Do be Ambitious! 日記館

あくまでも「Do be Ambitious!」の1コンテンツとして。

の日記3月15日「原田雅彦選手引退のニュースに衝撃」

2006年03月16日 | スキー・ジャンプ
こんばんは、野々村です。

僕が大好きなスキージャンプもシーズン終盤、このころになると今季限りで引退する選手
の名前がチラホラし始めますが・・・今日発表された2人は衝撃でした。
二人とも僕がジャンプに興味を持って以降の日本ジャンプ界を引っ張ってきた名選手
ですから・・・・特に2人目は僕が世界で一番大好きな選手でした・・・

一人目は宮平秀治選手(ミズノ)、99年ラムサウ世界ノルディックでメダル3つを獲得
し、この年はプラニツァのフライングヒルでW杯唯一の勝利を挙げました。
そして二人目は・・・
長年に渡って日本ジャンプ界を引っ張ってきて、5度の五輪に出場、リレハンメルでの
失速から長野の歓喜の涙、トリノの失格、幾度とないスランプと復活、その笑顔と人柄
から日本中だけでなく世界中のジャンプファンから愛されてきた原田雅彦選手(雪印)
です・・

宮平選手の引退、僕は彼の栄光時代を知っていたし、冬季開幕戦のピヤシリで勝ち、
トリノ五輪代表に選ばれなかったとはいえ宮様のラージヒルで成年組2位、来年の世界
ノルディックの代表の可能性もありました。
何より技術的にはまだ一線級だと知っています。それだけに残念でなりません。
【道新記事:ジャンプの宮平が引退 ソルトレーク五輪代表  2006/03/15 14:04】

そして何よりショックなのが原田選手の引退です。
原田選手は01年頃から生涯現役を目標に掲げるような発言が目立っていました。
「やめられない」「100歳まで飛びたい」「引退しません」「生涯現役」
「年金もらっても飛び続けたい、年金ジャンパー!」「ずーっと飛びます」
「やめる理由がないんですよ」などなど・・
トリノから帰ってきたあとも「来年の札幌もバンクーバーもその次もそのまた次も出たい」
と言っていましたし、まだ当分原田さんの引退はあり得ないだろうなと妙に安心し今後の
活躍に期待していたのですが、まさかそのすぐあとにこのようなことを聞くことになろう
とは・・・今はショックを隠し切れません・・・何よりいまだに信じられません・・
20日(月)に記者会見を開くそうですが、その内容が気になります・・・
「お疲れさま」とは、まだ言えません。20日の会見を待って、その上で伊藤杯
ファイナルのときに言うことになるかも知れませんが・・・
この原田選手の引退に関して、明日からしばらく毎日特集記事を入れていこうと思います。
僕が原田選手のことを知ってからの彼の思い出などを・・・
【道新記事:ジャンプの原田選手、今季限りで引退へ  2006/03/15 14:01】
【ジャンプ雪印 - チーム雪印ニュース 原田雅彦選手現役引退に関するお知らせ】
【ジャンプの原田が引退 ~ 20日に札幌市で記者会見(北海道日刊スポーツ)】
【<ジャンプ>原田が今季限りで現役引退へ 関係者に伝える (毎日新聞)】
【原田今季限りで引退、指導者に(スポーツニッポン)】

この2選手が世界選手権で同時に表彰台に立ったことがあります。
1999年、オーストリアのラムサウで行われた世界選手権のノーマルヒルで、日本が
1位船木和喜選手(当時デサント)、2位宮平選手、3位原田選手とメダルを独占したときです。
この時はナイタージャンプで、日本時間は何と朝4時半というど深夜、まだ中1だった
僕は放送開始少し前に目覚ましをかけて根性で起きて中継を生で見たのを覚えています。
試合は1本目、原田選手が最長不倒の98mを飛ぶもテレマークは入らず、宮平選手と
船木選手がきっちり飛んで3位にシュミット(ドイツ)をはさんで1,2,4位を占めて
いました。そして2本目、シュミットが失敗したこともありましたが、3人ともしっかり
自分のジャンプをして表彰台を独占しました。
その日の夕刊にその記事がデカデカと載り、3ヶ所にあった記事は全て切り抜いて保存
してあります。下のは、その時1面に載っていた写真です。
1999年2月27日、土曜日のことでした。


実は僕、この両選手からサインをもらっています。
それが下の写真。左が原田選手、右が宮平選手のものです。

原田選手にはこのほかにも何度かサインを頂いたのですが(ぉぃ)、これは初めて頂いた
ときのものです。
あれは98年の4月だったと思います。長野五輪で大活躍をした原田選手が地元上川町で
サイン会と祝賀会を行うというので月曜日だというのに入学したばっかりの中学校の授業
が終わるとすぐに家に飛んで帰り、母を説得して車で1時間かけて上川まで連れて行って
もらいました。
さらに会場では1000人近く並んだ状態で一向に順番が来ず、しかも色紙を忘れて
大慌て!だけどその時近くで並んでいた女性が1枚わけてくれたのです。
あの時の方には8年経ったいまでも感謝しています。ありがとうございました(^^
ちなみにこの時には帽子の裏にもしていただき、その帽子は実は今でも愛用しています。

宮平選手には名寄ピヤシリの大会で頂きました。2000年のサマーだったかな?
ちょうどその前のシーズンに先の世界選手権など大ブレークした年でした。
懐かしいなぁ・・



2人の最後のジャンプは25日の大倉山での伊藤杯ファイナルです。
ナイタージャンプということもあり行くのは厳しいですが、行けるのなら絶対に
行きたいです。テレビ中継すらない大会ですから・・・

最新の画像もっと見る

コメントを投稿