ドイツのロマンティッシュ街道に沿ってローテンブルグという小さな町があります。中世そのままの城壁に囲まれた小さな町です。赤い屋根の古い家々の間を石畳の細い路が迷路のように続いています。
1969年秋、このローテンブルグの町に、ドイツ語研修の為、3ケ月住んでいました。私が34歳の時です。家族を日本に残して行きましたので、久しぶりに気儘な独身生活を楽しむことが出来ました。
毎日、長い昼休みには城壁の上にある板敷きの歩廊を散歩します。高い城壁の上にある歩廊なので赤い屋根の家々が見降ろせます。城壁の外側は緑の牧場や麦畑が緩やかな起伏を繰り返して一面に広がっています。夜は毎晩のように古いワインレストランへ通いました。それは懐かしい我が青春の一こまです。
その時、どういういきさつか忘れましたが、22才のインド人のフェルナンデス君と大変親しくなりました。彼は物静かな若者でした。カトリックの信者でした。なんとなく彼と毎週ローテンブルグのカトリック教会へ通うようになったのです。
教会は中世のカトリック教会で、3ケ月間、毎週の日曜日のミサへ一緒に行きました。ミサの後は決まって傍のレストランでチキンの空揚げの昼食をとり別れました。宗教の話はしません。ただ「ヨーロッパを車で観光するときには、村々の教会へ入り、お祈りしなさい。ヨーロッパ人の宗教が理解できますよ」と言ったのが忘れられません。インド人にはキリスト教徒も多いと話していました。
このローテンブルグで知り合ったフェルナンデス君のお陰で私はカトリックの洗礼を受ける決心をしたのです。
後にシュツッツガルト市へ引っ越して家族が合流しました。週末には南ドイツやスイスへ車で遊びに行くようになりました。通り過ぎる村々の中心には広場があり、カトリック教会と新教のエバンジュリッシュ教会が向かい合って建っています。教会に静かに入り、お祈りして小銭を献金箱に入れて出て来ます。日本の観光地で神社・仏閣へお参りし、お賽銭を上げるのと一緒です。何も抵抗感がありません。
フランスでもスウェーデンでも教会に寄りました。有名な豪華な教会でなく、ひなびた小さい教会ほど味わい深いものです。出てくるわれわれを見る村人の目が微笑んでいます。「彼らアジア人も神様へ何かお祈りしてきたな。人間の悩みは大体同じだ」と思っているのかも知れません。それまでは、外国へ旅をすると、外国人がなんとなく恐くて緊張する癖があったのです。それが教会に寄るようになってから緊張は一切消えて、旅が急に楽しくなって来ました。
フェルナンデス君が興味津々で聞いた話は、江戸時代260年の禁教とそれに耐えた日本の隠れキリシタンのことでした。明治になり、フランスからやって来たプチジャン神父が浦上天主堂を建てた時、日本の信者が「私たちは神父さんが必ず戻ってくると260年間待っていました」と言ったという話に感動していました。
フェルナンデス君とはローテンブルグで別れてから一度も会っていません。その後の消息も分かりません。私は1971年に立川カトリック教会で塚本金明神父さんから洗礼を受けました。
インドには日本へキリスト教を伝えたザビエル神父の腕が保存してあります。
若くて痩せていたフェルナンデス君のことを、今でも良く思い出します。生涯忘れ得ぬ友人です。
想像もしなかった土地で、見知らぬインドの青年と友人になり、キリスト教の洗礼を受けたのです。人生の不可思議さを思うとき、フェルナンデス君との3ケ月だけの交友を思い出します。彼には終生感謝しています。不思議な体験を書いてみました。(終り)
(ローテンブルグの2枚の風景写真の出典は、Wikipedeaの「ローテンブルグ」の項目の記事です。)
Hanazonoさんのお父様、お兄様の御霊やすかれとお祈り申し上げます。
Hanazonoさんに、または藤山先生に、教えていただきたくコメントさせていただきます。藤山先生が反論の言葉もないということは、ご理解をされておられるのだと存じ、教えを請います。
Hanazonoさんにとって、そして多くの人々が、日本は住みにくい国だと言えるのは、日本の根本の大事なところが変わっていないということですが、根本の大事なところということが、抽象的で私には理解できません。60年以上観察し考えてこられたことであればこそ、是非とも解りやすく具体的にどういうことなのか、お聞きしたいと存じます。
「日本の現在のごたごたにしても、今まで問題意識をもって改善してさえおれば、もっとスムーズに処理できたと信じています。3月11日の大震災後に起きたいろいろな問題ももっともっと簡単に解決したのではないでしょうか?」
具体例をあげて教えていただけませんか。とくに3月11日以降の問題解決については、日本国民全員が、その簡単に解決する方法を知りたいと思います。
なでしことサムライブルー(男子サッカー)の格差に対するお怒りですが、お怒りの対象である日本というのは、日本国民をさしておられますか。そうであるならなでしこたちに、本当に申し訳なく思います。これほど酷い格差があることに思いも至りませんでした。Jリーグは見に行っても、女子リーグを見に行ったことはありません。なでしこに何の貢献もしてきませんでした。私は、日本サッカー協会を批判できません。
協会は遅まきながら、報奨金を5~6倍に引き上げるようです。それでも酷い格差ではありますが。
しかしながら、男子サッカーの歩んできた歴史に思いはせることなく怒りをぶつけられるのは、フェアとは思えません。サッカーをやっていた高校生のとき、国内最高峰である日本リーグを見に行ったことがあります。阪急西宮球場の外野グランドでした。銅メダルをとったメキシコオリンピックの4年後でもこんな状態でした。日本サッカーは、戦前以来長きにわたる苦節を経て、現在のJリーグとなったわけです。なでしこが、いきなり今のサムライブルーと同じ待遇だったとしたら今回の快挙はありえたでしょうか。また大和撫子の矜持として、男がJリーグや代表戦を通して稼いだお金を、回してもらうことをよしとするでしょうか、まず結果、そしてなでしこリーグを成功させてこそと、彼女たちは考えているのではないでしょうか、そのためW杯でメダルを取ることを目標、にドイツへ行ったのだと思います。凱旋記者会見で山郷選手が、素晴らしいコメントをしていました。「厳しい環境の中で、先輩方が築かれてきたことが、今回の優勝につながりました。」と。
仮定の話です。欧米では、地域のスポーツクラブが基本です。日本よりはるかに良い環境にあります。厳しい環境に見切りをつけて、欧米へ移住した選手がいるとします。欧米のクラブに移ったことが正解だったと思えるように精進することも、尊敬に値する行為だと、私は思います。しかし日本の厳しい環境の中、それをなんとか変えようとして努力する人のいることに思いをよせず、まだ変えられないのか、まだそんなことをしているのか、一事が万事だと批判すれば、批判した人の欧米での苦しかったであろうと想像する努力に対するリスペクトの気持ちは、失せると思われませんか。
EIUの決めるランキング1位を自慢されても、どう解釈申し上げていいのかわかりません。地震、津波、火山噴火、土石流、台風・・、日本が、白人の決める、住みたい国ランキングの上位に入るはずないではありませんか。
今、がんばろうニッポン・・と、日本を少しでも良くしようとする多くの日本人にいったい何をおっしゃりたくてランキングについて書かれたのでしょうか。
是非、根本の大事なところの意味と、いろいろな問題の簡単な解決法をレクチャーしてください。残りの人生、祖国のため、若い人のためほんの少しでも役に立ちたいと願って、すみにくい日本で、人生と格闘していくつもりです。
最後に「この国は、国民を守ってくれない・・・・。」について、100%共感します。例えば、拉致被害者に対して、私たち日本人は冷たすぎます。私も、ブルーリボンバッジをつけることしかできません。
蛇足です。グッドルーザーという言葉がありますが、なでしこの快挙が、かくも晴れ晴れしいのは、アメリカチーム、アメリカのファン、マスコミが、グッドルーザーであったことが大いなる原因のひとつと、藤山先生は思われませんか。投稿 石川雅一 | 2011/07/23 12:52
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