後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

100%源泉かけ流し「しんとろの湯」

2014年07月27日 | 日記・エッセイ・コラム

日本には温泉が各地にあって、多くの人々が源泉かけ流しの湯を求めて旅をしています。湧き出す湯量がありあまるくらい豊富で、泉質の良い温泉に人気が集まります。

この7月14日に訪ねた「しんとろの湯」はまさしく93度の温泉が溢れるように湧き出ています。そして浴槽だけを設置した建物の中に入浴客が絶えません。

場所は東北地方の古川市と新庄市を結ぶ国道47号線に面して中山平温泉の郊外にあります。

この47号線には東から川渡温泉、鳴子温泉、中山平温泉、赤倉温泉、瀬見温泉と数多くの温泉が連なる温泉街道なのです。

この「しんとろの湯」では、人々が広大な駐車場に車を停め、温泉に浸かり、体も洗わずに又車に乗って次の温泉へ行くのです。文字通り老若男女、みんなが温泉マニアらしく、車を降りるとき、すでに半分洋服を脱ぎ、手拭と湯上りタオルを持って出て来ます。

それは不思議な光景です。こんなに多数の温泉マニアを見たのは久しぶりでした。

温泉文化が相変わらず伝承されているのです。そのような温泉マニアのために写真をお送りいたします。マニアなら必ず満足すると信じています。

詳しくは、http://spa.shintoro.com/ をご覧下さい。

Img_9320 

建物の裏に巨大な井戸があり、ゴボゴボと凄い音をたてて多量のお湯が沸き出しています。

Img_9323

湧き出す湯の温度が93度なので上の写真のように蓋の無い長い樋に流しながら冷まします。樋の長さは夏冬には調整します。

Img_9309

上の写真はおおきな浴槽だけがある建物です。休む部屋も小さく、食事も出ません。湯に入るだけです。東北地方の温泉では昔から石鹸を使って体を洗いません。

Img_9317

「しんとろの湯」の国道の向かい側にも源泉があり、個人の住宅に温泉を配っているようです。

それにしても東北地方には野趣あふれる温泉が数多くあります。夏の温泉を巡る旅もお薦めです。


信じなければ理解できない・・・多くの西洋人の共通な認識

2014年07月27日 | 日記・エッセイ・コラム

我々日本人は物理でも化学でも勉強すれば理解出来ると思っています。

そうです知識は勉強すれば理解出来るものです。

しかしお釈迦様の偉さは、お釈迦様を信じなければ実感的に深く理解出来ません。

例えば「色即是空」という言葉を知っている人は多いと思います。その意味をは、ご存じのように、「この世にある全ての物は空です」という意味です。

しかしこの意味を実感的に深く理解するためには、お釈迦様を信じなければいけません。

愛する家族が急に亡くなれば、だれでも虚しさを感じます。

このように感じることが理解するための第一歩なのです。しかし、お釈迦様への信仰が無ければ、虚しさを感じるこの第一歩だけで終わります。

しかし仏教を信じ、お釈迦様を信仰していると、この自分個人の「虚しさや空虚感」で「色即是空」という教えが普遍的な真理であることが理解出来るのです。

ですから、この世の真理を表わす文章を理解するためには「信ずること」が必要なのです。

多くの西洋人はイエス・キリストの人間へ対する愛を信じています。

信じているからキリストの偉大さが理解出来るのです。キリストへ対する信仰があれば、イエス様が行った数々の奇跡の意味が理解出来るのです。奇跡も信じられるのです。

はっきり言ってしまえば、キリストを信じなければ新約聖書の全ての文章の深い意味が理解出来ないのです。

キリストを信じない多くの日本人が新約聖書を読みます。聖書を教養として勉強します。

もちろん文章の表面的な意味は理解出来ます。しかしその文章が信仰のある個人にどのような働きかけをしているかは理解出来ないのです。

多くの西洋人は「信じなければ理解出来ない」ということを体験的に知っています。このように書く根拠があるのです。現在のローマ法王、フランシスコ教皇が最近出版した本、「信仰の光」の第二章、信じなければ、あなたがたは理解しない、に書いてあるからです。

さてそれでは信仰を持つためにはどうすれば良いのでしょうか?

それは宗教的訓練を行うことです。

お釈迦様への信仰を持つためには、お寺に参ります。お経をみんなで一緒に唱えます。仏式のお葬式に出席します。先祖の墓参りをして線香や花を供えます。亡くなった方へ功徳を供え冥福を祈ります。禅寺で座禅を組みます。そして出来たら永平寺などで修行の体験を重ねます。こういうことの全てが宗教的訓練なのです。

ただしこの宗教的訓練は一人で勝手にしては訓練になりません。必ずコーチ役の指導者が必要なのです。この宗教的訓練のことはもっと書きたいことがありますので、続編、「宗教的訓練の重要性」という記事で書いてみたいと思います。

下に挿絵代わりに花の写真を添えておきます。撮影は6月23日、京王フローラル・ガーデンでした。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

Img_8745

Img_8819

Img_8786