「武田信玄(山の巻)」(新田次郎 ・文芸春秋刊)より
・・・信玄は病が重くなり、自らの天命を悟ると、重なる家臣たちを枕元に呼び寄8せて遺言した。それは次のような内容である。この身がこのようになることは、五年前から知っていたから、書き判を据えた用紙を七百枚ほど用意した。余が亡き後はその死を三年間隠して置き、公用書状にはこの紙を使用するがよい。余がまだ生きていると聞いたならば、諸国も手出しはしないだろう。・・・余の遺骸は具足をつけて諏訪の湖に沈めよ。(「甲陽軍艦」)
根羽宿は、武田信玄終焉の地といわれる。
歳五十三才で天正元年(1573)酉の四月十二日、三河・美濃・信濃三ヶ国の間、ねばねの上村と申す所にて御他界。(「甲陽軍艦」)
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