (goo.ne.jp)
「 塩の道を歩く」のブログ記事一覧-地遊人 (goo.ne.jp)
低い投票率のせいでこうなっています。
— 松尾 貴史 (@Kitsch_Matsuo) February 21, 2024
投票の機運を醸成することに消極的なマスコミのせいでもあります。 https://t.co/44OLrLNfnW
『養育費』については、海外では国が当然に法整備をしている。
— 泉 房穂(いずみ ふさほ) (@izumi_akashi) February 20, 2024
「フランス」や「韓国」では、①養育費の立替も、②強制徴収(給料天引など)も、③罰則もある。「イギリス」や「アメリカ」では、①立替はないが、③罰則として、車の免許やパスポートの停止がある。日本も法整備をすべきだと切に願う。 https://t.co/fefjDp4wDW pic.twitter.com/LmVFDHahlt
「知らなかった」で逃げれなくなりましたね
— himuro (@himuro398) February 21, 2024
国税庁が国会議員に“納税手引書”を配布していた! 裏金は《「雑所得」で課税対象》と明記https://t.co/obRgUpogdr