第15詩集。93頁に23編を収める。
挿まれていた謹呈票によれば、いくつかの大きな病に見舞われたなかで作者は、愛と死、肉体と自然はヒトツノモノニホカナラナイと思っていたとのこと。そのことが詩作のモチーフになっているとのこと。
巻頭の「そのとき」は、稲妻に打たれて死んだ少年を詩っている。彼の皮膚には木の影がゆれていたという。稲妻は彼の命を奪うとともに「精緻な木の影でかざ」ったのである。無意識のときにも人は自然と向きあっているわけで、どのような形でいつ両者が交差するのかは、誰にもわからないわけだ。最終連は、
悲鳴を上げるまえに
死に攫われた少年は もう
どこにもいない
「六月の庭」は、雨が降る庭を横切って行った「いっぴきの青い蛇」を詩っている。雨あがりの「荒れた原野のように寂しかった」庭を横切る蛇に、話者は「「在る」ということの/恐ろしく曖昧な不安に侵されていた」のである。
しかし ぼくの中に消えずに在る青い蛇
くねりつづける光の軌跡
実在とは おそらく
このような光を指すのだろう
ぼくが消え 庭が消えたとしても
蛇は暗在系の空を泳いでいるはずだ
冷たく青い戦慄となって
なぜそのような想念が話者に訪れたのかは誰にも説明はできないが、このような瞬間に遭遇する感覚はおそらく理解できる。それこそ自然と肉体が交差する瞬間である。
「三月の庭」については詩誌発表時に感想を書いている。
挿まれていた謹呈票によれば、いくつかの大きな病に見舞われたなかで作者は、愛と死、肉体と自然はヒトツノモノニホカナラナイと思っていたとのこと。そのことが詩作のモチーフになっているとのこと。
巻頭の「そのとき」は、稲妻に打たれて死んだ少年を詩っている。彼の皮膚には木の影がゆれていたという。稲妻は彼の命を奪うとともに「精緻な木の影でかざ」ったのである。無意識のときにも人は自然と向きあっているわけで、どのような形でいつ両者が交差するのかは、誰にもわからないわけだ。最終連は、
悲鳴を上げるまえに
死に攫われた少年は もう
どこにもいない
「六月の庭」は、雨が降る庭を横切って行った「いっぴきの青い蛇」を詩っている。雨あがりの「荒れた原野のように寂しかった」庭を横切る蛇に、話者は「「在る」ということの/恐ろしく曖昧な不安に侵されていた」のである。
しかし ぼくの中に消えずに在る青い蛇
くねりつづける光の軌跡
実在とは おそらく
このような光を指すのだろう
ぼくが消え 庭が消えたとしても
蛇は暗在系の空を泳いでいるはずだ
冷たく青い戦慄となって
なぜそのような想念が話者に訪れたのかは誰にも説明はできないが、このような瞬間に遭遇する感覚はおそらく理解できる。それこそ自然と肉体が交差する瞬間である。
「三月の庭」については詩誌発表時に感想を書いている。