後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

朝のドラマ「マッサン」とウイスキーの味

2015年02月11日 | 日記・エッセイ・コラム
ここ数日、プロテスタントのいろいろな宗派について調べて記事を書いていましたので疲れてしまいました。疲れただけでなく狂信的なカルト教団のようなものもありショックを受けました。でもその事は一切書きません。飲み込んで沈黙です。
そこで毎朝見ているドラマの「マッサン」について気楽な感想を書いてみたいと思います。
もっとも見ていると言っても本気で見ているのではなく昭和初期の町の風景や大道具、小道具などの家庭内の光景を懐かしく楽しんでいるのです。
今朝は主人公のマッサンが北海道の余市市にウイスキーの蒸留工場を建て、出来上がったウイスキーを始めて売り出す場面でした。
もう少し正確に書けば、 竹鶴政孝さんは1934年に北海道余市町でウイスキー製造のための、大日本果汁株式会社を立ち上げて、その代表取締役専務に就任しました。会社名は「大日本果汁」で最初はリンゴジュースを作っていたのです。
ウイスキーは1940年からで、「大日本果汁」の「日」「果」をとり、『ニッカウヰスキー』と命名しました。これが現在の社名に繋がっています。
今朝のドラマを見て二つ驚いたことがあります。
まずニッカウイスキーの発売が1940年だったことに一切ふれていません。1940年は日本の真珠湾攻撃の一年前です。世の中は大戦争の準備で緊迫していたのです。暢気にウイスキーなんか作っている人は国賊のように見られたはずです。そのような時代の雰囲気はドラマに一切出て来ません。こんな世の中にもかかわらずマッサンは初志を曲げなかったのです。このように描けばドラマに深みが出たはずです。
しかし朝のドラマはご婦人向けなのです。深刻な話は邪魔になります。日本人と結婚したリタ夫人がが困難にめげずに夫を支え、ウイスキーの製造に成功させるのです。気軽に楽しめるような内容なのです。
そしてもう一つ驚いたことはウイスキーの味が分からない多くのご婦人がたがこのドラマを楽しんでいるのです。現在スコットランドから続々と輸入されているウイスキーと国産のニッカウイスキーやサントリーとの味の大きな違いが判らないご婦人がたが見ているのです。
それなのにドラマの中では、スコッチとはじめに作ったニッカとは違うが、発売に踏み切ったニッカはスコッチの味になっていると言うのです。これには笑ってしまいました。
確かにニッカウイスキーは改良を重ね美味しくなりましたが、スコッチウイスキーとは違う味なのです。
スコッチはその土地の泥炭で原料の大麦を乾燥させるので香ばしい苦みが特徴なのです。ニッカにはそれが弱過ぎます。スコッチの混合(ブレンド)仕方は強い蒸留酒ながら爽やかな風味を出しています。ニッカは口当たりはまろやかですが切れ味の良い風味に欠けるのです。そして美味しく仕立てようといろいろ混ぜるらしく雑味が混じっているのです。日本人の好みに迎合したような味なのです。まさか醤油は入れていないと思いますが、何故か和風の味がほのかにするのです。余談ながらこの味の好みはソーセージ、ベーコン等にも共通した問題です。
毎朝、「マッサン」を見ているので義理を立てて「余市」という銘柄と「竹鶴」という銘柄を買って来て少しずつ毎晩飲みました。しかしそれよりも安価なスコッチウイスキーの方が美味しいのです。ニッカは2本飲んだので義理ははたしました。その後は何時ものようにスコッチウイスキーを飲んでいます。しかし人それぞれですからニッカの方が美味しいと言う人も沢山います。ニッカウイスキーのますますの隆盛を祈って終わりとします。
下に昨年の12月2日に撮ったニッカ余市工場の写真3枚とスコッチウイスキーと国産ウイスキーの写真2枚を掲載します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。 後藤和弘(藤山杜人)

上の写真がリタ夫人と政孝さん夫婦が住んでいた工場内にあった住宅です。

余市のニッカ工場は上の写真の正門をはいると大麦の麦芽の乾燥、発酵工場、蒸留工場、ウイスキーの熟成倉庫が並んでいます。熟成には5年、10年と長期間を要するので熟成のための倉庫群がえんえんと続いています。

上の写真のように熟成倉庫の中にはウイスキーの樽が幾つも整然と積み上げてあるだけです。



=========参考資料===============
(1)スコッチウイスキーの起源(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BCより抜粋)
大麦や小麦を発酵して蒸留する酒は世界中にあります。日本では麦焼酎です。ロシアではウオッカです。同じものがスコットランドで作られるとスコッチウイスキーになるのです。
大麦を原料にした蒸留酒の製法がスコットランドに伝わった時期は、遅くとも12世紀から13世紀にかけてという見解が有力です。製法の要の一つである蒸留技術はアイルランドからキリスト教とともに伝来したとされる。その原料の大麦をピートという泥炭で乾燥、燻蒸したのでウイスキーと呼ばれる蒸留酒になったのです。
スコットランドにおけるウイスキーに関する現存する最も古い記録は、1494年のスコットランド財務省の記録で、「修道士ジョン・コーに8ボルのモルトを与え、アクアヴィテ(aqua vitae)を造らしむ」という内容である。アクアヴィテはラテン語で「生命の水」という意味で、これをゲール語で表すと「ウシュクベーハ」(uisge beatha、ウシュクは水、ベーハは生命の意)となり、そこから「ウイスキー」という英語が生まれた。ウイスキーという単語に関する最古の記録は1736年にスコットランド人が書いた手紙で、1755年には英語辞典に登場しました。
(2)竹鶴政孝さんの1918年の渡英とその後の紆余曲折(http://1000nichi.blog73.fc2.com/blog-entry-5811.htmlより抜粋)
竹鶴家は地元の塩田の大地主として製塩業を営み、その傍ら酒造業も営んでいました。もともとお酒に縁の深い方でした。
竹鶴さんは大学も"大阪高等工業学校(現在の大阪大学工学部)の醸造学科"ということで、やはりお酒の道を行きます。
そして、卒業間際の1916年3月に当時洋酒業界の雄であった大阪市の摂津酒造 (摂津酒精醸造所) を訪ね入社"することになりました。
当時、"日本では欧米の模造品のウイスキーが作られていただけで純国産のウイスキーは作られていなかったそうです。そこで摂津酒造は純国産のウイスキー造りを始めることを計画。1918年、竹鶴は社長の阿部喜兵衛、常務の岩井喜一郎の命を受けて単身スコットランドに赴き、グラスゴー大学で有機化学と応用化学を学ぶことになりました。
 1920年11月、日本に帰国。帰郷後、摂津酒造はいよいよ純国産ウイスキーの製造を企画します。ところが、第一次世界大戦後の戦後恐慌によって資金調達ができなかったため計画は頓挫してしまいました。1922年には摂津酒造も退社。大阪の桃山中学(現:桃山学院高等学校)で教鞭を執り生徒に化学を教えるということで、お酒の世界からも離れることになりました。
(3)壽屋の鳥井信治郎氏との出会いと訣別(http://1000nichi.blog73.fc2.com/blog-entry-5811.htmlより抜粋)
1923年、大阪の洋酒製造販売業者寿屋(現在のサントリー)も"本格ウイスキーの国内製造を企画"。"社長の鳥井信治郎がスコットランドに適任者がいないか問い合わせ"ました。
 ここで「わざわざ呼び寄せなくても、日本には竹鶴という適任者がいるはずだ」という回答を得たため、竹鶴さんにお鉢が回ってきます。"スコットランドから呼び寄せる技師に払うつもりだった額と同じと言われる""年俸四千円という破格の給料で採用"することになりました。
1924年11月11日、山崎工場が竣工されます。"工場は社員は竹鶴のほかに事務員1名がいるのみの小さい工場"だったそうです。 
鳥井は最大限、竹鶴の好きなように製造をさせたが、金ばかりがかかって全く製品を出荷しない山崎工場は出資者らから問題にされ、鳥井はやむなくそれとなく発売を急ぐよう指示。出荷ができるほどに熟成した原酒は最初の年に仕込んだ1年分のみで、ブレンドで複雑な味の調整をすることができないため難色を示した竹鶴だが、それ以上出資者を待たせるわけにもいかないということも承知していたので、出荷に同意する。それが国産はじめてのウイスキー、『サントリー白札』で1929年4月に発売されたのです。ところが、これがさっぱりウケませんでした。
模造ウイスキーなどを飲みなれた当時の日本人にはあまり受け入れらなかったのです。
鳥井自身は竹鶴がスコッチにあまりにもこだわりすぎるのを疑問視していた節があるともされており、本格ウイスキーの国内製造を企画したとはいえ、あまりに本格すぎるものは望んでいなかったのかもしれません。
(4)有名でないスコッチの味
私は有名でないスコッチウイスキーのThe Claymore という銘柄をもっぱら飲んでいます。1890年創業の会社です。味がサッパリしていてくせのないスコッチです。700ccで890円です。味は同じスコッチのカティサークのように軽快です。年をとってくるとジョニ黒もオールドパーも味が重すぎます。
ニッカやサントリーもたまには飲みますが、香りがスコッチとは違うので、良い蒸留酒と割り切って楽しみます。そんなウイスキーの写真をお送りします。近所の業務用スーパーで撮って来ました。ニッカの余市という瓶(3799円)は美味しいです。
写真にある1099円のものはあまり有名ではありませんが、みな美味しいスコッチです。スコッチが国産のものより格安になったので隔世の感を深くします。昔は輸入税が大変高かったのです。外国に行くと重いのにスコッチを2本位買って持ち帰ったものでした。時代ですね。