瀬崎祐の本棚

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詩集「歯車vs丙午」  疋田龍乃介  (2012/10)  思潮社

2012-12-15 14:17:01 | 詩集
 第1詩集。95頁に16編が収められている。四元康祐、渡辺玄英、川口晴美の、いずれも的確で読み応えのある栞が付いている。
 疋田の作品は、一言で言ってしまえばラップである。身体を本能的に支配する言葉のリズム感がある。言葉は、そのリズムに乗って繰り出されている。だからときとして理屈を超越した言葉遊びが何の違和感もなく挟み込まれる。驚くほどに正確なリズムが刻まれているために、違和感がないのだ。理屈は乱れても、リズムは崩れない。これが疋田の作品を著しくおもしろくしている。

   ひもとくよ
   系譜にてらさせて
   ふるふいの丘まえで
   ほざく大豆はひぐまの
   指のさきさ
   さきそらさっさ
   ゆでられて順にはべる
   白乳のからでできたうつわよ
   おあまえも系譜にはいれるから
   ひじで隠れていたおからのからい
   からくやける豆腐の蒸気する
   先祖のあじからひもとくよ
                  (「豆腐系譜」より冒頭部分)

 誤解を恐れずに言えば、言葉の意味の前に言葉のリズムがあるといってもいい。こういった成立をみたときに、言葉を選び出してくる感性が尖っていなければ、凡庸な言葉の羅列となってしまうのだが、疋田の作品は次々に繰り出される言葉が愉しいイメージを形作っていく。並の感性ではない。
 たとえば「百脚御殿」。ここに展開されるのは”百足”ではなく、人間の脚百本なのだ。それが御殿のいたる所から生えているのだ。庭から飛び出て、湯飲みからも生え、天井もでかい脚でびっしりなのだ。ついには

   一本でも百脚だよ
   日本三景の百脚だよ
   夜桜の光あびて冷える
   資本の最果てすら百脚だよ

となるのだ。詩には理屈も教条も不要なのだ。
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