後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

秋愁、霞ヶ浦の秋風を想い、亡き友を偲ぶ

2016年09月17日 | 日記・エッセイ・コラム
来週は秋のお彼岸です。彼岸がすぎると秋が深まって行きます。
彼岸という言葉を見るとあの世に旅立った親、親類、恩人、友人のことを思い出します。もう此の世では2度と会えません。
そして朝夕が冷えてくると何となく心細くなります。そして悲しい空色のような思い出が湧き上がって来ます。
毎年、秋になると5年前まで楽しんでいた霞ヶ浦のヨットの風景を思い出します。秋空のしたで清涼な風を帆いっぱいに受けて走るヨットの光景です。

この写真は2010年の秋に撮ったヨットと秋の空の写真です。

ヨットの趣味は50歳の頃始めました。始めの2年ほどは江の島や葉山のマリーナから沖に出ました。
そして琵琶湖から小型クルーザー・Yamaha19を買い、霞ヶ浦マリーナへ陸送してきました。
霞ヶ浦マリーナは当時、「筑波水郷汽船株式会社」という古い名前の会社が経営していました。そのマリーナは経営者が変わり、最近は「ラクスマリーナ」という名前になっています。
私はすぐに茨城県の県庁の管理している係留場所へ船を移動し、そこに22年係留していました。
そして62歳の頃、少し大きなJoyrack 26を買いヨットを楽しんだものです。

しかしこの楽しかったヨットも体力の衰えで75歳で一切止めてしまいました。残念です。悲しいです。
悲しみはそれだけではありません。
猪苗代湖で何度もヨットに招待してくれた大学時代の友人が旅立ってしまったのです。
2010年の秋まで、一緒に私の艇でセイリングしたH君があっけなく消えてしまったのです。それはもう一度、霞ヶ浦に来る直前でした。下に2010年の秋に撮った写真を示します。

この写真の右側にH君が写っています。左側は同じく大学時代の友人のO君です。
O君とは相模湾を古い巡視艇で横断し、初島に一緒に泊まった思い出があります。
そしてH君とは猪苗代湖の花春カップ・レースに何度か出たことがあります。彼のヨットのキャビンは大きくて夜には一緒にビールを飲みます。窓の外の波の向こうには黒い磐梯山がそびえていました。
H君は私のヨットに来る時は毎回よく冷えたシャンパンの瓶を担いで来ました。シャンパンを美味しく飲むにはシャンパングラスが必要だと、そのグラスまで冷やして断熱バックに入れて持って来たものです。
そんな彼が2011年の秋にあっけなく亡くなりました。霞ヶ浦に来る直前でした。

来週は彼岸です。家内の実家の先祖の墓参りに行きます。そして自分の親、親類、恩人、H君などの友人の冥福をお寺のご本尊様に祈ってきます。全ての死者の冥福を祈ってきます。

下にもう3枚の霞ヶ浦の風景写真を示します。雲と水面の輝きの風景写真です。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)