「無風の葉」高垣憲正。
最新詩集「春の謎」の感想の際にも書いたのだが、高垣は徹底的に観察する人である。まるで自分をなくしたかのように対象を観察している。そして客観的に描写する。そこには作者が不在になってしまったかのような透明感がある。この作品では夕暮れに泰山木を見ている。厚ぼったい葉はシルエットとなっている。
茜を帯びた寒空を背景に、その数十枚の葉は先ほどから微動もし
ていない。完全に無風状体なのだ。だが、一枚だけ動いている。垂
直に小枝に吊り下がったまま、短い周期で左右に揺れている。
さらに少し離れて同じくらいの高さに、もう一枚、時おり同調す
るかのようにうごめいている葉を見つけた。この二点を結んで細い
気流の通路でもあるのだろうか。
何の感情をまじえることなく対象を描写しているようにみえるのだが、そこにはやはり対象を選び取っている眼がある。そして対象のどこを見ているかで、作者の立ち位置が定まってきている。泰山木の葉と作者の間にも細い気流が流れていたわけだ。
このように、泰山木の葉と同じように、それこそ静止した事柄の中でわずかに動く自分の気持ちを、剃刀のような鋭さで切りとっている。周囲のものには震えさえ与えないような手練手管で。
最新詩集「春の謎」の感想の際にも書いたのだが、高垣は徹底的に観察する人である。まるで自分をなくしたかのように対象を観察している。そして客観的に描写する。そこには作者が不在になってしまったかのような透明感がある。この作品では夕暮れに泰山木を見ている。厚ぼったい葉はシルエットとなっている。
茜を帯びた寒空を背景に、その数十枚の葉は先ほどから微動もし
ていない。完全に無風状体なのだ。だが、一枚だけ動いている。垂
直に小枝に吊り下がったまま、短い周期で左右に揺れている。
さらに少し離れて同じくらいの高さに、もう一枚、時おり同調す
るかのようにうごめいている葉を見つけた。この二点を結んで細い
気流の通路でもあるのだろうか。
何の感情をまじえることなく対象を描写しているようにみえるのだが、そこにはやはり対象を選び取っている眼がある。そして対象のどこを見ているかで、作者の立ち位置が定まってきている。泰山木の葉と作者の間にも細い気流が流れていたわけだ。
このように、泰山木の葉と同じように、それこそ静止した事柄の中でわずかに動く自分の気持ちを、剃刀のような鋭さで切りとっている。周囲のものには震えさえ与えないような手練手管で。