うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

川端康成ノコト

2005年06月16日 | ことばを巡る色色
それほど好きな本ではなくっても、時々、何度も何度も思い出してしまうことがある。
川端康成という、陰気くさいおじいさんが、私はあんまり好きではない。ノーベル賞までもらっている巨匠ではあるが、その半面スキャンダラスでもある。彼が自死したのはホテルの一室だったように記憶している。子どもの私にとっても、なんだか、隠しておくべき事のような気がしたものだ。某有名女優のひざ小僧をなめさせてくれと言っただの、男色だっただの、その名声とは裏腹なじめじめした部分が彼には付きまとう。こんな時代になって、川端康成を読む人は多くはないのではないか。昭和の文豪は、いつか文学史のものになりつつある。
中学高校といくつか、彼の小説を読んだ。彼の湿った部分が、私の湿った部分をじくじくと刺すようで、とても読み続けられなかった。
ある小説の中の主人公の男は、ある少女を好きになる。男は孤児で、気難しいやつだ。孤児で老人に育てられた川端その人であるといってもいい。男は幸せな家庭に育った少女に強くひかれながらも、結局は別離する。その理由を(孤独な私は明るい温かい人に憧れながらも、結局は自分の孤独と同じような境遇にある人としか生きていけないのです)と、言わせている。
ずーっと忘れているのだが、心のどこかから、この言葉が浮かび上がってくる。それは大抵、まったくかかわりのない状況でだ。
この小説を読んだとき、「私はけして男のようには考えない。自分の境遇と同じでない人を愛する!!」と強く思った。その頃の私は、孤児の川端同様、幸せでない境遇にいた。そこから抜け出したいと思っていた。そうして、川端を嫌いになった。でも、この言葉はふと後ろを振り返るとひっそりついてくる。その意味で川端は凄い小説家なのかもしれない。
こんな湿っぽい小説は最近はもう皆読まない。それはいいことなのか、よくないことなのか。

今日のオールドノリタケ。ピエロのフィギュア、ソルトアンドペッパーです。そこにはコルクを詰める穴、頭には調味料の出る穴があります。マークはjapanとしか入っていません。old-noritakeのセット物はどれかにだけnoritakeのマークが押され、残りはjapanのみのものも少なくありません。このような調味料セットの場合、大抵トレイにM-japan noritakeがついています。
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3 コメント

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伏線? (けんちゃん)
2005-06-25 07:51:03
高校まで、全く本を読まなかった私には、小説家の話がチンプンカンプンです。



けれど、「自分の境遇と同じでない人を愛する!!」っと思ったことはあります。



またまた、けれど一緒に生活する人は、同じ現象を同様に感動する、いわゆる価値観の似通った人でないと難しいとも思います。



結局境遇が似てくるのかな。数多くの見合い経験で脳裏にあったのは全世界のすべての女性と機会を持たなくてはもったいないの精神でした。



後半は、生涯の伴侶とすべき人は、同じ環境、境遇で幼少期を過ごした人なんだと落ち着いてきました。別に死ぬまで一緒の人と生活する必要はないと思いますがね。人間が作ったルールですから。



読み返してみて『empty warning(残量警告) 』への伏線だったと勝手に気づきました。

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伏線 (家主うさと)
2005-06-25 14:07:19
けんちゃん、川端康成記事にも、おいでくださりありがとう。これは伏線ではないんですが、私の考えの低層に流れるものかもしれません。今、あえて、川端康成も面白いかもしれません。一度、読んでみてください。
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無理ですね。 (けんちゃん)
2005-06-26 01:18:36
うさとさん他のブログを読むだけで精一杯ですから。
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