第8詩集。111頁に26編を収める。あとがきによれば、小さな民俗資料館に通いつめて書いた作品とのこと。
農作業をはじめとして自然と向き合って暮らしていく生活の行為が作品の題材となっている。しかし、それは単に行為の形をたどるのではなく、その行為が孕んでいる物語のようなもののところへまで降りてゆく。
「田下駄」は、前夜から水を掛けてやわらかくなった田に踏み入る作品。田下駄を履いた足は危うい深さで止まるのだろう。そして話者は「蓑笠で貌を隠し/これまで 受け継いできたものを/しずかに水に浮かしている」のだ。伝統でつながってきた土地、その地でおこなっている作業が話者の存在を薄くしているのかもしれない。この地でこの作業をおこなっている自分は、どこまでが今の自分なのか、そんな疑問にとらわれるのかもしれない。最終部分は、
少しずつ底に落ち
溶けるじぶんの
翳が
泥土に馴染んで
底深く沈んでいく
「木屑」。木を挽くという行為はあるものの命を奪うことであるだろう。粗挽き鋸の動きにつれて吐き出される木屑はその目に見える形でもあるのだろう。木が倒れる時、「悲しみが いま/谷を転がっていく」のだ。
親指ほどの深い欠落を
鋸の刃はようやく見せ
頑なな腕に挽きまわされたときの
血を宿し 流した森にきしむ声が還るのを知る
馬に引かせた鋤で土を耕し、鋸で木を切り倒す。土、木、そして土器、錆びた鉄器、石などが話者の世界を形作る。それらと向き合っていると、農作業に関係した事柄や行為が、その根のところで人の生きることの行為そのものであることがわかってくる。というよりも、人が生きるということはそういった行為をなぞることだったのだ。そういうことだったのだ。
農作業をはじめとして自然と向き合って暮らしていく生活の行為が作品の題材となっている。しかし、それは単に行為の形をたどるのではなく、その行為が孕んでいる物語のようなもののところへまで降りてゆく。
「田下駄」は、前夜から水を掛けてやわらかくなった田に踏み入る作品。田下駄を履いた足は危うい深さで止まるのだろう。そして話者は「蓑笠で貌を隠し/これまで 受け継いできたものを/しずかに水に浮かしている」のだ。伝統でつながってきた土地、その地でおこなっている作業が話者の存在を薄くしているのかもしれない。この地でこの作業をおこなっている自分は、どこまでが今の自分なのか、そんな疑問にとらわれるのかもしれない。最終部分は、
少しずつ底に落ち
溶けるじぶんの
翳が
泥土に馴染んで
底深く沈んでいく
「木屑」。木を挽くという行為はあるものの命を奪うことであるだろう。粗挽き鋸の動きにつれて吐き出される木屑はその目に見える形でもあるのだろう。木が倒れる時、「悲しみが いま/谷を転がっていく」のだ。
親指ほどの深い欠落を
鋸の刃はようやく見せ
頑なな腕に挽きまわされたときの
血を宿し 流した森にきしむ声が還るのを知る
馬に引かせた鋤で土を耕し、鋸で木を切り倒す。土、木、そして土器、錆びた鉄器、石などが話者の世界を形作る。それらと向き合っていると、農作業に関係した事柄や行為が、その根のところで人の生きることの行為そのものであることがわかってくる。というよりも、人が生きるということはそういった行為をなぞることだったのだ。そういうことだったのだ。