「薔薇園にて(Ⅱ)」山口賀代子。
薔薇園の薔薇の根元に埋めたもの、それは「おもいだしたくないこと」。それは、恥や酷い仕打ちや欺瞞だったらしいのだ。でも、もう埋めてしまったからわたしはそんなことは覚えていないのだ。埋めてしまえばわたしは忘れたことにできるのだ。埋めるという行為はそのためにある。
いくつかのできごとをわたしは忘れている
あるいはなまなましく記憶している
なまなましい記憶はいずれ薔薇の養分として吸収され
花咲かせるだろう
たとえ記憶していても、埋められてしまったからには、記憶はもうわたしの中では記憶ではないのだ。私はこれで決着をつけるつもりでいたのだが、この作品の面白さはその先にある。
かりに忘れられてしまったはずのものたちが
どこかで
記憶をおもいださせようと企んでいるのだとしたら
陰蔽されたことを恨んでいるのだとしたら
たとえそれが誰かの悪意であっても
掘りおこされ おもいだされることを待っているのだとしたら
ここで意志を持ったのはわたしではなく、埋められたものたちだ。埋められたものたちはわたしから切り離されたがゆえに、もういくらわたしが忘れたふりをしても、薔薇園で息をひそめて蘇るときを待っているのだろう。
もちろん薔薇園はわたしの中にあるのだろうし、わたしはいつまでも薔薇園を見まわらなければならないわけだ。わだかまっている気持ちの有り様が巧みなイメージで構築されている。
薔薇園の薔薇の根元に埋めたもの、それは「おもいだしたくないこと」。それは、恥や酷い仕打ちや欺瞞だったらしいのだ。でも、もう埋めてしまったからわたしはそんなことは覚えていないのだ。埋めてしまえばわたしは忘れたことにできるのだ。埋めるという行為はそのためにある。
いくつかのできごとをわたしは忘れている
あるいはなまなましく記憶している
なまなましい記憶はいずれ薔薇の養分として吸収され
花咲かせるだろう
たとえ記憶していても、埋められてしまったからには、記憶はもうわたしの中では記憶ではないのだ。私はこれで決着をつけるつもりでいたのだが、この作品の面白さはその先にある。
かりに忘れられてしまったはずのものたちが
どこかで
記憶をおもいださせようと企んでいるのだとしたら
陰蔽されたことを恨んでいるのだとしたら
たとえそれが誰かの悪意であっても
掘りおこされ おもいだされることを待っているのだとしたら
ここで意志を持ったのはわたしではなく、埋められたものたちだ。埋められたものたちはわたしから切り離されたがゆえに、もういくらわたしが忘れたふりをしても、薔薇園で息をひそめて蘇るときを待っているのだろう。
もちろん薔薇園はわたしの中にあるのだろうし、わたしはいつまでも薔薇園を見まわらなければならないわけだ。わだかまっている気持ちの有り様が巧みなイメージで構築されている。