トリCのブログ

ジャンル問わず現場に近いスタンスで書いていきます

韓国のトラウマ

2019-08-31 15:19:51 | 政治

世界各国、インパクトのあった事件は、それぞれ別だ。日本にとっての、戦争と言えば、世界大戦が最後となるが、ベトナムであれば、独立戦争(南北戦争)だし、アメリカなどは、頻繁過ぎて全部覚えていない。


そのアメリカからすれば、日本と戦った戦争は、十数回前の戦争だったわけで、あの国の歴史の短さ(240年程度)から言えば、80年前の戦争は、既に国家成立から1/3も時が過ぎているのだ。


日本という国が出来て、(神話を無視すればだが)おおよそ1500年は経っている。日本建国からの1/3前と言えば、戦国時代なのだから、アメリカからすれば、日本との戦争は、信長あたりのはるか前の大戦だと言えるだろう。


日本が、アメリカとの戦争に負けたのは、国力から言っても当然なのだが、原因は他にある。明治維新前、黒船が来航し、海のどこからでも、場所を変えて、城に大砲が飛んでくる、という当時の人からすれば、とんでもないトラウマが、ずっと残っていた点だ。


今で言う、弾道核ミサイルみたいなもので、日本のどこにいても安心出来ない、というトラウマは、そうして日本を海軍大国、巨大戦艦の大砲主義に向かわせ、無駄なポイントに戦力とお金を割り振る方針に向かわせてしまった。


現代に話を戻すと、北朝鮮の弾道ミサイルは、脅威となる。ついでに、北との統一を目指す文政権も、黒船に燃料を嬉々として補給する港の首領の様なものだ。しかし、燃料提供側から、言えば、上客に対して誠意を尽くすのは当然、むしろ、あんたらは、こちらにそれ以上のどういうメリットを提供してくれるのか?という話だ。


これが現在の日韓関係をこじらせる。韓国側は、南北統一で日本よりも国力が上回る、と信じている人々が、北を懐柔して日本を邪険にする。ついでにこういう人たちは、北は同じ民族なのだから、GSOMIAの様な協定がなくとも、自分の領域には、絶対に核は撃ってこない、という確信もある。こういう視点だから、日本の言う安全保障は、いかにも日本だけを重んじ、自分たちを利用している、と映る。


個人的な、将来を見越したことを言えば、半島には、経済も文化も近づいてはいけない、という確信はある。学生時代に、こいつは暴力団まっしぐらだよなぁ、という人間が近くにいたとして、話せば良い人だ、周りは分かってない、と言って親身になる人がいる。これは対象の人物の救済というよりも、本人の道徳的こだわりだ。こういうこだわりは、選択肢を狭め、結果として、良い方向に結論は出ない。日韓を元のずぶずぶでぐだぐだな関係に戻したい人々は、何らかのこだわりがあり、それは、周辺の人間にとっては、かえって害悪になる可能性が、高い。

 

さて、再び明治維新に遡ったとして、黒船が脅威だから、それに対抗する船(最終的に大和や武蔵)を作ったのは、正解だったのか、と。黒船の大砲は日本全土を壊滅させることは出来るわけがない。若干の死傷者とせいぜい城の周囲に穴ぼこが出来る程度だ。それでも脅威だ、脅威だ、と時の新政府が強調したのは、そういう方向に日本を持っていきたかった、という要素が強い。外部のインパクトを利用し、自国の道筋を決めたかったのは、理解するが、明治維新から80年経って、黒船の脅威対策を延々と続けた結果、時代にマッチせず、一度日本を滅ぼすことになった。


世界各国の大事件は、その国の道筋を決定づける要因になる。そしてそのインパクトが忘れ去られず、延々とそのこだわりを持ち続ければ、結果、国の自殺行為に繋がる。


現代の日本の場合であれば、無抵抗反戦思想や反原発は、戦争に負けた、ついでに原爆も落とされたインパクトを75年近くこだわり続けているわけで、政府までこれに毒されていたら、再び国を亡ぼす要因になったと思える。


となりの韓国のこだわりは、祖国統一と歴史まで改ざんして作り上げた反日思想だ。このこだわりは70年近く経過して、危ない傾向が経済にまで表れている。自国の事は分かりにくくても、さすがに韓国のあの異常行動を海のこちらから眺めていれば、古いこだわりは、非常に危険だ、と分かるのではないだろうか。

 

何か大きな事件は、政治が動きやすい。有権者の同意を得られやすい上に、時代の空気が、反論を許さないからだ。


日韓関係は、韓国のこだわりが、マイナスに働き、本人たちですら止められない。結果として、周辺国から孤立した韓国は、北朝鮮と不利な条件で統一を模索する事になるだろうが、苦汁を味わうだろう国民は、祖国統一という言葉自体がトラウマになり、100年近く次なる国家を言葉が縛ることになる。


日本の場合は、いいかげん憲法を更新したいが、憲法を変えると戦争になる、というこだわりのある人々が、まだまだ生存しているので、もう少し後になるだろう。


超少数派の、私はここにいる作戦

2019-08-05 23:35:39 | 指定なし

芸術は、吉本のお笑いと同じで、圧倒的多数は売れない。そういう人の心理は、売れている=権力側に媚びているから、と思いたい。それを口で言うとかっこ悪いので、作品で民衆に媚びてないアピールをする。

美術展などで、当時物議を醸した、と注釈が入っていれば、その当時の民衆レッドラインが、ああ、当時の社会では、ここが常識の外なのか、と分かる。同時に当時の一番人気の作品は、何を基準にバカ受けしたのか、はその前の時代の常識に慣れ切った上で見ないと理解しにくい。


愛知の芸術祭は、売れない芸人の社会に対する「俺は媚びてない作品」だが、それだけの様に見える。もっとも、目的は最初から、社会の無理解によって、お蔵入りになった私ってばゴッホっぽい!?、的な立ち位置を模索していた様だから、作品の表現力が幼稚だし、切り口も古い。

天皇や慰安婦というブランドを抜けば、クラスで一番美術の得意な奴でも作れそう。で、こういうのは、基本いくらでも公開する事で、中身の実力がないので、そのうち飽きる。

物議を醸した作品も何作も出れば、それは単なるゴミとなる。中国の抗日ドラマなどは中国の兵士が剣を一振りすれば、日本兵が100人ほど真っ二つになる”問題作”だが、慣れちゃって誰も見ない。表現の自由の末路。