瀬崎祐の本棚

http://blog.goo.ne.jp/tak4088

多島海  12号  (2007/11)  兵庫

2007-11-30 07:29:25 | 「た行」で始まる詩誌
 「吊り橋」江口節。冷たい流れをいれた深い谷がある。これを越えるためには吊り橋を渡さなければならない。それは、谷を抱えて向き合ったわたしたちをつなぐ「ことばの/吊り橋」なのだ。

   向こう岸に人がいる
   ただ それだけで

   どちらも だまって
   葛を綯い合わせ
   とどくだろうか、と
   吊り橋

厳しい状況の中で、何ものかに隔てられた相手との接触を求めている。禁欲的にさえ思えるほどに、こんなに吊り橋を渡すことに精魂を傾けている。それなのに最後の1行で呆気にとられる。

   あの崖を 猿は飛び渡るそうです

なんとも皮肉混じり、自嘲混じりに響いて、読んでいるこちらも思わず苦笑いをしてしまった。
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るなりあ  19号  (2007/10)  神奈川

2007-11-23 08:51:27 | 「ら行」で始まる詩誌
 「記憶の条件」鈴木正枝。柔らかい肌触りの言葉で語られるのだが、その内容は切羽詰まっている。狂気にとらわれた、あるいは、それとも自覚していない絶望に押しひしがれた幼子を抱きしめているような感じなのだ。

   あとからあとから
   涙がこぼれ ああ
   あの炎上する飛行機が像を結んでしまったのだ
   もう空はない
   鳥も飛ばない

この、幼子にどうしてあげようもない苛立ちが読む者にまで迫ってくる。幼子の記憶にあった何かがスイッチを入れてしまったのだ。だから、もう戻ることは出来ないようなのだ。最終部分は暗澹たる光景が提示される。

   今日も空には
   見えない飛行機が
   無数に飛んでいるのだろう
   音もなく

見えもしないで、音も聞こえないで、それなのに私たちの頭上には飛行機が飛び回っているのだ。
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ポエームTAMA  43号  (2007/10)  東京

2007-11-23 08:50:11 | 「は行」で始まる詩誌
 「穴」野木京子。どこまでも続く階段を降りていくと、髪の長い女に会った。女の左側顔面には眼窩だけがあって眼球がなく、ただ穴があいているだけなのだ。体の半分は腐りかけているのである。彼女の腐敗を「私は喜んで」、さらに階段を降り続けるのだが、さて、この作品の最後はすごい。すごくて呆然としてしまうほどだ。

   だがおそらく、階段はいずれどこにも出ることもできないまま終わっ
   ているのだ。私は引き返し、あの女のこげ茶の眼窩の中へ入ってい
   くのだろう。そこに入らなければおそらく、どこへも抜け出ること
   はできないのだ。
                            (最終部分)

悪夢のような物語の終わり。野木の作品には、或るものの片側が欠落した状態に固執しているものがある。片側を失ったとき、その或るものはどんな風に意味合いを変化させるのだろうか。そして失ったものの中に入っていかなければ出口がないという作者の心は、この世界からの絶望的な脱出を試みているようだ。
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タルタ  3号  (2007/11)  坂戸 

2007-11-19 21:43:57 | 「た行」で始まる詩誌
 「家守」千木貢。毎日、ある家の玄関の前に立ったり、腰を下ろしている老人がいる。寂しそうにしている老人にわけを尋ねると、家に入れないのだという。家人が留守だからと言うわけではなさそうで、家のなかから華やいだ声が聞こえている日でもそうなのだ。なぜ、この老人は家に入れないのだろう?

   なんだか無性に腹が立ってきた
   わたしの怒りを敏感に察知して 老人は脅えたようだった
   いきなり玄関ドアに貼りつくようにして両手をいっぱいに拡げ
   うーと低く唸り声をあげた

   それから
   わぁんと
   犬のような声をあげた
                        (終わり2連)

この作品を、家族からネグレクトされた老人を扱っていると読むことは、当然可能である。しかし、この作品の、特に終盤の妙な迫力は、そんな社会的な意味合いでの読みとりを不要にしている。家に入れないでいる老人が家を守っているという、このちぐはぐさ、の面白さ。もちろん「守宮(ヤモリ)」を思い浮かべる必要もない、この作品はこのままでよいのだ。
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hotel第2章  18号  (2007/10)  東京

2007-11-19 21:42:41 | ローマ字で始まる詩誌
 「雁信」海埜今日子。ある人に何かを伝えたい、そんなときに手紙は書かれるのだろうが、誰に届くかわからない手紙というものも、きっとあるのだろう。海埜が書こうとしている手紙もそんな手紙だ。

   ぎょうかんにもじのふりかたをそそぎこむことだって、おりこんで、
   だからいちぶにすべてをたばね、かりがね、なみうつくうきをつめ
   こむたび、ひろがりすぎてしまうんじゃないかとしんぱいだった

手紙を届けるための鳥を待っているのだが、しかし、鳥はいつまでも現れないのではないか、そんな気がしてくる。だから海埜はいつまでも言葉を紡いでいる。その積もっていく言葉たちのなかに自分を埋めてしまおうとしているかのように。
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