後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

十字架の道行きと14枚の絵の前での祈り

2012年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

四旬節の間の金曜日の夜に「十字架の道行き」の祈りがあります。

ローマ総督ピラトの死刑の判決の後、イエス様は重い十字架を背負わされ、刑場のゴルゴダの丘の上まで歩くのです。その道行きの間にいろいろな事がおきます。その出来事を14枚の絵画にしてカトリック教会の壁には必ず飾ってあります。

今夜7時からその14枚の絵の前に神父さまが立ってお祈りの先唱をしました。それに続けて信者一同がイエス様の苦しみを思い、イエス様への信仰の祈りを唱えたのです。

この祈りを終えると、いよいよ復活祭を迎える準備が進んだという気分になります。

この14枚の絵の全てを説明すると長すぎますので6枚についてだけ以下に説明いたします。6枚の写真は先程、カトリック小金井教会で撮って来ました。

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当時の死刑執行権は占領軍のローマ軍にしかありませんでした。そのローマ軍の命令で重い十字架を背負うのですが、あまりにも重いのでイエス様がころんでしまうのです。

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早く執行したいローマ兵がたまたま見物していたクレネの人のシモンという男に無理に十字架を持たせる場面です。左の男がシモンですが、彼は後にキリスト教の信者になります。

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シモンが背負ってくれたのでイエス様はまた元気になり十字架を再び背負って歩きます。汗が流れます。すると勇気のあるベロニカという女が汗を拭うようにと布を差し出します。イエス様は汗を拭います。そしてその布をまたベロニカへ返します。この写真はその場面です。「ベロニカの布」は後に有名な聖物になります。

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左のイエス様を十字架に釘で打ちつける前に、右のローマ兵が衣服を剥ぎ取っている場面です。そして上着は縫い目をほどいて4枚に分け、4人のローマ兵がぶんどりました。下半身の衣服は縫い目が無い1枚の布だったので、くじ引きをして1人のローマ兵が取りました。当時は衣服が貴重だったので死刑にする前に衣服を死刑執行人のローマ兵が取ったのです。

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十字架の上でイエス様が絶命した場面です。右下で女性が泣き悲しんでいます。

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絶命したイエス様を信者達が十字架から下ろし、横たえて、亜麻布をまいて墓へ葬る準備をしている場面です。この後、3日目に復活したイエス様が亜麻布を、丸めて捨てるのです。復活の重要な証拠になる亜麻布です。

重い十字架は全人類の罪の重さの象徴です。人々に代わって自分が背負い、苦しい道行きの果てに十字架の上で絶命するのです。神様の御意志に静かに従うのです。こうして自分を神へ捧げるのです。しかしイエス様は必ず復活し、人々を救うのです。

このような道行きの間の14の出来ごとを描いた絵や彫刻の前でイエス様の苦しみを思う出し、イエス様へお祈りするのが今夜の道行きの祈りでした。

この記事をお読み下さる皆様の平和をお祈りして来ました。後藤和弘


眺望絶佳な尾白の湯をご紹介いたします

2012年03月30日 | 写真

日帰り温泉の北杜市尾白の湯は眺めの良い場所にあります。甲斐駒岳、地蔵岳、八ヶ岳、金峯山が見えます。入浴料は700円で、露天風呂が2つに、内湯が4種類とサウナがあります。水曜日は定休日ですが、毎日10時から5時まで開いています。本州を横断しているフォッサマグマから湧いて来る温泉です。近辺を通る折があったら是非寄ってみて下さい。甲州街道20号線の白州の交差点から5分くらい入ったところにあります。詳しくは「尾白の湯」でご検索下さい。下に昨日行ったときの写真をお送りします。

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・入口の前に広い駐車場があり、寒い冬でも湯ざめがしません。

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・付属の広い食堂から見降ろした庭です。池や遊具があるのでいつも幼児が遊んでいます。

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・内湯の中で一番大きな湯船です。大きなガラスの外側には左右に露天風呂があります。

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・手前が透明な露天風呂で、その向こうに濃い赤い湯の露天風呂があります。赤い湯の方は源泉そのままで多量の鉱物質が溶けています。これと似た温泉は兵庫県の有馬温泉の赤湯だそうです。ドロドロとした感触の温泉はいかにも効能が強いように感じます。

露天風呂の向こうに雪がある山が見えますが、それが金峯山です。

館内はどこも良く掃除がされていて清潔です。機会があれば是非お寄りになって、温泉をお楽しみ下さい。(終り


小さな幸せを大切にして幸福になる(3)小さい清流を愛する幸せ

2012年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

小さい幸せを大切にし、それを幾つも持っていると大きな幸福になると私は信じています。ここで重要なことは、お金をあまり使わないことです。ほんの少しのお金で得られる「ささやかな幸せ」でなければいけません。

贅沢は大きな幸福には絶対つながりません。

私はささやかな幸せを幾つか持っていて、それらを大切にしています。その一つに山林の中の小屋の庭を流れる清流があります。1973年に山林の中の土地を買いに行った時、その清流がある場所を選んで買いました。格安の土地でしたが年中枯れない水が流れているのです。瞬間的に決断して、土地の代金をすぐに払いました。

岩魚も棲みついています。カエルもトンボの幼虫も棲みついています。その流れの水音が雑木林に木霊して美しく響いています。

その土地を探しに、小学校3年生の息子で2人で行きました。不動産業者が3ケ所の候補地を見せてくれました。最後に案内された所に小川があったのです。息子が喜びました。私もすっかり気に入りました。

すぐに6畳と4.5畳の2部屋の小屋を鉄筋コンクリートで作り、白いペンキで仕上げました。

それ以来、39年間、通っています。いつ行ってもこの清流が美しい水音で歓迎してくれます。小川の中の落ち葉や泥を流して綺麗な砂の川床にします。イノシシに荒らされた岸辺を整理します。小さな堰を作って岩魚が棲みやすくします。小さな橋をかけ向こう側にガーデン灯を一本だけ立てます。

自分の土地は小川の向こう側の5m位までです。でも小川は自分のものではありません。下流の水田農家のものです。水を汚さないように大切にしています。

この小川存在そのものが私を幸せにしています。小川を愛することが幸せを呼んでいます。ささやかな幸を感じるのです。

皆様もきっとささやかな幸せを幾つも持っていると信じています。その内容をお教え頂ければ嬉しく思います。

下に小川の写真をお送り致します。

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小屋の中から見た小川の写真です。

小川の堰のところにある赤いものは家内へのオミヤゲのバラの花束です。次の日帰るまで冷たい水に漬けておくのです。驚くべき格安な値段です。一束298円で国道ぞいの大型スーパーで何時も売っているバラの花束です。

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小川の中を掃除すると白い砂の川床になります。

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岩魚が棲みやすいように堰を作り、廣い池にしました。夕方になると木々の影が夕暮れの光でホノ暗く写ります。

これだけの小川の風景を39年間静かに眺めています。小川を大切にしています。愛しています。これも私の小さな幸せです。(続く)


素人の撮った写真は何故おもしろくない?、何故感動的でないか?

2012年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

近年、デジタルカメラが普及して誰でも鮮明で美しい写真が撮れるようになりました。その上、ブログを書いている人々も非常に増え、自分で撮った写真を掲載しています。その数多くの写真を見ると感動的なものが少ないのに気がつきます。

まあ、はっきり言えば面白くない写真が多いのです。写真そのものは鮮明で美しいのですが、興味が持てないのです。感動が伝ってきません。ようするに面白くないのです。

私自身も、皆様がご覧になって面白くない写真をこのブログに掲載してきました。膨大な数を掲載してきました。感動的な写真は無かったのではないかと思っています。

何故、素人の撮った写真はおもしろくないか?、何故感動的でないか?

その原因を昨日、写真を撮りまわりながら考えてみました。

思いついた原因は、写真に個人的な思い出や連想を入れるから、それが原因になっているのです。多くの人々の思い出は私の思い出と違います。私の連想には普遍性がありません。

ですから、素人の写真は結果的に「独りよがりの写真」にいなっているのです。他人が見て面白くもなんともないのです。

ブログは個人のものですから、それで良いのかも知れません。

しかしそれでは見て下さる方々へ申し訳ないと思います。そんな事を考えながら「面白くない写真」を下にお送りします。そして少しでも面白く感じて頂けるように数行の説明をつけました。皆様の豊かな想像力を加えて、お楽しみ頂けれな嬉しいかぎりです。

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この上下2枚の写真は清春白樺美術館の写真です。北を向いて撮った写真と、南を向いて撮った写真です。

大正時代から昭和初期に活躍した「白樺派」という一群の芸術家の絵画が多数展示してあります。

白樺派に興味の無い方々にとっては面白くもお可笑しくもない写真です。

私はこの美術館に家内と一緒に何度も行きました。その折の楽しかった思い出が詰まった写真です。ようするに独りよがりの写真なのです。

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次は白樺派美術館の近所にある農業用の溜め池の写真です。

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水面に枯れた葦とカラマツ林が写っています。静寂が感じられます。

しかしこのような風景はいたるところにあります。別に感動的な写真ではありません。しかし私は四季折々この溜め池の堤防の上から何度も写真を撮りました。昨年の秋にはカラマツの紅葉が池に写っている写真をこのブログにも掲載しました。

その折の楽しい思い出が詰まった写真です。

この貯水池を過ぎて「北の森ゴルフ倶楽部」の方へ行くと、下のような風景が広がっています。

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私は若い時から北海道の広い牧場とカラマツ林と大雪山連峰の風景に憧れていました。父親が札幌へ出張の折に買ってきた絵の図柄がそうだったのです。その絵は額に入っていて家の客間に常に掛けてありました。

ですから私にとってそれは憧れの風景になってしまったのです。その憧れの風景に似ているのです。何故か心楽しくなります。その上、この北の杜倶楽部のホテルにには家内と3回ほど泊りました。その思い出もつまった風景写真なのです。まさしく独りよがりの写真なのです。

次は上から順番に、甲斐駒岳とアサヨ峠と八ヶ岳の3枚の写真です。

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・山林の中の小屋の前の牧草地帯から見た風景がこの三枚の写真です。写真を撮っている私の背後では息子と3人の孫が元気にサッカーボールを蹴り合っています。それを背後に感じながら撮った写真です。私個人は楽しい思いをしながら撮った写真なので感動的な写真です。それこそ独りよがりの代表作です。

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上の八ヶ岳の手前の小さな山は「中山」といいます。家内と一緒に何度か登った山です。もう老齢で足が弱くなって登れなくなりました。ですからこそ私にとっては記念すべき写真なのです。しかし面白くも可笑しくもない独りよがりの写真ですね。

さて皆様は写真を撮る時、何を考えて撮っていらっしゃいますでしょうか?

何も考えないで美しいものを追求してる方々も多いと思います。それも立派な態度です。いろいろ考え過ぎるから、よくないのかも知れません。@@の考え休むに似たりと言いますから。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)