ほぼ正方形の判型91頁。
横書きで、左頁に日本語で書かれた作品、右頁にはフランス語で書かれた作品が対のように印刷されている。あとがきのような部分を読むと、作品はまずフランス語で書かれたようだ。そして「日本語をフランス語の訳としてではなく、別の詩編として添えてみました」とのこと。私(瀬崎)はフランス語を読むことはできないので、二つの言語の作品の関与の有り様については評価不能だった。日本語の部分だけを読んだ。
作品はすべて1行20文字の散文型で、Ⅰでは1頁にぴったりとおさまる11行、Ⅱでは1編が22行、残りは13~15行の矩形に印字されている。
「夏」。どの作品も基本的に独白体であり、句読点なしに印字されている。そのために息苦しさのようなものも伝えてくる。それは独白する話者の息苦しさである。
(略) でも彼を探す
ことは昔のことでもう今は新たな飛行のはじ
まり決して動き回ってはだめ待って待ってあ
なたの彼の飛行機の便はもっと後だからわた
しはどこどうしてここにわたしはいて夏だわ
周りの情景はまったく目に入らず、ただ自分の関心事だけが世界を構築しているようだ。そうやって記載した世界が話者を周囲から隠してくれることを無意識のうちに意図しているようだ。頁を繰るにしたがって、読む者もまた周りから隔絶されていく。
「きょうはねかせて」。完全に混乱して、いかれているわたしは、何度も会いたがっている彼とはもう限界なの、とつぶやいている。
(略) きょうは誘わ
ないでね夢の中にもこないのよあなたはわた
しを呼ぶときまるでたくさんの石を投げるよ
うあるいはあなたって男だったり女だったり
色々な物に着替えるのねもうわたし慣れたわ
理屈もなにもない、この捉えどころのない感情の波が意外に心地よく感じられてくる。眠気の中の感情は醒めているようで、それでいてとても甘い。毒のようだ。
横書きで、左頁に日本語で書かれた作品、右頁にはフランス語で書かれた作品が対のように印刷されている。あとがきのような部分を読むと、作品はまずフランス語で書かれたようだ。そして「日本語をフランス語の訳としてではなく、別の詩編として添えてみました」とのこと。私(瀬崎)はフランス語を読むことはできないので、二つの言語の作品の関与の有り様については評価不能だった。日本語の部分だけを読んだ。
作品はすべて1行20文字の散文型で、Ⅰでは1頁にぴったりとおさまる11行、Ⅱでは1編が22行、残りは13~15行の矩形に印字されている。
「夏」。どの作品も基本的に独白体であり、句読点なしに印字されている。そのために息苦しさのようなものも伝えてくる。それは独白する話者の息苦しさである。
(略) でも彼を探す
ことは昔のことでもう今は新たな飛行のはじ
まり決して動き回ってはだめ待って待ってあ
なたの彼の飛行機の便はもっと後だからわた
しはどこどうしてここにわたしはいて夏だわ
周りの情景はまったく目に入らず、ただ自分の関心事だけが世界を構築しているようだ。そうやって記載した世界が話者を周囲から隠してくれることを無意識のうちに意図しているようだ。頁を繰るにしたがって、読む者もまた周りから隔絶されていく。
「きょうはねかせて」。完全に混乱して、いかれているわたしは、何度も会いたがっている彼とはもう限界なの、とつぶやいている。
(略) きょうは誘わ
ないでね夢の中にもこないのよあなたはわた
しを呼ぶときまるでたくさんの石を投げるよ
うあるいはあなたって男だったり女だったり
色々な物に着替えるのねもうわたし慣れたわ
理屈もなにもない、この捉えどころのない感情の波が意外に心地よく感じられてくる。眠気の中の感情は醒めているようで、それでいてとても甘い。毒のようだ。