後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「我が人生(1)出生と幼児の頃のいろいろ」

2023年11月08日 | 日記・エッセイ・コラム
私の邯鄲の夢も終わりに近づきました。そこで我が人生を振り返っていろいろなことを総括した連載記事を書くことにしました。
私は昭和11年1月18日に父の秀弘と母のタエの子として仙台で生まれました。男だけの3人兄弟の長男でした。
当時の父は東北帝国大学の教授で母は宮城県立女子専門学校の教師でした。父の実家は兵庫県の山里の曹洞宗のお寺で母の父は宮城県の宮戸島の小学校の校長をしていました。両親は仕事が忙しかったのか幼い頃遊んでもらった記憶があまりありません。
家には2人の女中がいて私と2人の弟は女中に育てられました。女中に動物園に連れていかれたことが幼児の頃の楽しい思い出です。
幼児の頃に住んでいたところは郊外の向山でした。広瀬川の南側の高台でした。
ここで戦前の仙台や育った向山地区にある経ケ峰や愛宕山の写真をお送り致します。写真とともに幼児の頃のいろいろを書きました。

1番目の写真は戦前の仙台駅の風景です。右の方に客待ちの人力車が並んでいます。女中に抱かれて人力車に乗った記憶があります。タクシーには滅多に乗りませんでした。
2番目の写真は戦前の仙台の繁華街の東一番丁の風景です。子供の頃は用もないのにブラブラ歩いたものです。
3番目の写真は高台の青葉城跡から見た経ケ峰です。伊達政宗の霊廟の瑞鳳殿と瑞鳳寺があります。経ケ峰の手前の広場に昔は仙台動物園がありました。
4番目の写真は瑞鳳寺から霊廟の瑞鳳殿に登って行く石の階段です。
5番目の写真は瑞鳳寺です。昔は幼稚園も経営していました。私が通った幼稚園です。しかし3日目に辞めた幼稚園でした。2人の女中に甘やかされて育った私には厳し過ぎたのです。人生最初の挫折でした。
6番目の写真は愛宕山です。手前は広瀬川で愛宕山の向こう側に住んでいました。山頂の愛宕神社の祭礼は楽しい思い出です。
7番目の写真は仙台の広瀬川と 評定河原から見た経ケ峰(左)と青葉城跡(右)です。

さて今日は「我が人生」の(1)として出生と幼児の頃のいろいろを書きました。戦前の仙台の写真や育った向山地区にある経ケ峰や愛宕山の写真をお送り致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)