第8詩集。オンデマンドで発行されており、153頁に72編を載せる。
作品タイトルはすべて漢字一文字で揃えられており、さらにすべての作品は20行で書かれ、見開き2頁に収まっている。これらの作品は今年1月からの6ヶ月間で書きあげられている。
「管」は、「たったひとりだけ/とおいせかいからの/ひかりをうけている者が/きれいだとよばれる」とはじまる。
作品のなかでは時間が動くことはほとんどない。作品は今だけを捉えており、それは作者の今が析出しているともいえる。物語は過去に寄りかかることはなく、また未来にもたれることもない。ただこの時に佇んでおり、そういった意味では作品世界の描かれ方は短歌的といえるかもしれない。
きれいなはだのさだめは
さきゆきからぬれそぼって
いまの迂遠をしるすのみ
きっとにぶらねばならない
「穴」では、日記にうるむところを見つけている。「おぼえのないひとの/おぼえのない手あしが」きらきらと反り、「しきさいにながれ」て「かたちがずれてにじ」んでいるのだ。
しめりおえたわらいを
みずから頬にうすくぬり
こもれびをおりていたなら
うるむ場所もわたしのなした
たにんの容器の穴だろう
個々の作品というよりも詩集としての総体に圧倒されてしまう。これだけのたゆたうような言葉に身をまかせていると、日常生活が言葉で埋もれていくのではないかとさえ思える。しかし、すべての作品を20行で書ききるといった制約を自らに課しているように、そこには自分の言葉を厳しく律しているものがあるのだろう。
作品タイトルはすべて漢字一文字で揃えられており、さらにすべての作品は20行で書かれ、見開き2頁に収まっている。これらの作品は今年1月からの6ヶ月間で書きあげられている。
「管」は、「たったひとりだけ/とおいせかいからの/ひかりをうけている者が/きれいだとよばれる」とはじまる。
作品のなかでは時間が動くことはほとんどない。作品は今だけを捉えており、それは作者の今が析出しているともいえる。物語は過去に寄りかかることはなく、また未来にもたれることもない。ただこの時に佇んでおり、そういった意味では作品世界の描かれ方は短歌的といえるかもしれない。
きれいなはだのさだめは
さきゆきからぬれそぼって
いまの迂遠をしるすのみ
きっとにぶらねばならない
「穴」では、日記にうるむところを見つけている。「おぼえのないひとの/おぼえのない手あしが」きらきらと反り、「しきさいにながれ」て「かたちがずれてにじ」んでいるのだ。
しめりおえたわらいを
みずから頬にうすくぬり
こもれびをおりていたなら
うるむ場所もわたしのなした
たにんの容器の穴だろう
個々の作品というよりも詩集としての総体に圧倒されてしまう。これだけのたゆたうような言葉に身をまかせていると、日常生活が言葉で埋もれていくのではないかとさえ思える。しかし、すべての作品を20行で書ききるといった制約を自らに課しているように、そこには自分の言葉を厳しく律しているものがあるのだろう。